大阪府公文書館 - 大阪あーかいぶず第33号
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大阪 あーかいぶず第33号

目   次
大阪府における市町村合併の歴史……………………………1頁
昭和20年代の行政文書の紹介(その2)…………………6頁
平成15年度企画展、歴史資料講座を開催して……………7頁
公文書館からのお知らせ………………………………………8頁
第33号 平成16年3月
大阪府公文書館発行

大阪府における市町村合併の歴史-「明治の大合併」と「昭和の大合併」を中心に-高倉史人
■ はじめに
市町村行政の広域化の要請に対処し、自主的な市町村の合併を推進し、併せて合併市町村の建設に資すること
を目的としたいわゆる市町村合併特例法の下で、最近、全国の市町村で合併論議が盛んに行われ、また、合併に
向けた動きが急を告げている。この「平成の大合併」にあたり、しばしば過去の「明治の大合併」や「昭和の大合
併」が引き合いに出される。
本稿では、大阪府における過去の市町村合併が、いつどのように行われたのか、また、どのような背景があった
のか等、当館所蔵文書によりながら、「明治の大合併」や「昭和の大合併」を中心に述べる。

■ 明治時代の合併
(1)「明治の大合併」
明治政府は、明治22年(1889)2月21日の大日本帝国憲法の公布に先立ち、明治21年4月17日に市制・町村
制を公布した。この市制・町村制に関して、明治21年(1888)2月13日、内務大臣山県有朋は、市制・町村制法
案研究のために開かれた地方官会議の席で、市制・町村制を設ける目的は、「地方ノ自治、及分権ノ主義ヲ実行
スル」ことであり、「自治分権ノ法ヲ施ス」のは「立憲ノ制ニ於テ、国家基礎ヲ鞏固(きょうこ)」にすることであると述
べた。また、「国家基礎ヲ鞏固」にするためには、「町村自治ノ組織ヲ立テ」なければならず、これは、「町村ハ基礎
ニシテ、国家ハ猶(なお)家屋」のようなものだと述べて地方制度の制定を急いだ。
明治政府は、翌明治22年4月1日からの市制・町村制施行にあたって、後述する町村合併基準に従って大規模な
町村合併を行った。明治21年当時、全国の町村数は71,314(そのうち全く民戸のない町村及び100戸以下の
町村は48,000余で、全町村の7割弱に及び、1町村当りの平均人口は550人に満たなかった。)であった。これ
を一挙に15,820と約5分の1に減少させた。いわゆる「明治の大合併」と称されるものである。なお、市制施行に
より全国で39市が成立した。
(2)大阪府の場合
明治政府は、市制・町村制を実施するために、明治21年(1888)6月13日、内務大臣山県有朋の次の訓令第3
52号をもって地方長官に町村合併標準を示した。
町村制ヲ施行スルニ付テハ、町村ハ各独立シテ従前ノ区域ヲ存スルヲ原則トナスト雖モ、其独立自治ノ目的ヲ達ス
ルニハ、各町村ニ於テ相当ノ資力ヲ有スルコト又肝要ナリ。故ニ町村ノ区域狭小若クハ戸口僅少ニシテ、独立自
治ニ耐ユルノ資力ナキモノハ、之ヲ合併シテ有力ノ町村タラシメサルヘカラス。依テ其施行ニ際シ、先ツ府県知事
ニ於テ現今各町村ノ区域・人口及其資力如何ヲ調査シ、左ノ条項ヲ標準トシテ相当ノ処分ヲ為ス可シ。
第一条 従来町村ノ区域広ク人口多ク又ハ相当ノ資力アリテ独立自治ノ目的ヲ達ス可シト認ムルモノハ之ヲ分合
スヘカラス
第二条 前条ニ依リ独立自治ノ目的ヲ達スルヲ得スト認ムル町村ハ之ヲ合併スルヲ要ス
民戸ナキ町村ハ総テ近接市町村ニ合併スヘシ
土地ナキ町村ハ其地籍ヲ有スル町村ニ合併シ若シクハ其地籍ヲ分割スヘシ
第三条 町村ヲ合併スルハ其資力如何ヲ察シ大小広狭其宜ヲ量リ適当ノ処分ヲ為ス可シ但シ大凡三百戸乃至五
百戸ヲ以テ標準ト為シ猶従来ノ習慣ニ従ヒ町村ノ請願ヲ斟酌シ民情ニ背カサルヲ要ス且現今ノ戸長所轄区域ニシ
テ地形民情ニ於テ故障ナキモノハ其区域ノ侭合併ヲ為スコトヲ得
合併ヲ為ストキハ町村ノ区域広濶ニ過キス交通ノ便利ヲ妨ケサルコトニ注意ス可シ
第四条 町村ノ合併ヲナストキハ深ク将来ノ利害得失ニ注意シ郡区長及町村吏員等ニ就テ之ヲ諮詢シ勉メテ民情
ノ帰スル所ヲ察スルヲ要ス
(以下略)
この町村合併標準に従って、大阪府では初め府当局が合併案を作成し、各戸長役場を通じて民意を聞いた。その
後、町村の合併の編成が行われ、明治22年(1889)4月1日の市制・町村制施行前には1,372町村あったもの
が、施行後には322町村(12町、310村)と4分の1以下に減少した。
また、この時、大阪、堺には市制が敷かれた。但し、大阪市に関しては、元老院が東京・京都・大阪の3市は諸般
の事情が他の市と異なるので、市制を一律に実施せず別に編成すべしとの意見を政府に提出した。政府はこの意
見を受け入れて、3市には“行政首脳部は府市一体化する”という市制特例が適用された(明治22年3月23日公
布)。これは、市長と助役の職務を府知事と書記官が担当することなどの特例であった。なお、市制特例は明治3
1年(1898)9月に廃止された。
「明治の大合併」以後も全国的に市町村合併が進められていった。日清・日露戦争後には、いわゆる「戦後経営」
を進める政府によって市町村合併による財源安定が求められた。
特に、日露戦争後、第2次桂太郎内閣のもとで、財政再建や社会矛盾の激化、講和条約への不満などで動揺した
民心を統合することなどを目標として内務省主導による地方改良運動が進められた。この運動において、国内体
制の整備・強化が急がれ、町村の財政基盤整備として、町村財産の設定・増殖などとともに市町村合併が奨励さ
れたのである。
 大阪府において、明治22年(1889)の市制・町村制施行時から45年(1912)7月30日までの間に、市の数は
大阪市、堺市の2市で変わらなかったが、町村数は322から299へと減少した。
 この間に、富田林町(明29・8)、茨木町(明31・10)、高槻町(明31・10)、八尾町(明36・8)、吹田町(明41・
4)、長野町(明43・9)、佐野町(明44・10)が誕生した。また、明治45年1月には、岸和田町、岸和田浜町、岸
和田村、沼野村が合併し岸和田町となった。

