大阪府公文書館 - 大阪あーかいぶず第40号
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大阪 あーかいぶず 第40号

archives(あーかいぶず)とは、英語で記録資料・文書館という意味です。
目   次
大阪の社会福祉の歴史……………………………………………1頁
平成19年度公文書館アーカイブズ・フェア
 展示会、歴史講座、古文書講座、特別講座のお知らせ………9頁
大阪府公文書館ニュース…………………………………………16頁
平成19年度春の特別展を振り返って……………………………16頁
第40号 平成19年9月
大阪府公文書館発行

大阪の社会福祉の歴史 大阪府公文書館
■ はじめに
現在の我が国の社会福祉を支える重要な制度のひとつに、民生委員制度があります。これは、昭和23(1948)年
に公布された民生委員法に基づき設置され、社会奉仕の精神をもって、常に住民の立場にたって、住民の生活状
態の把握、要援助者の自立への相談・助言・援助、社会福祉事業者又は社会福祉活動者との密接な連携・活動
支援、福祉事務所その他の関係行政機関の業務への協力など、たいへん重要でかつ広範な役割を果たしていま
す。この民生委員制度の源流のひとつが、大正7(1918)年に、大阪府知事林市蔵、嘱託小河滋次郎の下で創設さ
れた方面委員制度であると言われており、来年で、方面委員制度創設から90年という節目を迎えます。また、大阪
には、歴史のある社会福祉施設や、草の根的な福祉活動を実践してきた福祉活動家が多くみられ、現在において
もその功績は様々な形で継承され、全国的にも高く評価されています。そこで、この機会に、大阪の福祉の歴史を
あらためて振り返ってみたいと考えた次第です。もとより、社会福祉という概念は多義的であり、また、戦後の新憲
法の下で著しく整備された現在の社会福祉体系とは全く異なる過去の社会福祉を統一的視点で把握検証すること
は容易なことではありません。そこで、福祉制度や福祉の歴史に関する専門的な見解にこだわらず、各種文献資
料等から可能な範囲で、大阪における福祉の歴史を拾い上げ、概観するとともに、特に、明治以降における大阪
の福祉の顕著な事例をとりあげ、「福祉の街」としての大阪の顔をあらためて紹介したいと考えます。
以下では、まず、第1章「近世以前における社会福祉」及び、第2章「近代以降における社会福祉」として、古代から
近世まで、また、明治以降における我が国の福祉事例を概観します。そして、第3章以下には、明治以降における
大阪の社会福祉に特化して記述することとし、第3章「民間における社会福祉活動と方面委員制度」として、明治以
降、公的部門の及ばない部分を補い、時には連携して、大阪の福祉を支えてきた様々な民間の福祉活動事例と、
大阪で創設され、全国的な民生委員制度へと発展した方面委員制度を、続いて、第4章「社会福祉協議会活動」と
して、戦後に創設され、地域福祉という現代的課題の解決に不可欠な役割を果たす大阪の社会福祉協議会活動
をそれぞれ紹介し、最後に、第5章「大阪の福祉の特徴」として、これらの事例の根底に根ざす大阪の福祉の特徴
ともいえるものに言及したいと考えます。(荻布)
■ 第1章「近世以前における社会福祉」
この章では、古代から近世頃までの、一般的な社会事業の歴史の事例をいくつか紹介することとします。わが国の
社会事業史を紐解くと、その歴史は古代にまで遡ります。古代から中世の社会事業史で著名な人物に、聖徳太
子・行基といった大阪に縁の深い人があげられますが、このことは、地理的な条件もありますが、大阪と福祉が、
歴史上、切っても切り離せない関係にあったことを物語っているように思われます。
以下では、古代から近世までの一般的な福祉事業の例をいくつか概観してみたいと思いますが、全てを網羅する
ことは不可能ですので、主として為政者による事業と民間の事業とに大別して、簡単に振り返ってみたいと思いま
す。なお、対象は、特に大阪に限定したものでなく、一般的な事例です。我が国での社会事業・福祉(=救済事業)
を考える場合、儒教思想に基づいた救済政治という性質が強いといわれます。いわば儒教精神に基づく徳治主
義、仁政といった理念がその中心であり、その理念は、明治維新後の近代天皇制国家による救済行政にも影響を
及ぼしているのです。
古代日本では、こういった徳治主義、仁政に基づく、天皇による慈恵的救済策の具体化として、社会事業、福祉等
が行われました。その例として、『日本書紀』に欽明22(567)年「郡国大水飢。或人相食」と記されており、「人相食」
惨状に対して、大和朝廷が食糧援助を行い、飢民救済が行われた事例が残されていますが、これが社会事業・福
祉の最初の事例といわれます。このように、古代の我が国の社会事業は、天皇の慈恵による救済政策で、こうし
た慈恵政策は、風水害・疫病・旱魃などの際に行われるとともに、天皇即位、立太子といった「慶事」などに際して
も行われていきます。しかし、平安時代に入り、律令体制の形骸化が進むとともに、そのような傾向は弱まっていき
ます。それとは別に、領主・為政者や宗教関係者などの慈善事業としての社会事業が行われていきます。
以下、そのような領主・為政者および宗教関係者の慈善事業について、若干の事例を紹介していきます。
まず、これは余りにも古い歴史であるため、史実かどうか定かではないといわれますが、聖徳太子は「仏教の慈
悲」に基づき、四天王寺の四箇院=「敬田院」・「施薬院」・「療病院」・「悲田院」を設置し、病者・貧困者の救済など
を行ったといわれます。
奈良時代には、聖武天皇の在位中、その皇后であった光明子が、飢餓・病気の人を治療・収養するために「施薬
院」を設立したことが広く知られていますが、同じ時期、東大寺大仏の建立にも力を注ぎ、民衆生活の福利増進に
生涯を奉げた行基(和泉国大鳥郡・堺市出身)も、社会事業史上著名な人物として知られます。行基は、池溝や道
橋の建設とともに「布施屋」を設置し、調・庸(物税・労役)など、諸税物の運脚夫・役民の宿泊施設としたり、飢や
病に苦しむ者、逃亡人民の救済に開放したといわれます。この当時の社会福祉は、天皇による仁政主義的な救済
事業、そして私的な仏教的慈善活動との両輪で社会福祉が行われていました。
平安時代中期以降には、武士の台頭によって、次第に、撫民思想の下で、武士=領主による支配地での私的救
済が行われていきます。仏教的慈善事業としては、最澄・空海が聖徳太子・行基の福祉思想を引き継いで発展さ
せ、中世の「鎌倉仏教福祉」を確立したことで知られます。例えば、空海は、観念的なものではなく実践性のある福
祉を目指し、庶民の勉学の便がなかった時代、天長5(828)年「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」を設立して庶民
教育を行ったはじめといわれます。
鎌倉時代には、「撫民思想」による領主的救済が多くなってきます。例えば、御成敗式目で有名な第3代執権北条
泰時は、伊豆で飢民に米50石を貸与しましたが、返却時に飢饉が起こり、返却が困難になった時、泰時は、証文
を焼き捨て、加えて米一斗ずつ支給するなど、無欲と救済精神でもって、福祉活動に尽力したそうです。鎌倉北条
家は、源氏嫡流の将軍家の血筋を途絶えさせ、幕府を牛耳ったイメージが強いようですが、実は、北条執権家は、
経時(4代)、時頼(5代)、時宗(8代)など、撫民政策に尽力した執権を多く輩出しています。
仏教的分野では、鎌倉新仏教による福祉思想を説き後世の福祉に影響を及ぼした親鸞、日蓮などがいます。例え
ば、日蓮は『立正安国論』で「飢餓」「災難」で「民衆への共感」に基づき、菩薩行的使命観で慈善と福祉とはどう違
うかを説いたといわれます。
室町時代には、守護大名の勢力が強大で、幕府の勢力は弱まり、足利将軍家は救済事業には無力な存在でし
た。第4代将軍足利義持の京都五条河原での飢饉・疫病者対策の仮小屋設置、足利義教(6代)の京都六角大宮
本能寺における「非人風呂」建設などに過ぎません。
しかし、戦国時代、下克上の乱世に入ると、戦国大名による民政が盛んに行われています。有名なところでは、上
杉謙信の凶作・備荒・窮乏の救済、武田信玄による信玄堤着工=治水事業、織田信長の、京都上洛の際の、貧
民への米5万石貸付、市中の地子銭・諸課税の免除などがあります。
大阪でいえば、やはり太閤秀吉ですが、秀吉は、施薬院で病苦の民衆に治療を施し、加茂川・淀川の築堤や修理
に失職者を使用するなど、病養療苦・失業対策といった社会事業政策を行ったことが有名です。ただ、これらの社
