大阪府公文書館 - 大阪あーかいぶず第41号
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大阪 あーかいぶず 第41号

archives(あーかいぶず)とは、英語で記録資料・文書館という意味です。
目   次
近代大阪の発展と実業家たち・………………………………1頁
第22回大阪府公文書館運営懇談会…………………………6頁
平成19年度アーカイブズ・フェアをふりかえって 等
第41号 平成20年3月
大阪府公文書館発行

近代大阪の発展と実業家たち
大阪府公文書館専門員 矢嶋 光
■はじめに
近年、格差社会という言葉を耳にすることが多くなりました。個人間の貧富の差はもちろん、地域間格差の問題も
クローズアップされています。大阪も例外ではなく、東京の一極集中に対してその凋落傾向の危機が長らく報道さ
れています。
この東京への一極集中の契機は、明治維新にあります。当初、維新政府の中には大阪遷都論と東京遷都論の二
つがありましたが、明治2(1869)年に東京遷都が実現することになりました。この結果、維新政府が中央集権的国
家体制の確立を目指していく中で、東京への政治・経済の集中が始まったのです。
一方の大阪は、近世には「天下の台所」と呼ばれ、商業都市として日本経済の中心的地位にありました。日本の
各地から海運・水運を通じて米をはじめとする物資は大阪に集荷され、問屋や仲買を経て江戸などに供給されまし
た。また、物資の集積地として商業や金融業が展開されただけでなく、銅吹き・酒造・薬種などの多様な製造業も
発展していました。しかし、近世の中期以降、江戸やその他の地域の経済発展にともない、大阪を経由する物資
は相対的に減少し、大阪は経済の中心地としての地位を次第に低下させていきました。
さらにこの傾向を促進したのが明治維新でした。戊辰戦争では大阪城が焼け落ち、市内は暴民による略奪が横行
するなど混乱を極めました。維新政府樹立後には、財政に苦しむ新政府が多額の御用金を大阪商人に課し、急速
に大阪商人の資産は減少していきました。他にも、銀目・蔵屋敷の廃止、株仲間の解散、藩債の切り捨てなどの
実施によって大阪の経済は大きな打撃を蒙ることになりました。これに加えて、前述の東京遷都による一極集中化
は、大阪の凋落に拍車をかけることになりました。この当時、大阪を視察した農商務省の官僚は、「大阪は饒富(じ
ょうふ)天下に冠たりというも従前のことにて今は甚衰退に属せり」と報告しています。明治初期の大阪もまた、現
在のように著しい停滞期にありました。
 これに対して、大阪の実業家たちは必死の巻き返しを図っていきます。なかでも、明治政府との関係の深い五代
友厚(薩摩藩出身)や藤田伝三郎(長州藩出身)などの藩閥出身者、近世以来の住友や鴻池などの名家の力が大
きかったことは言うまでもありません。しかし、こうした中央政府とのつながりを持つ政商や既に経営の多角化を進
めていた大富豪だけでなく、従来からの地場産業を基盤としながら新しい事業へと挑戦していった実業家たちの存
在も見逃すことはできません。東京一極集中と大阪の低迷という逆風の中で、彼らはいかに成功を収めていった
のでしょうか。今回は、明治期における大阪の代表的な二人の実業家、田中市兵衛と松本重太郎の足跡を辿りな
がら、大阪の活力の原点を探ってみたいと思います。

■田中(たなか)市(いち)兵衛(べえ)―豪傑勇者の商人―
生い立ち
 田中市兵衛は、天保9(1838)
年9月6日、田中八郎の子として大阪市西区靱上通3丁目に生れました。田中家は先祖代々干鰯(ほしか)問屋い
わゆる肥料商を営む大阪生え抜きの豪商でした。
当館所蔵の史料によれば、「年歯十八独立先考ノ業ヲ襲キタリシカ此関係ヨリシテ爾来十数年間大阪肥料商組合
ノ總組長トナレリ」とあり、18歳にして市兵衛は、肥料商の家業を継いで商人としての活動を開始しています。生来
から勤勉で誠実な性格であり、かつ積極的また進取的な行動を好む市兵衛は、次第に問屋街の信頼を得るように
なり、大阪だけでなく近畿一円の広範囲にわたってその商売を拡大して、強固な地盤を築いていきました。明治維
新の頃には、市兵衛の資産は45万円にまでのぼると言われ、これは現在の20億円を超える価値に当ります。
この当時、周囲からはこの家業を守っていけば、田中家は3代にわたってその繁栄を誇れるだろうと言われていま
した。当時の大阪商人の気風も、先祖から受け継いだ事業を維持していくこと、またその成功に基づいた現実の私
益を理想とするもので、新規の事業や公共の事業を経営しようというようなことは閑却されていました。しかし、市