■ 大正時代の合併
大正時代にも市町村合併が進められ、大正11年(1922)において、全国で、91市、12,224町村となった。明
治22年4月の市制・町村制施行時と比較すると、市の数は約2.3倍増(52増)、町村の数は約4分の1減(3,5
96減)となった。さらに、大正12年(1923)の郡制廃止、大正15年(1926)の郡役所廃止に伴い、合併による
町村規模の拡大が図られた。
大阪府において、大正11年11月には岸和田町が市制を敷き、府内3番目の市として岸和田市が誕生した。堺市
は、大正9年4月に泉北郡の向井町・湊町を編入し、ついで14年10月には泉北郡の舳松村を、翌15年10月に
は三宝村を編入した。また、古市町(大5・8)、高石町(大4・4)、大津町(大4・4)、布施町(大14・4)、小阪町(大
14・4)、富田町(大14・11)が村から町へとなった。
以上のように、大正時代において、大阪府は、市が2から3に増加し、町村は299から247へと減少した。

■ 昭和前期(戦前)の合併
昭和に入っても市町村合併が進められ、特に、昭和15年(1940)が「紀元2600年」であることから、その奉祝記
念事業として市町村合併が考えられた。またこの時期は、戦時体制の強化のためにも合併による市町村財政規
模の拡大強化が意識されていた。
大阪府において、昭和初年から10年頃までに、しきりに町村合併が行われた。昭和10年代には、新市誕生ブー
ムが起こり、豊中市(昭11・10)、布施市(昭12・4)、池田市(昭14・4)、吹田市(昭15・4)、泉大津市(昭17・
4)、高槻市(昭18・1)、貝塚市(昭18・5)の7市が続々と誕生した。この他に、町村合併も盛んであった。
このように、昭和元年(1926)から20年(1945)までに、大阪府では、市が3から10に増加し、町村は247から
158に大きく減少した。