会事業は、どちらかといえば生産力増加、人心収攬、富国強兵策といった、政略的側面が非常に強いといわれま
す。
宗教的な慈善事業では、仏教的慈善活動の衰退の一方で、キリシタンによる慈善活動が表れてきます。鉄砲・キ
リスト教伝来で来日したキリシタンは、家族道徳・性道徳、人権的な人身売買の救済を行い、自然科学に基づいた
慈善を行いました。このような慈善活動を通じた布教活動は功を奏し、短期間での多くの信者獲得に成功したので
す。この活動は、仏教的慈善活動が衰退し、戦乱・天災により疲弊・貧困の淵にあった民衆に、一筋の光明をもた
らしました。それが、短期間での日本でのキリスト教布教に大きな影響を及ぼしたのですが、秀吉→徳川家康によ
るキリシタン禁令によって、キリシタンの慈善活動も衰退します。
秀吉の天下を受け継いだ徳川家康による、天下統一の世=江戸時代に入ると、「徳川300年」の平和期を迎えま
すが、江戸時代には、全国的規模の飢饉だけでも25回あり、部分的飢饉は非常に頻繁に各地で起こっていまし
た。飢饉は多くの民衆を飢餓の淵に追いやり、「人肉相食む」という悲惨な情況を各地でもたらしました。こうした状
況に対し、幕藩体制の下で、幕府自身が中央集権的に、災害や大火に際し、窮民収容施設として賑救廠(しんきゅ
うしょう)を設けて、救済にあたりました。例えば、有名な8代将軍徳川吉宗の時代には、病人の診療施設として小
石川養生所が設立されたことは有名です。また、吉宗の孫でもあり、寛政の改革で有名な松平定信は、七分積金
制度を構築し、歳出削減によって恐慌予備費・地主救助費・囲籾(=非常用籾)費用・貧民孤児救済の費用を捻出
しました。さらに、江戸・大阪で窮民調査を頻繁に実施し、やむを得ない理由による者と怠惰による者とに「窮民」
=救済対象を峻別し、適切な「窮民」救済を行う基準としました。その他には、高名な火付盗賊改役長・長谷川平
蔵は、軽犯罪者や無宿人(当時、無宿者は罪人=脱籍無産は罪に問われた)を収容して、労働技能を習得させ、
改悛の情が明らかな場合、労賃の一部を更正資金として与え、社会復帰させる、「石川島人足寄場」の設置を献
言しています。
藩レベルでも、藩主の仁政的理念で、領内での様々な慈恵政策=名君政治が行われています。例えば、紀伊藩
主徳川頼宣の貧困者救済(=仮麦の法)、岡山藩主池田光政の社倉(=備荒貯蓄のための倉)設置、水戸藩主徳
川光圀の飢饉救済と寡婦・孤独老廃者の調査・救済、金沢藩主前田綱紀の乞食増加に伴う就業能力者の保護、
疾病孤独者の収容を行った「非人小屋」設置など、数え切れないが、藩財政が次第に行き詰まってくるとともに、諸
藩でさまざまな藩政改革が行われ始め、名君政治が限界を露呈し始めるにつれ、このような慈恵政策も次第に衰
退していきます。
幕末になると、封建体制そのものが崩壊してきつつあり、幕府・藩財政自体を、租税負担の重課によって支えなけ
ればならない状況にありました。農村では、困窮から田畑の「質流れ」によって水のみ百姓など、零細・小作農民の
増加が著しくなり、加えて天保の大飢饉の発生が、農村の窮乏化を一層促進し、農民の心身の退廃→賭博の流
行→農業生産の荒廃という悪循環をも引き起こしました。また、都市域でも、幕末開港による物価の高騰とともに、
安政2(1855)年の江戸の大地震などが加わり、都市民の生活難がいっそう増していました。そのような状況の都市
に、荒廃した農村から離村民が都市に多数流入してくると、江戸・大阪といった大都市の社会政策的な民衆の救
済の必要性が加速度的に高まってきていたのです。
これらのような幕末維新期における農村・都市の状況は、堕胎間引、人身売買、身分差別などの悪化と相まって、
幕末の政情不安を表すかのように拡大し、ますます顕著となっていきました。そのような状況下において、幕府を
倒し、明治新政権を樹立した、新政府の首脳達は、明治天皇の御名による、さまざまな公的制度の導入の端緒と
なっていくのです。(矢切)
■ 第2章「近代以降における社会福祉」
明治時代に入ると、維新政府は富国強兵と殖産興業を掲げて、日本の近代化と資本主義化を重要な政策課題と
し、中央集権的国家体制の確立を目指しました。明治3(1870)年には工部省が設置され、旧幕藩営の軍事産業や
鉱山業を引き継ぎ、さらに鉄道、通信、製糸、紡績、北海道開拓などの事業を展開すると共に、同6年の地租改正
に代表されるような土地制度と財政制度の確立が図られました。こうした資本主義の基礎形勢段階において、生
活に困窮した農民や都市労働者を救済する公的制度が求められるようになりました。
近代日本で最初の救貧立法は、明治7(1874)年の太政官達による「恤救規則」が挙げられます。もっとも、これは
「人民相互の情誼」による救済を強調し、血縁や地縁を重視する共同体的相互扶助に頼るなど、貧民救済に対す
る国家の責任について明確にしていませんでした。また、救済対象について、「極貧ノ者独身ニテ廃疾に罹リ産業
ヲ営ム能ハサル者」、「独身ニテ七十年以上の者、重病或ハ老衰シテ産業ヲ営ム能ハサル者」、「独身ニテ十三年
以下ノ者」と規定され、極めて制限的なものでした。
そこで、明治23(1890)年に帝国議会が開設されると、恤救規則に代わる新たな救貧法の制定が幾度となく試みら
れました。第1回帝国議会で「窮民救助法案」が、第10回では「恤救法案」と「救貧税法案」が、第16回では「救貧法
案」が、それぞれ提出されました。しかし、救貧行政よりも富国強兵を推進したい政府の消極的な態度によって、い
ずれも審議未了・廃案に終わり、これらの試みは実現されませんでした。明治41(1908)年には、内務省地方局長
発の「済貧恤窮ハ隣保相扶ノ情誼ニ依リ互ニ協救セシメ国費救助ノ濫給矯正ノ件」と題する通達を出すなど、むし
ろ政府は、救貧行政の国庫支出の大幅な削減を実施していったのです。
他方で、日清・日露戦争、第1次世界大戦を経て、日本の工業化が進展すると、都市化の進行と物価の上昇によ
って都市下層民社会の問題が生じました。とりわけ、第1次世界大戦以後において、労働争議や小作争議が頻発
するようになり、大正デモクラシーの潮流の中で民衆運動が活発化し、新しい救貧立法を求める声はますます強く
なっていきました。
大正7(1918)年、日本で最初の本格的な政党内閣が発足すると、ようやく社会問題や生活問題に対する政策対応
が図られるようになりました。同9年に内務省に社会局が設置され、社会事業行政の確立と事業の体系化が進め
られていきました。翌年には各省に分属していた労働行政事務を統合して、内務省の外局として社会局が設置さ
れ、労働行政と社会事業行政の区別も明瞭なものとなっていきました。
大正15(1926)年には、政府は、社会局内に設置された第2次社会事業調査会に「社会事業体系ニ関スル件」とし
て、救貧行政の実態についての諮問を行いました。これに対して、調査会は恤救規則が無力化していることを指摘
し、救済対象を拡大するとともに救済責任を明確にした新たな救貧立法の制定の必要性を答申しました。これに
基づき、政府は新救貧立法の方針を決定し、昭和4(1929)年の第56回帝国議会において救護法が成立すること
になりました。
こうした福祉行政の漸進的な拡大を一変させたのが、満州事変から日中戦争を経てアジア・太平洋戦争へと至る
危機の時代においてでした。戦時下の昭和13(1938)年、衛生行政の主務官庁として厚生省が新設され、同年に
国民健康保険法が成立し、16年には医療保護法や労働者年金保険法が成立するなど、この時期に社会保険制
度や医療保護制度が次々に確立していきました。これらは戦争遂行のための兵員の確保や労働力の確保といっ
た観点から成立したものであり、民主主義や人権の思想、個人の自由といった性格を持つ社会事業とは異質なも
のでした。この時期、社会事業は戦時厚生事業として、総力戦体制の構築という目的の下に再編されていったの
です。
また、昭和20(1945)年の敗戦とそれに続く占領改革は、日本の福祉行政のあり方を大きく変えました。政府は、G
hqの指令に基づき、一般的な救貧法として生活保護法、戦争孤児の救済として児童福祉法、傷痍軍人や戦争被
害者の救済として身体障害者福祉法(これらは福祉三法と呼ばれています。)を、それぞれ制定しました。福祉三
法を貫く原理は、国家責任の明確化、無差別平等の取扱い、最低生活の維持の3点であり、これらは戦前の救貧
行政において不徹底な部分でした。その後、昭和30年代に知的障害者福祉法、老人福祉法、母子及び寡婦福祉
法(福祉三法と合わせて福祉六法と呼ばれています。)が制定され、ここに現在の福祉制度の原型が成立すること
になりました。(矢嶋)
 