兵衛はこうした古い大阪商人の気風にとらわれることなく、明治の財界へ飛躍していきます。
第四十二銀行の設立と事業の多角化田中は数々の肩書きをもつ関西を代表する大実業家となっていきますが、
彼の多方面にわたる事業の基盤は第四十二銀行の設立にありました。
 明治9(1876)年に国立銀行条例が改正され、銀行の設立条件が緩和されると、大阪でもいくつもの銀行が誕生
しました。なかでも、田中が同じく肥料商を営む金沢仁兵衛とともに設立した第四十二銀行は資本金20万円を有し
て、大阪では鴻池善右衛門の設立した第十三銀行の25万円に次ぐ規模の大きな銀行でした。また、創業の早さも
5番目であり、かつ西区では唯一の銀行でした。
 この銀行を足がかりとして、田中は、関西貿易会社(明治14年)、神戸桟橋株式会社(同17年)、阪堺鉄道〔現在
の南海電鉄〕(同18年)と流通・インフラ事業を次々と手がけていきました。とりわけ、関西貿易会社の設立に関して
は、北海道の資源の海外輸出を構想し、自ら北海道に赴いて現地視察を行うなど積極的に活動しました。また、
阪堺鉄道の建設にあたっては「鉄道線路はカーブの少ない一直線にせよ」と主張したことなどは、彼の実直な性格
をよく現しています。
 この他にも田中は、摂津紡績・日本紡績〔現在のユニチカ〕(創業はそれぞれ明治24、25年)、日本綿花〔現在の
双日〕(同25年)など紡績業の設立にも関係しています。なかでも、日本綿花では創業期に社長を務めてその基礎
を固め、さらに一度退任した後に再び社長の座につくなど活躍しました。これらの軽工業は大阪を代表する産業へ
と発展していくとともに、近代日本を支える輸出産業へと成長していきます。
大阪商船の設立
 田中を一躍有名にしたのは第四十二銀行の他に、大阪商船〔現在の商船三井〕の設立があります。明治15
(1882)年まで海運の政府事業は、岩崎弥太郎の海運企業三菱会社が一手に引き受けていました。これに対抗し
て共同運輸会社が設立されると、関東ではこの2社の熾烈な競争が展開されるようになりました。
 一方、大阪では海運事業を大規模に展開する企業はなく、中小の船会社が濫立する状況でした。肥料商を営む
田中も自らの商品を運搬するための汽船を所有していましたが、商人各自が汽船を所有するのは非効率的であ
ると考え、一大汽船会社の設立を構想しました。明治15年に大阪商船設立の発起人会が発足すると、田中もその
中に名を連ねました。同17年に、住友家総理人の広瀬宰平を頭取として大阪商船が設立され、28年には田中が
社長に就任しました。
 社長就任後の田中は、内地航路だけでなく近海航路へと事業を展開させます。当時は日清戦争による海運景気
にあり、明治29年に大阪台湾線を、同31年に上海漢口線と次々に開設しました。後者は、揚子江航路における日
本人経営定期航路としては初めてのものでした。もっとも、30年頃から好景気の反動が始まり、増資に失敗した田
中は31年に社長を退任し、娘婿で逓信官僚の中橋徳五郎を後継に据えることになります。その後、田中の海外航
路進出の基礎を受け継いだ中橋のもとで、大阪商船は拡大、発展していきました。また、田中の面倒見のよい性
格や、中橋の抜擢人事により、大阪商船は数々の人材を輩出し、「人材の苗床」と呼ばれ、大阪発展の基礎となり
ました。
小括
 田中は、明治43(1910)年7月に逝去しました。葬儀には、官公吏・代議士から府市名誉職、さらには田中の愛顧
を受けた俳優・義太夫が参列し、稀に見る盛典であったと言われています。死後、田中は実業界における功績か
ら正6位に叙せられました。
 田中は、新規事業や公共事業を数多く手がけました。当館所蔵の史料によると、田中が創業に関わった会社は
33社にのぼります。それらは、近代大阪の発展の基礎となっただけでなく、現代の日本経済に結びつく事業でもあ
りました。また、田中の業績は、保守的で個人主義の気風の強かった大阪に、元来の自主独立の空気に加えて進
取的な新しい風を吹き込んだことにあると言えます。こうした田中を評して、同時代人は次のように語っています。
「概して云へば彼れの人物は才子的に在らずして豪傑的なり、智者的に在らずして勇者的なり」。

■松本(まつもと)重太郎(じゅうたろう)―立志努力の商人―
生い立ち
 田中と双璧をなした実業家に松本重太郎がいます。田中が豪商出身であったのに対して、松本は農民出身で丁
稚奉公から身を立てたたたき上げの実業家でした。
 重太郎は、弘化元(1844)年10月5日、父亀右衛門と母美代との間に次男として、丹後国竹野郡の漁村に生れ、