■ 昭和後期(戦後)の合併
(1)「昭和の大合併」
戦後、日本の民主化政策が進められる中で、市町村の行政事務量は増大した。6・3制の新学制による新制中学
校の設置管理、市町村消防や自治体警察の創設の事務、社会福祉や保健衛生関係などの新しい事務が市町村
の事務とされた。
昭和24年(1949)8月と翌25年9月にコロンビア大学教授カール・シャウプを団長とする税制視察団が来日し
た。使節団は国と地方の税制を検討し新しい財政秩序を調査し、勧告を行った。これがいわゆるシャウプ勧告であ
る。その中で町村合併に関しては次のように述べられている。
市町村が学校、警察、その他活動を独立して維持することが困難な場合には、比較的隣接地域と合併することを
奨励すべきである。同様に、隣接府県は特殊の行政、たとえば水害防止あるいは大学教育の規模を拡大するた
めに協力するよう奨励すべきである。市町村または府県の合併が、行政の能率を増すために望ましい時にも、ま
たこれを奨励すべきである。このようにすれば小規模な行政による不利益を克服できるであろう。           (以下略)
このシャウプ勧告に基づいて、昭和24年(1949)12月に地方行政調査委員会議(いわゆる「神戸(かんべ)委員
会」)が設置され、翌年10月14日に「国庫補助金制度の改正に関する勧告」、12月22日に「行政事務再配分に
関する勧告」が出された。市町村合併については、後者の勧告の中で次のように述べられている。
町村は数にして約1万2百、平均人口は5千余人(この平均人口に達しない町村が全体の約66%)にすぎないの
であって、現状においても、既にその事務処理が円滑に行われているとはいいがたいものが多い。当会議として
は、諸種の資料を総合的に判断した結果、規模の著しく小さい町村については、おおむね人口7千、8千程度を標
準として更に次のような点を検討の上その規模の合理化を図るべきであると考える。その実施にあたっては、府県
単位に委員会を設けて、地方の実情に即した具体化の方法を調査研究することが適当であろう。 (以下略)
この神戸勧告を受けて、政府は、昭和28年(1953)9月1日に町村合併促進法(法律第258号。31年9月までの
時限立法)を公布し、同年10月1日から施行した。この法律は、「町村が町村合併によりその組織及び運営を合理
的且つ能率的にし、住民の福祉を増進するように規模の適正化を図ること」を目的としていた。また、第3条では、
町村の規模に関して、「町村は、おおむね8千人以上の住民を有するのを標準」とすること、第4条では、都道府県
が町村合併を促進するために「町村合併促進審議会」を設置できることについて定めていた。なお、町村合併促進
法の施行に先立ち、昭和28年9月11日、政府は、今後3カ年間におおむね町村数を3分の1とすること、町村合
併推進本部を設けることといった基本方針を閣議決定した。
町村合併促進法施行の結果、法施行時の昭和28年10月に、全国で市が286、町村が9,582であったものが、
法期限の31年(1956)9月までに、市が498と大幅に増え、町村が3,477と大きく減少し、合併が一段と促進さ
れた。
この町村合併促進法失効後の昭和31年(1956)6月30日からは新市町村建設促進法(法律第164号)が施行
された。この法律は、「町村合併を行った市町村の新市町村建設計画の実施を促進して、新市町村の健全な発展
を図り、あわせて未合併町村の町村合併を強力に推進すること」を目的としていた。また、新市町村建設計画の調
整・実施を促進する諸措置、財政上の特別措置及び未合併町村の合併推進などについて規定していた。
新市町村建設促進法施行の結果、31年(1956)9月に、全国で市が498、町村が3,477であったものが、同法
が一部失効した昭和36年(1961)6月までに、市が556と増加し、町村が2,916と減少し、合併が促進された。
このように、昭和28年10月の町村合併促進法施行時から、昭和36年新市町村建設促進法一部失効時まで、市
町村数が3分の1近く(9,868→3,472)まで減少したのが、「昭和の大合併」である。