■ 第3章「民間における社会福祉活動と
方面委員制度」
前章で述べたように、戦前における政府の救貧行政は不十分なものでした。そこで、中央政府に代わって社会福
祉に大きな役割を果たしたのが、地方行政や民間の篤志家達でした。
大阪では、特に民間の福祉が活発でした。明治2(1869)年には、庶民の医療機関として緒方惟準や高橋正純らに
よって大阪病院が設立され、その後一旦廃止されるものの、鴻池善右衛門や住友吉左衛門らの寄付によって同6
年に再興、21年には貧民医療機関として大阪慈恵病院へと発展しました。また、大阪府も、「貧窮者ヘノ施薬ノ件」
や「貧窮者済恤ノ為施療券発行ノ件」などの布令を出し、貧民医療において民間との協力体制を築きました。
この他にも、貧民医療機関として、明治10(1877)年に佐野常民らによる博愛社(同20年に日本赤十字社と改称)、
44年の恩賜財団済生会(大阪には大正5〔1916〕年に病院が設置)が、それぞれ設立されました。また、児童保護
機関として、明治19(1886)年に井上三登治による愛育社、同23年に播州赤穂の小橋勝之助による博愛社(32年
に林歌子らが、小橋の遺志を継ぎ大阪に移転)、26年に林可彦による愛隣夜学校、29年に加島敏郎による大阪汎

愛扶植会が、それぞれ設立されました。養老機関としては、岩田民次郎による大阪養老院(35年に設立)などがあ
りました。
しかし、こうした私営社会事業は貧弱な財政状態であり、必ずしもその全ての運営がうまくいっている訳ではありま
せんでした。民間では、男爵藤田伝三郎による大阪府藤田慈恵救済基金(明治39〔1906〕年に設立)や大阪毎日
新聞慈善団(同43年設立)などが、慈善団体の援助を行いました。大阪府も、私営社会事業の濫立による弊害を
防ぐため、33年に府令によって施設の設置に関する申請手続きを定めて、認可主義を採用しました。
大正2(1913)年に侯爵大久保利武が知事として赴任すると、「帝国の経済、国力の発展」だけでなく、「未だ嘗て手
の着けられなかった社会事業の奨励」を抱負として語りました。大久保侯は、『恤救十則』の著者で社会事業の学
者として著名な、小河滋次郎博士を大阪に招聘しました。小河博士は、救済事業研究会を開き、これまで個別に
運営されていた民間の社会事業相互の連絡・調整を図りました。研究会には、社会事業団体の関係者だけでな
く、医療関係者や教師も参加し、大久保侯自身も出席したといわれています。さらに、この研究会を基礎として、大
正4年に大阪社会事業協会が設立され、小河博士は社会事業団体の育成に努めました。
大正6(1917)年に大久保侯に代わって着任した林市蔵知事は、小河博士を引き続き府嘱託としました。林知事
は、着任直後の救済事業研究会の席で、救済事業を「発展進歩せしめて、社会不備を補足解決」する必要性を述
べ、前任の大久保侯同様に社会事業に積極的な姿勢を示しました。そして、林知事と小河博士の努力によって、
大正7年に、大阪府処務細則が改正され、府の救済事務を扱う専門の部署として、救済課が設置されるとともに、
大阪府独自の福祉制度として、方面委員制度が発足することになったのです。
大阪府に方面委員制度が創設されたのは、大正7(1918)年でした。地方行政による救貧制度の先駆けとなったの
は、前年に創設された岡山県済世顧問制度であり、次いで東京府慈善協会の救済委員制度や兵庫県救護視察
員制度などがありました。なかでも大阪府方面委員制度は、方面委員と要救護世帯との関係や社会調査、活動の
組織性が重視され、当時の都市の状況に最も適合するものであり、全国的に普及することになりました。
方面委員制度は、旧中間層の自営業者ら民間の篤志家を名誉職である方面委員として、知事が地域の救貧活動
を委嘱するという取り組みでした。具体的には、まず、小学校区を基準に地域を方面に分け、学校や寺院、社務所
などを方面事務所とするとともに、ひとつの方面につき10名以上の委員を置きました。委員の活動の重点は、区域
住民の生活状態を調査・把握するところにありました。委員達は、方面事務所を中心として、部内の巡視や家庭訪
問によって調査を実施し、貧困世帯を第1種カード(「独身ニシテ自活ノ途ヲ得ザルモノ、独身ニアラザルモソノ扶助
者ナク自活ノ途ヲ得セザルモノ、オヨビ疾病ソノ他ノ事故ニヨリ自活困難ナル貧困者」)と第2種カード(「家族ノ員
数、職業ノ安否、生活ノ状態等ヲ斟酌シ、家計余裕ナキ者」)に分類しました。こうした、実態調査に基づいて、貧困
者の救療や幼児の教養保護が図られていきました。
また、大阪ではこの方面委員制度を基盤にして、大正9(1920)年に大阪庶民信用組合が、同15年に大阪府立保
嬰館、市民病院が、それぞれ設立されました。大阪庶民信用組合は、貧困者の生活の安定とその予防・更生のた
めに設立されたもので、設立から2年後には、カード階級の約半数が組合員として加入しました。保嬰館の活動
は、実際に乳幼児を収容・保護することの他に、乳幼児に関する健康相談や保育相談を受け付けるなど、方面委
員の地域活動を支えるものでもありました。市民病院の設立についても、方面委員からの要望に基づいたもので、
その活動の成果のひとつに数えられます。特に、前者の2つの事業には林市蔵元知事が深くかかわっており、林
元知事は大阪庶民信用組合の理事長を務め、大阪乳幼児協会の創始者のひとりにもなっていました。
さらに、方面委員の活動は府内にとどまるものではありませんでした。全国に広まった方面委員制度の連絡会とし
て、昭和2(1927)年に第1回方面委員大会が東京で開かれました。翌年には、第1回全国救護事業大会が開か
れ、大阪府の方面委員達が中心となって、国家レベルでの救貧立法の必要性を訴えました。こうした運動は、前述
の救護法制定に結びつき、法案成立後も予算の執行を渋る政府を動かし、昭和7年に救護法の施行が実現する
ことになりました。同11年に、政府は方面委員令を勅令として発布、ついに方面委員制度は法的根拠を持つ全国
的な救貧行政の組織として確立されたのです。
しかし、前述のようにアジア・太平洋戦争とその敗戦、そして占領改革のなかで、方面委員制度も大きな変化を経
験することになりました。戦時中において、方面委員制度は、従来の生活状態調査や援護といった救貧活動から
軍事援護事業や徴用援護事業にも関わり、その活動範囲を大きく広げていくことになりました。他方で、それは総
動員体制における末端組織となることを意味していました。
また、昭和20(1945)年の敗戦とそれに続く占領改革において、日本の福祉行政のあり方が問われるなか、方面委
員制度もまた、変革を迫れました。GHQは、日本政府に対して「公衆衛生対策に関する件」や「救済ならびに福祉
計画に関する件」、「社会救済」など公的扶助に関するメモランダムを出し、最低生活の維持、無差別平等の処
遇、国家責任の明確化の3点を指示しました。とりわけ、国家責任の明確化という点で、地域住民のボランタリズム
に頼る方面委員制度の改正が必要になりました。昭和21年に、上記の3点を原則とする生活保護法が成立する
と、同時に公布された民生委員令によって、自治的色彩の強い方面委員制度は、行政の補助機関として民生委員
制度へと改変されることになりました。
もっとも、この改革によって、方面委員制度がその役割を終えたわけではありません。方面委員制度の持っていた
ボランタリズムの精神や地域に密着したその活動は、高く評価されるべきものでした。戦後における民生委員の活
動においても、行政の協力機関としてだけではなく、昭和26(1951)年に新たに設立された社会福祉協議会との協
力関係の中で、方面委員制度の精神や実践が活かされていくことになったのです。(矢嶋)
 