(2)大阪府の場合
大阪府では、昭和21年(1946)11月に守口市、22年8月に枚方市、23年1月に茨木市、同年4月に八尾市、
泉佐野市、25年(1950)4月に富田林市、26年5月に寝屋川市が誕生した。また、町村の合併も行われた。そし
て、昭和28年(1953)年9月には、市が17、町村数が132となった。
既述した町村合併促進法に基づいて、大阪府では、昭和28年10月に、府知事の諮問機関として大阪府町村合
併促進審議会が発足した。翌29年1月11日に審議会は知事の諮問に応えて、次のような町村の標準規模の方
針を示した。
1.府下町村の平均的規模は、人口おおむね1万4千人程度とする。
2.特に人口が少なく、面積の大きい農山村の平均的な規模は、人口おおむね9千人程度とする。
3.右は府下における標準町村の規模を示したもので、実際上の町村合併はこの程度を基準としてなるべく大規
模に合併を推進すべきものである。
4.市と町村の合併については、町村合併促進法の趣旨から
(イ) 人口5万未満の市に関しては、原則として町村との合併を図ること。
(ロ) 人口5万以上10万未満の市に関しては、必要があると認められる場合は、審議会の意見を聴いた上で町
村との合併を考慮する。
また、町村合併による新市の設置、又は町村を市とすることについては、市としての要件を具備するものである限
りこれを認める。
 審議会は、この方針にもとづいて、個々の町村長や町村議会議長の意見をきいた上で、昭和29年(1954)4月
24日、大阪府町村合併計画案を知事に答申した。知事はこの答申を踏まえて、大阪府の町村合併計画を策定
し、30年9月末までに府下の町村数を計画策定前の約5分の1に当たる25に減少するべく町村合併を推進した。
なお、大阪府の町村合併は、合併計画策定までに、茨木市の2村編入(29年2月)、泉佐野市の5村編入(29年4
月)、1町5村の合併による河内長野市の新設(29年4月)が、すでに実現していた。さらに既述した合併計画案に
基づいて、合併協議が重ねられ町村合併も相次いだ。
 そして、促進法が失効する昭和31年9月までに、32件117市町村の合併が実現した。なお、昭和30年(195
5)1月に河内市・枚岡市、2月に松原市、31年4月に大東市、9月に和泉市が誕生し市制を施行した。
この後、大阪府は昭和31年(1956)10月に、新市町村建設促進法に基づき、大阪府新市町村建設促進審議会
を設け、関係市町村に合併を勧告した。府下市町村の合併が進展する間に、京都府南桑田郡樫田村と高槻市と
が、地方自治法施行以来全国で初めてのケースである府県境にわたる町村合併を33年(1958)4月1日に実施
した。
また京都府亀岡市西別院町牧および寺田地区住民が、大阪府東能勢村に編入されることを望み、国でその調整
が行なわれていたが、これが成立し、同じく33年4月1日、既述した亀岡市の一部地域と東能勢村の間の境界が
変更された。これらにより大阪府は70年ぶりに府境が変更し、面積1,837.31㎢となった。なお、昭和31年(1
956)12月に箕面市、33年に柏原市、34年1月に羽曳野市、38年8月に門真市が誕生した。
このように、昭和28年10月の町村合併促進法施行から、昭和36年6月新市町村建設促進法一部失効までの
「昭和の大合併」において、大阪府では、市が17から26に増加し、町村が132から21へと大幅に減少した。
40年代になると、41年11月には摂津市・藤井寺市・高石市が誕生し、42年2月には布施・枚岡・河内の3市が
合併して東大阪市になった。さらに、45年7月には四條畷市・泉南市、46年11月には交野市が誕生し、町村の
合併もあって、47年10月には31市11町2村になった。

■ おわりに
 その後、昭和62年(1987)10月には狭山町が大阪狭山市に、平成3年10月には阪南町が阪南市になり、現
在大阪府は33市10町1村で構成されている。
 そして、地方分権の新しいうねりの中、平成の大合併という波に乗り、大阪における法定合併協議会として、「富
田林市・太子町・河南町・千早赤阪村合併協議会」、「守口市・門真市合併協議会」、「堺市・美原町合併協議会」、
「岸和田市・忠岡町合併協議会」、「泉州南合併協議会」(泉佐野市・泉南市・阪南市・田尻町・岬町)が設置されて
いる。これらの合併協議会では、市町村建設計画を始めとした合併に関する事項の具体的な協議が行われてい
る。また、本年1月には、池田市と豊能町の合併協議会設置を求める住民発議が行われ、合併協議会設置議案
が両市町の3月議会で審議されているところである。

【参考文献】
・ 『明治憲政経済史論』(国家学会、大正8年)
・ 『自治五十年史』制度編(東京市制調査会、昭和15年)
・ 山中永之佑監修『近代日本地方自治立法集成』2(弘文堂、平成6年)
・ 山中永之佑『日本近代自治制と近代国家』(弘文堂、平成11年)
・ 『大阪百年史』(大阪府、昭和43年)
・ 『堺市史 続編』第2巻(堺市役所、昭和46年)
・ 『高槻市史』第2巻(高槻市、昭和59年)
・ 『泉南市史』通史編(泉南市、昭和62年)
・ 『吹田市史』第3巻(吹田市、平成元年)
・ 『新修大阪市史』第5・7・8巻(大阪市、平成3・6・4年)
・ 『能勢町史』第2巻(能勢町、平成7年)
・ 『羽曳野市史』第2巻(羽曳野市、平成10年)
・ 『行政事務再配分に関する勧告』(地方行政調査委員会議、昭和26年)
・ 『シャウプ使節団日本税制報告 地方税制改正解説』
・ 『町村合併促進関係資料』(自治省、昭和29年)
・ 『町村合併について』(大阪府地方課、昭和28年)
・ 『町村合併の方法と手続』(大阪府地方課、昭和29年)
・ 『大阪府町村合併促進概況』(大阪府、昭和30年)
・ 『角川地名辞典』27 大阪府(角川書店、昭和58年)
(たかくらふみと  大阪府公文書館)

昭和20年代の行政文書の紹介(その2)
   前号に引き続き、当館所蔵の主な行政文書(昭和25年から29年)を紹介します。
名   称 概          要 作成時期
「災害復旧費に関する調書」 昭和25年9月3日に、ジェーン台風が阪神地方に襲来し、大阪府では、家屋全壊5,
586戸、床上浸水81,705戸にのぼり、府下全域に災害救助法が適用された。本文書は、この災害における農
林、水産等の部門での復旧費用を調査したものである。 昭和25年度

「大阪スタヂアム関係綴」 大阪スタヂアム(大阪球場、現ナンバパークス)は、昭和25年9月12日に開場した。本
文書は、大阪スタヂアム建設助成に関するものである。 昭和26年度

「大学入学に関する書類」 本文書には、昭和26年度新制大学等の入学者選抜学力検査の実施科目に関して、新
制大学等から大阪府に宛てた通知文書や、これを受けて大阪府から府下の高等学校長に宛てた周知文書が収
録されている。 昭和26年度

「吉田総理大臣一行来阪に関する綴」 吉田茂は、昭和21年5月から29年12月まで長期にわたって総理大臣を
つとめた。本文書には、27年9月15日から16日にかけての吉田総理の来阪に関する日程、打合せ事項、配車
計画、随員名簿、事務分担表等が収録されている。 昭和27年度

「琵琶湖総合開発資料」 琵琶湖の治水、利水、電源開発、地盤沈下防止等を目的とした琵琶湖総合開発につい
て、本文書には、「琵琶湖総合開発基本方針の構想」、「琵琶湖総合開発について」、「琵琶湖総合開発計画要
綱」、関係図面等が収録されている。 昭和27年度

「堺戦災復興綴」 本文書には、戦災を被った堺市の復興事業に関する文書、図面などが収録されている。 昭和2
8年度

「寝屋川水系改修計画資料」 寝屋川水系全般にわたる治水対策は、大阪府の多年にわたる懸案であった。本文
書には、「寝屋川水系調査報告書」、「寝屋川改良全体計画書」、関係図面などが収録されている。 昭和28年度

「日本国際見本市計画・出品要領等綴」 わが国最初の国際見本市が、昭和29年4月10日から23日まで大阪で
開催された。本文書には、国際見本市の事業計画、開催費、開催要綱、出品者名簿、出品物搬出搬入要領等が
収録されている。 昭和29年度