■ 第4章「社会福祉協議会活動」
社会福祉協議会(以下「社協」と略称)とは、終戦後の昭和26(1951)年に制定された社会福祉事業法(現在の社
会福祉法)に基づき設置された営利を目的としない民間組織(社会福祉法人)です。社協の制度は、GHQ(連合国
軍最高司令官総指令部)の「社会福祉活動に関する協議会の設置」という指示が導入の契機となったという一面
から、理念を伴った活動の定着には様々な議論や模索が繰り返され、相当の時間を要したようです。社協は、一
定の地域の福祉関係団体(者)が参加するという組織形態から、時々の社会情勢や地域住民の福祉ニーズを把
握し、これに対応した適切な取り組みを行うにふさわしい存在であるということができます。このため、社協は比較
的早い時期から、住民主体の理念を確立し、行政との役割分担のもとに、比較的狭い地域に着目して、福祉ニー
ズの把握や必要に迫られた実践的な取り組みを進めてきました。平成12(2000)年の社会福祉法の改正により、
「地域福祉の推進を図る」ことが社協の目的として明文化されるとともに、市町村地域福祉計画や都道府県地域福
祉支援計画の策定など、市町村が中心となった地域福祉の推進体制が法的に規定される中、社協は、名実ともに
地域福祉推進の中心的な担い手と位置づけられることになりました。社会福祉法によると、市(区)町村社協(区
は、指定都市に設置される区を指す)は、区域内における社会福祉を目的とする事業を経営する者及び社会福祉
に関する活動を行う者並びに区域内の社会福祉事業又は更生保護事業を経営する者の過半数が参加し、社会
福祉を目的とする事業の企画実施、社会福祉に関する活動への住民の参加のための援助、社会福祉を目的とす
る事業に関する調査・普及・宣伝・連絡・調整・助成等を行うこととされています。都道府県(指定都市)社協は、区
域内の市(区)町村社協の過半数及び社会福祉事業又は更生保護事業を経営する者の過半数が参加し、各市
(区)町村を通ずる広域的な見地から行うことが適切なもの、社会福祉を目的とする事業に従事する者の養成・研
修、社会福祉を目的とする事業の経営に関する指導・助言、市(区)町村社協の連絡・調整等を行うことが規定さ
れています。また、都道府県社協の相互の連絡・調整のための全国組織の設置規定をふまえて、現在の全国社
会福祉協議会が設置されています。
こうした法上の役割分担を踏まえ、市(区)町村社協では、地域の福祉に関する総合的な相談、ボランティア活動
の推進、小地域ネットワーク活動、福祉課題をもつ当事者の組織化、食事や家事援助等の福祉サービスの提供、
訪問介護・通所介護事業の実施等を行っており、都道府県(指定都市)社協では、広域的見地からの市(区)町村
社協の支援の他、福祉従事者の養成・研修、事業経営の指導・助言、福祉サービス利用者からの苦情処理のた
めの「運営適正化委員会」の設置運営等を行っています。大阪における社協活動の実態から、その特色について
考察すると、2点指摘することができると考えます。1点目は、市(区)町村社協の設立当初から、各地で結成されて
きた地区福祉委員会(あるいは地区社会福祉協議会)の活動があげられます。これは、小学校の校区という小地
域を単位として、地域住民、民生委員児童委員、ボランティア等が力を合わせて自主的な助け合いのネットワーク
を構築したものであり、必要に応じて、福祉事務所・保健・医療・福祉施設等がバックアップして、適時適切な福祉
対応を可能としているものです。地域福祉の推進のための小地域ネットワーク活動は、全国各地で見られるように
なってきましたが、戦後の早い時期からしかも意図的に広範囲に取り組まれてきたのは、大阪の社協活動の特色
と考えられます。2点目は、社協に結集する関係者の多さとそのことによる大きな効果です。大阪府社会福祉協議
会を例にあげると、まず、会員である府内の全市町村社協と連携して、地域福祉の推進のための市町村地域福
祉計画策定や小地域ネットワーク活動支援を行っています。福祉施設については、府内の1500を超える福祉施設
会員と連携し、福祉サービスの質の向上や潜在的な福祉ニーズへの対応、社会福祉法人の公益性・地域性に基
づいた「1施設1地域貢献事業」などに取り組んでいます。民生委員児童委員については、大阪市・堺市を除く約
7800名が参加する大阪府民生委員児童委員協議会の事務局を担い、調査・研究・広報・研修等の活動をサポート
しています。福祉課題を有する当事者については、当事者部会を通じて情報の収集や交換を行い、関係者による
適切な対応や行政施策への反映等に努めています。また、市民のボランティア活動を支援するため、関係団体と
連携しながら、研修・広報・啓発をはじめとする実践的な活動を行っています。市(区)町村社協においても、同様
の取り組みが行われており、福祉サービスを提供する者、それを必要とする者等の多くが社協という組織に参画し
て、現実的で効果的な地域福祉の実現に寄与しているというのが、大阪の社協活動の特色であると考えられま
す。(荻布)
■ 第5章  大阪の福祉の特徴
我が国の福祉の歴史をみると、近代以前に芽吹いた慈善、救済、互助といった個別的救済の仕組みが、近代に
入って、慈善事業、救済事業といった地方政府や国家政府で取り組まれる公的制度に発展していきます。第1次世
界大戦が終わった頃からは、貧困や生活上の困難は個人の責任ではなく、社会の責任であるとする考え方が少し
ずつ根付いていき、それとともに、慈善事業・救済事業は社会事業として、一層、専門性・科学性・社会性を獲得し
組織化され、援助のための技術も形成・蓄積されていきます。そして、社会事業が、戦時厚生事業として戦争に収
斂された時代を経て、第2次世界大戦後は、国民の健康で文化的な最低限度の生活の保障が国家責任となって、
国民皆保険・皆年金などの社会保障制度や各種福祉政策が飛躍的に充実されてきたということができます。
大阪においても同様の変遷が見られましたが、第3章「民間における社会福祉活動と方面委員制度」で触れたとお
り、明治の頃の大阪は、近代的産業の勃興によって、多数の労働者が集中し、生活環境・生活困難・貧困・疾病等
が悲惨を極める中、多くの人たちがこれを見るに見かね、私的に非体系的に、救済活動を展開してきました。公的
制度がないことあるいはその不足を補うためのこれらの取り組みは私的とはいうもののその量や質の総体は相当
のものであり、後ほど、正式に公的制度に取り入れられたものも多くあります。大阪の福祉の特徴をあげるなら
ば、あふれる人間愛で、困窮する人たちを救済するために、私財を投じ、障害を乗り越え、救済活動を実現してき
た福祉活動家や福祉活動団体が極めて多いことです。実態を直視し、実践を重んじる大阪人の姿勢・ロマンを、あ
らためて認識すべきだと考えます。
また、大阪で創設された、民生委員の前身である方面委員には、地域で自営業者などを営む民間人を多くあてま
したが、小学校区という小さな地域で地域住民が困窮者を放置せず、救済していくためのひとつのしくみは、まさ
に、大阪の福祉の特徴を体現しているものと考えられます。さらにここで触れなければならないことは、大阪の福祉
を支えた公的部門の公務員と、学者・研究者の役割です。民間部門の活動を陰に陽に支えた多くの意欲的な公務
員、福祉活動が認知されにくい時代から、海外事情の紹介や理論的根拠を提供し続けた多くの学者・研究者の存
在は、大阪の福祉の実現に大きな役割を果たしています。
そして、第4章「社会福祉協議会活動」で触れた戦後の社会福祉協議会活動にも、大阪の福祉の特徴が見られま
す。大阪における社協活動の特色は、小地域ネットワーク活動と、社協に参加する福祉関係団体(者)が多いとい
うことですが、地域で困っている人を救済するために、住民や民生委員やボランテイアそして関係団体が参画し、
それぞれ自らができることをしていこうという取り組みは、まさに、明治時代からみられた大阪の福祉の特徴を継
承したものであります。「大阪は福祉の街」であると胸をはって宣言したい気持ちになるのは筆者だけでしょうか。
福祉には、政策・制度と実践の両方が必要だと言われます。戦後の社会保障・社会福祉制度の進展には著しいも
のがありますが、一方で、福祉対象の実態は常に変化していきます。今後一層の高齢化が見込まれる中で、高齢
者の自己決定の尊重や安心して老後の生活ができる制度の整備は着実に進められているが、例えば、要介護老
人を対象とする特別養護老人ホームなどは、常に相当数の入所希望者が待機しており必要があってもなかなか入
所できないといった事実が指摘されています。待機中の高齢者や介護者はその間、どのような対応をしているので
しょうか。公的制度のない時代にロマンと情熱・創意工夫によって、多くの困窮者を救済してきた大阪の福祉、蓄積
された民間・公共・学識の大きな力によって、これからますます進展する高齢社会に対応した適切な福祉体制の具
体化にきっと大阪らしい答えを出していただけることと期待しております。最後になりましたが、「大阪の福祉の歴
史」という大きな課題を扱うにはやはり当紙面は少なすぎたように思います。本年9月から11月にかけて開催する
大阪府公文書館アーカイブズ・フェア(10Pから15P掲載)の企画展のテーマを「大阪の福祉の歴史」として、方面委
員制度や社会福祉協議会等の資料を展示し、特別展のテーマを「大阪の社会福祉施設と福祉活動家」として、歴
史のある福祉施設や福祉活動家等の資料を展示します。また、歴史講座と特別講座におきまして、大阪の福祉に
関連したテーマを設定しますので、是非、ご参加いただきまして、先人の偉業に感動し、「福祉の街大阪」をあらた
めて認識して頂きたいと存じます。(荻布)

(筆者)
館 長 荻布孝(社会福祉士)
専門員 矢切努(関西大学大学院経済学研究科博士後期課程)
専門員 矢嶋光(大阪大学大学院法学研究科博士後期課程)

◆用語解説◆
●恤救(じゅっきゅう)規則
明治7(1874)年太政官達第162号として公布された明治初期の代表的慈恵立法。貧困者に対しあくまでも人民が
お互いに救済しあうべきこと(人民相互の情誼による救助)を強調し、極貧独身老人、障害者、病人、若年児童等
の放置しておくことのできない者(無告の窮民)に限って一定の米を支給したもの(後、金銭給付となる)。ただし、
保護を受ける権利は認めず、労働能力のある者や身寄りのある者には一切保護を認めなかった。
●民生委員  
昭和23(1948)年に公布された民生委員法に基づき、都道府県知事の推薦を受けて厚生労働大臣が委嘱する。社
会奉仕の精神をもって、常に住民の立場にたって相談及び必要な援助を行い社会福祉の増進に努めるものとさ
れている。任期は3年。民生委員制度は、大正6(1917)年に岡山で創始された「済世顧問制度」及び大正7(1918)
年に大阪で創設された「方面委員制度」がはじまりと言われている。民生委員は、児童福祉法による児童委員を兼
ねているので、「民生委員児童委員」が正式の呼び方。平成16(2004)年度末現在、民生委員児童委員は大阪府
で12,736名(全国で226,914名)である。
●社会福祉協議会(通称「社協」) 
 昭和24(1949)年のGHQの「社会福祉活動に関する協議会の設置」の指示を受け、社会福祉事業法(2000年に
社会福祉法に変更)に基づき、昭和26(1951)年以降、順次、全国段階、都道府県・指定都市段階、市区町村段階
で設立された社会福祉法人。現在の「全国社会福祉協議会」「都道府県・指定都市社会福祉協議会」「市区町村社
会福祉協議会」は、それぞれの段階に応じた公私の社会福祉関係組織・機関により構成され、住民主体の理念に
基づき、社会福祉事業に関する企画・実施・調査・普及・宣伝・連絡調整等の業務を幅広く実施。2000年の社会福
祉法の改正により、「地域福祉の推進を図る」目的が明文化された。
●小地域ネットワーク活動 
 小地域において要援護者が生活を継続できるように、近隣住民が中心となり、福祉・保健・医療関係者の協力を
得て進める個別支援ネットワーク。全国的に社会福祉協議会活動の重要な柱として取り組まれている。声かけ、訪
問活動、家事支援、介護支援など多様な活動を展開している。
■ 参考文献
・大阪府社会福祉協議会『大阪府社会事業史』1958
・『大阪府方面委員民生委員制度六十年史』大阪府民生院制度創設六十周年記念事業実行委員会、1979年
・吉田久一『日本社会事業の歴史』勁草書房、1994
・山縣文治・津崎哲郎・小山隆・荻布孝・明石隆行編著『福祉の仕事』朱鷺書房、1994
・山縣文治・柏女霊峰編『社会福祉用語辞典』ミネルヴァ書房
・『国民の福祉の動向』53巻12号、2006厚生統計協会
・永岡正己「なにわの福祉とボランタリズムー大阪の社会福祉の源流をたどる」『大阪市社会福祉研究』第24号、
2001
・小笠原慶彰編集「まちを歩けば 方面委員制度創設秘話」『月刊ボランティア』No.65、2001
・小笠原慶彰編集「まちを歩けば」一連のシリーズ参照
・菊池正治・清水教惠・田中和男・永岡正己・室田保夫『日本社会福祉の歴史』ミネルヴァ書房、2003
・『社会福祉施設一覧』平成18年度版、大阪府健康福祉部、2006                ほか