平成15年度 大阪府公文書館企画展、歴史資料講座を開催して
はじめに
例年10月頃に、企画展と歴史資料講座を開催しています。これは、公文書などの歴史的文化的価値のあるもの
を収集、保存することの重要性を理解していただくとともに、これらの資料を広く活用していただくために実施してい
ます。
● 企画展
今回の企画展は、平成15年10月1日から30日まで「100年前の大阪エキスポ 歴史資料にみる第五回内国勧
業博覧会」をテーマに開催しました。多くの方々にご来館いただきまして、誠にありがとうございました。
内国勧業博覧会は、明治政府が殖産興業政策の一環として開催した博覧会で、明治10年(1877)に東京上野
公園内で開かれた第1回を皮切りに、5回開催されました。
このうち、5回目が明治36年(1903)に大阪で開催され、平成15年に開催から100年目を迎えたのを機に、企
画展では、この第五回内国勧業博覧会に焦点を当て、懸命な誘致活動により博覧会が大阪開催に至った経緯や
博覧会の内容、博覧会後の跡地利用などについての当館所蔵の公文書、写真、絵図などを中心に展示しました。
また、大阪府立中之島図書館、大阪市公文書館、財団法人住吉村常盤会及び高木面子資料室から貴重な資料
を拝借し、展示させていただきました。ここに改めてお礼申し上げます。
展示をご覧になった方々からは、「なかなか目にできない絵図・写真などが大変興味深かった」「大阪の歴史に触
れて感動した」などのご感想をいただきました。
● 歴史資料講座
歴史資料講座として、平成15年10月20日・22日・24日の3日間、「古文書講座」と「歴史講座」を開催しました。
「古文書講座」では、はじめて古文書に触れる人を対象に、当館所蔵の川中家文書(江戸時代の庄屋文書)の中
から「融通講仕法帳」をとりあげて、古文書の解読を行いました。
続いて、「歴史講座」では、企画展のテーマに沿って第五回内国勧業博覧会について当時の世相とともに紹介しま
した。

 

実施しましたアンケートによりますと、今回の歴史資料講座は、概ねご好評をいただきまして、ありがとうございまし
た。
受講者の皆さんからいただいた、講座内容、テーマ、開催回数、あるいは講座時間などについての貴重なご意見
やご要望はできるものから今後の講座の企画、運営に活かしてまいりたいと考えております。
● おわりに
今後とも、このような企画展、歴史資料講座を開催し、皆さんに親しまれ、身近な公文書館となるよう努力していき
たいと考えておりますので、一層のご協力、ご支援をよろしくお願いいたします。
(松田ゆかり)

公文書館からのお知らせ
大阪府公報の利用について
● 『大阪府公報』は、平成16年2月からマイクロフィルムで閲覧していただいています。
 公報は当館の資料の中でも、よく利用される資料ですが、劣化が著しく利用に支障をきたしていました。利用がさ
らなる劣化を招くという悪循環にも陥っていました。
このため、今年度は公報のマイクロフィルム作成事業を行ってまいりました。事業期間中は、利用者の皆様には、
ご不便をおかけいたしましたが、平成16年2月から公報はマイクロフィルムの形態で閲覧していただけようになり
ました。(明治期から大正期の紙媒体の公報の閲覧はできませんのでご了解ください。)
マイクロフィルムリーダープリンタも新しくなりました。ご利用をお待ちしております。
● 公報の電子画像データの閲覧:今しばらくお待ちください。
 マイクロフィルム作成とあわせて、電子画像データの作成も行ってまいりました。電子画像データを公文書館の所
蔵資料検索画面でご覧いただくためには、公文書館システムに登録する必要があります。1点1点、手作業による
登録作業となります。順次作業を行う予定ですので、今しばらくお待ちください。
登録された公報は、どこからでもインターネットを通じてご覧になっていただくことができます。プリントアウトも可能
です。便利になります!!
楽しみにお待ちください。

閲覧について
● 移転に伴い一部文書の閲覧を一時停止します。
● 一部の文書の閲覧が予約制となります。
府公文書館では、このたび、書庫の一部を移転いたします。つきましては、移転する文書は移転作業と整理のた
め、一定期間(平成16年3月15日月曜日から23日火曜日)閲覧ができなくなります。
また、移転後の3月24日水曜日からの閲覧は予約制となりますのでお知らせいたします。予約方法は、下記をご
覧下さい。
○ 移転文書(閲覧が予約制となる文書)
府が昭和22年4月17日以降に作成した行政文書
○ 閲覧予約
電話(06-6675-5551)、または電子メールにてお願いします。
メールアドレス
hoseibunsho-g01@sbox.pref.osaka.jp
※ 詳細は、公文書館へお問い合わせください。

利 用 案 内
◆ 閲覧時間
・月曜日から金曜日 午前9時15分から午後5時
◆ 休館日
・土曜日、日曜日、祝日及びその振替休日
・年末年始(12月28日から1月4日)
・毎月末日(土曜日の場合はその前日、・日曜日の場合はその前々日)
公文書館は、主に府が作成・入手した公文書や資料類のうち歴史的・文化的な価値があるものを保存し、広くみな
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