19年度大阪府公文書館アーカイブズ・フェアのお知らせ
大阪府公文書館は、歴史的文書の保存・利用を通じて、府民の文化活動等を支援する調査研究機関です。アーカ
イブズとは、記録史料・文書館を意味する言葉ですが、多くの方々に、アーカイブズに親しんでいただき、一層効果
的にご利用いただくため、「平成19年度大阪府公文書館アーカイブズ・フェア」を開催いたします。フェアは、多くの
関係機関や関係者のご協力を得て、当館と協働で、アーカイブズに関する展示会や各種講座を集中的に実施する
もので、今回で二回目の試みです。多くの皆様にご来場頂き、様々なアーカイブズに触れて頂くことを願っておりま
す。
 なお、今年度のフェアの企画にあたっては、(社会福祉法人)大阪府社会福祉協議会、日本福祉大学教授永岡
正己氏、京都光華大学教授小笠原慶彰氏にご指導ご協力賜りました。心より御礼を申し上げます。

1 展示会
 企画展及び特別展示を開催します。いずれも、入場は無料です。
【企画展】
◆テーマ 「大阪の社会福祉の歴史」
少子高齢社会を迎え、社会福祉に対する府民の関心が高まっています。明治時代以降、大阪では、多くの社会福
祉施設が設置されるなど民間による福祉活動(救済活動)が積極的に行われてきました。大正7(1918)年には、現
在の民生委員制度の源流である方面委員制度が、大阪府知事林市蔵らによって創設されました(来年、方面委員
制創設90年を迎えます)。戦後に創設された社会福祉協議会は、民生委員をはじめ多くの関係機関(者)の参加に
よる小地域ネットワーク活動など、特色のある地域福祉活動を展開しています。この企画展は、「福祉の街」として
の大阪の過去、そして現在の顔を、所蔵文書及び出展協力による多くの資料で明らかにします。
◆と き 
 平成19年9月18日火曜日から11月16日金曜日
午前9時15分から午後5時
(ただし、土曜日・日曜日・祝日・月末休館日を除きます。)
◆ところ 大阪府公文書館 2階展示室
◆企 画 大阪府公文書館

【特別展】
◆テーマ 「大阪の社会福祉施設と福祉活動家」
公的な福祉制度が未整備であった明治時代の大阪、近代産業に従事する多くの労働者が集中する大阪の街に
は、貧困・疾病等による生活困窮者が多くみられました。こうした状況を見るに見かねて私財を投げ出し、福祉施
設を設置したり、救済活動に取り組む多くの民間福祉活動家があらわれました。こうした活動の多くは今日まで継
承され、また公的な制度へと発展した例もみられます。この特別展は、大阪の誇りである多くの民間福祉施設(団
体)や福祉活動家の実体を、出展協力による多くの資料で明らかにします。
◆と き 
 平成19年9月18日火曜日から10月5日金曜日
午前9時15分から午後5時
(ただし、土曜日・日曜日・祝日を除きます。)
◆ところ 大阪府公文書館 3階会議室

全史料協だより(平成19年4月から)
・5月15日から18日
Ica(国際文書館会議)/Spa運営委員会の京都開催とこれに伴う全史料協交流レセプション等を京都府で開催。
・5月18日
 第1回役員会を京都府で開催。
・5月23日
 アーカイブズ関係機関協議会設立会合に参加(国立公文書館にて)。
・9月19日(予定)
第2回役員会を東京都で開催。
・11月20日から22日(予定)
第33回全国大会を茨城県にて開催。

詳細は全史料協HPをご覧下さい。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsai2

全国歴史史料保存利用機関連絡協議会(全史料協)事務局(大阪府公文書館)

2各種講座
 歴史講座、古文書講座及び特別講座を開催します。
いずれも事前に申込みが必要です。
◆ところ 大阪府公文書館 3階会議室

◆定 員 各回30名
◆受講料 歴史講座・古文書講座・特別講座とも、受講料は無料です。
※ 特別講座は、アーカイブズ・フェアにご賛同いただきました外部講師のご協力で実施します。

【歴史講座】
◆テーマ「大阪の社会福祉の歴史」
明治以降、公的な福祉制度が未整備な時代、大阪の社会福祉は民間の福祉施設や民間活動家によって支えら
れていました。大正7(1918)年に、大阪府知事林市蔵らによって、現在の民生委員制度の源流である方面委員制
度が創設されました。行政と民間のはたらきに着目しながら、大阪の社会福祉がどのようにつくられてきたかを明
らかにします。この講座の受講とともに、企画展・特別展の鑑賞をお勧めします。

◆と き・講 師
 講座番号 1 平成19年10月15日月曜日《午後1時30分から午後3時》
永岡 正己(ながおか まさみ)氏
(日本福祉大学社会福祉学部教授)

 講座番号 2 平成19年10月22日月曜日《午後1時30分から午後3時》
 講座番号 3 平成19年10月29日月曜日《午後1時30分から午後3時》
矢嶋 光(やじま あきら) (大阪府公文書館専門員)

 ※ 123とも、内容は同じです。

【古文書講座】
◆「古文書の解読」
はじめて古文書にふれられる方を対象に、3日間で、古文書の取り扱い方や古文書解読の基礎知識と当館所蔵
の「川中家文書」(江戸時代の庄屋文書)の解読まで、講師が作成した独自の教材で、ゆっくり進める講座です。古
文書に興味のある方は是非、ご受講下さい。

◆講 師 松田 ゆかり (大阪府公文書館専門員)
◆と き
 講座番号 4 火曜日コース《各回、午後1時30分から午後3時》
平成19年10月  9日・16日・23日
 講座番号 5 水曜日コース《各回、午後1時30分から午後3時》
平成19年10月10日・17日・24日
 講座番号 6 木曜日コース《各回、午後1時30分から午後3時》
平成19年10月11日・18日・25日    

※ 456とも、内容は同じです。

【特別講座】第1回(A)《11月2日 金曜日 午後1時30分から午後3時》
◆テーマ 「大阪の市町村社会福祉協議会活動―その発展過程」
地区福祉委員会の組織化、住民参加の在宅福祉活動、ひとり暮らし老人の会や寝たきり老人介護者(家族)の会
の組織化、そして小地域ネットワーク活動の推進などは、大阪の地域福祉の特色として全国的に評価されていま
す。そうした優れた活動を産み出した大阪の市町村社協に光を当てながら、それぞれの活動の生成、発展とこれ
からを考えてみます。
◆講 師 
佐藤 貞良(さとう さだよし)氏
・ 関西福祉科学大学准教授、前大阪府社会福祉協議会事務局長。

【特別講座】第2回(B)《11月5日 月曜日 午後1時30分から午後3時》
◆テーマ 「日本国憲法は『押しつけ憲法』か?
―大阪府公文書館所蔵『羽室家文書』等を手がかりにして―」
この講座は、大阪府公文書館所蔵『羽室家文書』等を利用しながら、日本国憲法制定に向けての日本側の動きを
概観することを目的としています。特に、民間の憲法改正にむけた活動とそれが実際に日本国憲法の制定に与え
た影響を中心に見ながら、日本国憲法が本当にGHQによる「押しつけ憲法」であると言えるのかどうかについて、
講師があつく語ります。
◆講 師 
小野 博司(おの ひろし)氏
・ 甲子園大学総合教育研究機構 助教。

【特別講座】第3回(C)《11月6日 火曜日 午後1時30分から午後3時》
◆テーマ 「与謝野晶子物語」
情熱的な、なにわ女性の代表、与謝野晶子。大阪府堺市で生まれた晶子の生い立ちから上京した時期、そして白
桜忌までと、女流歌人の第一人者として活躍した晶子の詩や歌を紹介しながら、大正・昭和の時代を生き抜いた
与謝野晶子の姿を、講師が興味深く語ります。
◆講 師 
西 真理子(にし まりこ)氏
・ 与謝野晶子研究者。現在は「なにわの語りべ」として活躍中。

【特別講座】第4回(D)《11月7日 水曜日 午後1時30分から午後3時》
◆テーマ 「19世紀末のニューヨークにおける郵便事情」
19世紀、特に南北戦争以降のアメリカは、産業・文明の急速な発展を遂げました。人口の増加に伴い郵便物も増
加し、郵便局員の労働条件は、厳しくなるばかりでした。自動車もなかった時代、大都市での郵便配達はどうなっ
ていたのでしょうか。
通信、インフラ整備、交通網の整備といったさまざまな角度から、アメリカの郵便事情を例にして、郵便制度の意
義・役割を、講師がわかりやすく解説します。
◆講 師 
森本 行人(もりもと ゆきひと)氏
・ 京都市生まれ、城陽市育ち。帝塚山大学、関西大学大学院を経て、現在、関西大学非常勤講師。

【特別講座】第5回(E)《11月8日 木曜日 午後1時30分から午後3時》
◆テーマ 「阪大ジーパン論争―30年たった今―」
昭和52(1977)年、大阪大学文学部で、ジーンズ姿で出席した女子学生が、担当講師に聴講を拒否されるという事
件が起きました。
これに端を発したのがいわゆる“ジーパン論争”で、新聞・雑誌などで様々な議論がなされました。担当講師の持っ
ていた差別的な主張は、メディアによって払拭され、一女子学生の服装問題が、教育や文化、はては伝統という大
きなテーマにすりかわってしまいます。
30年たった今、私達はそこから何を学ぶべきなのか。講師が興味深く語ります。
◆講 師 
小山 有子(こやま ゆうこ)氏
・ 大阪大学大学院文学研究科博士課程 日本学講座。近現代日本における女性服装史、中原淳一の研究など。
『女性学年報』28号(2007年11月発行)編集長。

【特別講座】第6回(F)《11月9日 金曜日 午後1時30分から午後3時》
◆テーマ 「茅渟の海の歴史」
大阪湾は往古より魚介類の豊富な海で、「茅渟(ちぬ)の海」と呼ばれていました。
瀬戸内の海水が生駒山麓まで浸透していた「河内湖」の時代から、大阪湾が「茅渟の海」と呼ばれるに至った歴
史、また「茅渟の国(泉州)」と王権の関係などについて、講師が興味深く語ります。
◆講 師 
山本 祐弘(やまもと ゆうこう)氏
・ 郷土史研究者、堺市教育委員会総合学習講師登録。

【特別講座】第7回(G)《11月12日 月曜日 午後1時30分から午後3時》
◆ テーマ 「日本とイギリスの医療制度の違い
―医療機関の受け方の違いと患者と医師の関係」
日々の暮らしを楽しむ基礎となる「健康」。これを守るために私たちは病気になった際、医師に診てもらいます。し
かし、日本のように自由にどの医療機関に行ってもよいという国は、先進国の中では少数派です。そうした医療の
受け方や医療費に関する制度の違いをイギリスと比較してみたいと思います。そして今後の医師と患者の関係の
あり方を、自身の体験などとも絡めて、講師がわかりやすく話します。
◆講 師 
田畑 雄紀(たばた ゆうき)氏
・ 関西大学大学院経済学研究科博士後期課程、社会保障論専攻。関西大学経済学部非常勤講師、種智院大学
福祉学科非常勤講師。

【大阪府公文書館ニュース】

大阪府の女子高等教育機関の先駆けである大阪女子大学は、府の大学統合の対象となって、平成19年度末には
その名称が消えることから、同窓会組織である「大阪女子大学斐文会」が「発祥の地」である当館の敷地内に、愛
媛産の「伊予青石」を素材とした立派な記念碑を建立しました。是非ご来館のうえ実物をご覧下さい。

【特別講座】第8回(H)《11月13日 火曜日 午後1時30分から午後3時》
◆テーマ 「19世紀後半の世界旅行
-小説『80日間世界一周』から見える世界と日本-」
ジュール・ヴェルヌ(仏)の小説『80日間世界一周』は、1872年に連載が始まるや否や、世界各地で大熱狂を巻き
起こします。当時、実際に行われていた世界旅行をモデルに、主人公のイギリス紳士が“文明の最先端”の香り高
き「鉄道と蒸気船」によって地球をグルりと回ってロンドンに帰ってくる物語。TvやIt普及の現代でも、この小説の魅
力は失われることなく、読む者の心を魅了し、想像力をかき立てます。
講座では、ヴェルヌの小説を題材にして、19世紀後半の世界を一緒に旅してみようと思います。はたして、世界旅
行の中で文明開化まっただ中の日本は、どのように描かれていたのでしょうか?さらに、ヴェルヌが描いた世界の
10年後は、どうなっていたのでしょうか?講師と一緒に、想像を膨らませながら、120から30年前の世界を覗いてみ
て下さい。
◆講 師 
宇都宮 浩司(うつのみや こうじ)氏
・ 帝塚山大学 経済学部 講師

【特別講座】第9回(i)《11月14日 水曜日 午後1時30分から午後3時》
◆テーマ 「大阪の社会福祉の沿革について」
大阪の社会福祉が歴史的にどのように形成され、変貌を遂げてきたのかについて、大阪府の社会福祉行政を中
心に、大阪府職員としての経験から、わかりやすく解説します。
◆講 師 
明石 隆行(あかし たかゆき)氏
・ 学校法人真言宗京都学園 種智院大学仏教学部 社会福祉学科教授。大阪府勤務(南河内福祉事務所、東大
阪児童相談所、福祉部福祉政策課、大阪府福祉人材センター、福祉部高齢者保健福祉室など)を経て現職。

【特別講座】第10回(J)《11月15日 木曜日 午後1時30分から午後3時》
◆テーマ 「明治時代からバキューム車の登場まで
―大阪の屎尿汲み取りの歴史を追う―」
水洗トイレの普及前には大阪の人々の屎尿はどのように処理されていたのか。大阪の都市化、それに伴う人口急
増とともに増え続ける糞尿がどのような問題を引き起こしていたのか。
明治時代からバキューム車の登場までの間の、大阪における屎尿処理の歴史を、講師が興味深く追いかけます。
◆講 師 
石川 浩士(いしかわ こうし)氏
・ 大阪大学大学院 文学研究科博士後期課程、主に昭和初期の都市社会史を研究される。

●公文書館からのお願い●
当館は、歴史的文書の保存利用を通じて、府民の文化活動等を支援する調査研究機関です。皆様のご協力・ご
相談をお待ちしております。
・ 所有する文書資料を寄贈・寄託したい。
・ アーカイブズに関する教職員研修・教材作成の協力
・ 公文書館の特別講座の講師登録をしたい。
・ 特別展に出展協力したい。
・ アーカイブズに関する研究や資料収集に協力してほしい。 など。

【特別講座】第11回(K)《11月16日 金曜日 午後1時30分から午後3時》
◆テーマ 「大阪府知事としての林市藏」
林市藏は、大阪府知事として方面委員制度創設に大きな役割を果たしたことが知られています。しかし、彼は府知
事として、「米騒動」や「白虹事件」にも遭遇し、府行政の責任者として、その処理をしました。講座では、林市蔵の
生涯を辿るとともに、府知事としての林市蔵のこのような側面についても検討し、大正期社会事業の成立について
考えます。
◆講 師 
小笠原 慶彰(おがさわら よしあき)氏
・ 京都光華女子大学 人間関係学部 社会福祉学科 教授。専門は、社会福祉原論。

3 各種講座の申込み方法等
◆ 申込方法
・往復はがきに、住所・氏名(ふりがな)・電話番号・希望講座番号(歴史講座:1から3、古文書講座:4から6、特
別講座:AからK)および返信用の宛名を明記の上、下記の住所あてにお申込みいただくか、インターネット、携帯
電話でもお申込みができます。
・ http://www.pref.osaka.lg.jp/archives/
・ 携帯電話申込用QRコード 
◆ 申込先 〒558-0054 
大阪市住吉区帝塚山東2丁目1-44
大阪府公文書館 電話06-6675-5551
(土・日祝日を除く午前9時から午後5時の間開設)
※ 申込みは、平成19年9月3日から各講座の締切日(下記参照)まで(必着)です。
【講座名】  講座番号       申込締切日
歴 史 講 座        1            10月12日金曜日
歴 史 講 座        2            10月19日金曜日
歴 史 講 座        3            10月26日金曜日
古 文 書 講 座   4火曜日コース 10月 5 日金曜日
古 文 書 講 座   5水曜日コース 10月 5 日金曜日
古 文 書 講 座   6木曜日コース 10月 5 日金曜日
特別講座第 1 回   A            10月30日 火曜日
特別講座第 2 回   B            11月 2 日金曜日
特別講座第 3 回   C            11月 2 日金曜日
特別講座第 4 回   D            11月 2 日金曜日
特別講座第 5 回   E            11月 5 日月曜日
特別講座第 6 回   F            11月 6 日火曜日
特別講座第 7 回   G            11月 9 日金曜日
特別講座第 8 回   H            11月 9 日金曜日
特別講座第 9 回   i           11月 9 日金曜日
特別講座第10回   J            11月12日月曜日
特別講座第11回   K            11月13日火曜日

※ 講座当日にキャンセルの可能性もありますので、受講を希望される方は、大阪府公文書館までお問い合わせ
下さい。
※ 当館には駐車場がありませんので、お車でのご来館はご遠慮下さい。

◆協力者(機関)(順不同・敬称略)
・明石隆行・石川浩士・宇都宮浩司・小笠原慶彰
・小野博司・小山有子・佐藤貞良・田畑雄紀
・永岡正己・西真理子・森本行人・山本祐弘

・大阪市公文書館
・大阪市民生委員児童委員連盟
・大阪府民生委員児童委員協議会連合会
・大阪府立盲学校
・( 財 )大阪YWCA
・( 財 )毎日新聞大阪社会事業団
・(社福)愛育社
・(社福)朝日新聞厚生文化事業団
・(社福)石井記念愛染園
・(社福)大阪市社会福祉協議会
・(社福)大阪自彊館
・(社福)大阪水上隣保館
・(社福)大阪福祉事業財団
・(社福)大阪府社会福祉協議会
・(社福)救世軍社会事業団救世軍希望館
・(社福)光徳寺善隣館中津学園
・(社福)産経新聞厚生文化事業団
・(社福)聖徳会大阪老人ホーム
・(社福)高津学園
・(社福)東光学園
・(社福)日本ヘレンケラー財団
・(社福)日本ライトハウス
・(社福)博愛社
・(社福)みおつくし福祉会
・( 社 )大阪社会福祉士会
・( 社 )家庭養護促進協会

※大阪の社会福祉に貢献された福祉施設・福祉関係機関に出展協力を要請しておりますので、今後さらに増加す
る見込みです。

平成19年度春の特別展を振り返って
平成19年4月23日月曜日から4月29日日曜日(午前9時15分から午後5時 大阪府公文書館 3階会議室)、「激動
の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」ことを目的として、「昭和の日(4月29
日)」が制定されたことにちなみ、「『昭和の日』制定記念 大阪における昭和時代を振り返る」を開催しました。多
数のご来館まことにありがとうございました。
 この特別展では、昭和時代の大阪を概観し、特に戦後の大阪の著しい復興、なかでも、昭和30年代から40年代
にかけて、大阪が実施してきた全国をリードする先進的・大規模事業に焦点をあて、先人の偉業に敬意を表すると
ともに、その知恵と情熱に学び、大阪人が元気を取り戻すきっかけにしたいと考えて、実施しました。

・ 会場には、年代順にパネル・写真・説明文を掲げ、資料はできるかぎり手にとって鑑賞できるようにしました。ま
た、動画資料を多数準備しました。
・ 会場内に、当館専門員等を配置し、説明や意見交換をできるようにしました。
・ 自らの歴史を記述して自分史年表を作成できる昭和史年表など、来館者への配布資料を準備しました。
・ 阪神高速道路公団株式会社や大谷恒夫氏などの出展協力により、多様な展示が可能となりました。
・ 会場内に、昭和の代表的な音楽をBgmで流し、雰囲気作りを行いました。
・ 今回初めて、土・日曜に開館・開催しました。


 以上の点に留意しながら特別展を開催した結果、一週間という短期間の開催にもかかわらず、631名の方にご来
館頂きました。大阪市内と近隣住民が大多数でしたが、府内各地及び近隣府県からもご参加頂きました。特に、
40歳代から70歳代が多数でしたが、子どもに昭和の経験を伝える家族連れや、感慨にひたられるご夫婦もいらっ
しゃいました。
 初めての「昭和の日制定記念」の特別展は、予想以上に関心を集め、参加者からは、こうした展示会等を積極
的に行うようにとの、強いご要望を頂きました。今後も、公文書館の役割であるアーカイブズの調査研究の成果の
発表の場を一層充実させるとともに、アンケートで頂戴したご意見を参考にしながら、よりより企画展・特別展・各
種講座を実施していきたいと考えております。今後とも、どうぞよろしくお願いします。

利 用 案 内
◆ 閲覧時間
・月曜日から金曜日 午前9時15分から午後5時
◆ 休館日
・土曜日、日曜日、祝日及びその振替休日
・年末年始(12月29日から1月3日)
・毎月末日(土・日等休日の場合は、その前日)
公文書館は、主に府が作成・入手した公文書や資料類のうち歴史的・文化的な価値があるものを保存し、広くみな
さんにご利用いただく施設です。
最寄駅
 阪堺電軌上町線帝塚山三丁目駅(徒歩3分)
 南海高野線帝塚山駅(徒歩6分)
 大阪市営バス姫松、府立総合医療センター
 (徒歩6分)
大阪府公文書館 大阪あーかいぶず 第40号 平成19年9月1日発行
〒558-0054 大阪市住吉区帝塚山東2丁目1-44/Tel06-6675-5551/FAX06-6675-5552
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