幼名は亀蔵と称しました。当館所蔵の史料によると、「幼ニシテ敏慧(びんけい)大志アリ窃(ひそか)ニ謂ヘラク他
郷ニ出テヽ身ヲ立テ家聲(かせい)ヲ揚グベキノミ(以下略)」とあり、立身出世の大志を抱いた少年であったことが
窺えます。
10歳になった亀蔵は両親を説得して、同郷出身の丹後屋宇兵衛を頼って京都に出て、呉服屋菱屋勘七のもとで丁
稚奉公を始めました。3年後、京都から「商戦ノ巷」である大阪の呉服商綿屋利八のもとに移りました。ここで10年
間勤めた後、再び宇兵衛のもとを訪れて独立の決心を告げます。このときに名を松本重太郎と改め、木綿の行商
として実業家の第一歩を踏み出すことになりました。これはちょうど、明治維新の前後のことでした。
第百三十銀行の設立
 独立した松本は、木綿の行商に加えて洋反物や雑貨の輸入に関わるようになり、明治3(1870)年9月には丹重と
いう名の店舗を構えるまでになりました。しかし、こうした成功にとどまらず、「輸入防過ノ為メ将又国産振興ノ為メ
(中略)百般ノ事業ヲ起シ余力ヲ教育其他公共事業ニ及ホシ以て己カ抱負完成ヲ見ン」として大きな展望を持って
いた松本は、その第一歩として銀行の設立を考えていました。
 松本は、家禄奉還に対して給付された士族の金禄公債に目をつけ、旧宮津、福知山両藩の藩士から出資を募
り、明治10年12月に第百三十銀行の設立に漕ぎつけました。このとき松本は、取締役兼支配人に就任し、同13年
7月には頭取に就任しました。
 松本の銀行経営の特質は、人物本位の貸付にありました。松本が堅実な手腕、優秀な技量と認めた人物には、
担保の有無を問わず巨額の融資を認めました。これによって「甚タ多ク実業ノ発達ヲ助長シ産業ノ進展上裨益(ひ
えき)スル處甚大ナリキ」とあり、大阪の産業の進展に大きく寄与したことが窺えます。また、倉庫内の貸物に対し
て抵当の価値を認めたのも松本が初めてであり、これは物資の集積地である大阪の利点を活かしたものでした。
その後、第百三十銀行は、関西の銀行と次々に合併して、明治18年には在阪銀行トップの住友銀行と肩を並べる
ほどに成長しました。
鉄道事業の展開
 松本は、第百三十銀行を基盤として多くの事業を手がけていくことになりますが、なかでも力を注いだのが鉄道
整備でした。松本は、「商工ノ二業ハ恰(あたか)モ車ノ両輪ノ如シ而カモ両者ノ発達ヲ同時ニ助成スルモノハ一ツ
ニ交通機関ノ完備ニ存スルノミト之ノ理想ノ実現遂行ハ国家ニ奉仕スル畢生(ひっせい)ノ天職ナリ」と考えていまし
た。
 松本が最初に手がけた鉄道は、田中もその設立に関わった阪堺鉄道でした。この鉄道の敷設にあたって、松本
は徹底した交通量の調査を行いました。松本は着物の片方の袖に豆を入れ、この路線を結ぶ街道を往来する人
や車とすれ違う毎に豆を反対の袖に入れるという方法で、人なら小豆、車なら大豆と区別して集計しました。こうし
た調査に基づき、採算の取れることを確信した松本は、明治17(1884)年に阪堺間に軽便鉄道敷設の官許を得て
着工し、その翌年に開業することになりました。この阪堺電車は、実質的には日本で最初の私鉄でした。 
松本は、この他に山陽鉄道〔現在の山陽本線〕、浪速鉄道〔現在の片町線〕、阪鶴鉄道〔現在の福知山線〕、讃岐
鉄道〔現在のJR四国〕などの設立に関わり、西日本における鉄道網の発達に貢献しました。とりわけ、山陽鉄道は
日清戦争時に軍需物資の輸送に役立ち、日本の戦勝は山陽鉄道があってこそとまで言われました。
 その後、関西では阪神電鉄、京阪電鉄、箕面有馬電鉄〔現在の阪急宝塚線〕、大阪電鉄〔現在の近鉄〕などの郊
外電車が次々に生れました。郊外と都心を鉄道で結び、続いて宅地造成や娯楽施設の建設など沿線の開発を進
めるという、この郊外電車の経営は松本の着想に端を発しています。私鉄王国大阪の基礎は松本によって築かれ
たと言えます。
小括
松本は実業家として成功を収め、関西財界で松本の関わらない事業はないとまで言われるようになりました。現在
まで続く事業には、これまで挙げたものの他に、東洋紡績〔当時は大阪紡績〕やアサヒビール〔当時は大阪麦酒〕な
どがあります。
松本は、大正2(1913)年6月20日に逝去しました。もっとも、実業家としての生命はその10年前に絶たれていまし
た。明治34(1901)年からの恐慌によって、松本の関わった事業も行き詰まり始めます。さらに、これに融資してい
た百三十銀行も不良債権を抱えることになり、明治37年には休業に追込まれました。松本は私財の全てを投げ打
ってこの負債の返済に努め、以後実業界から身を引くことになったのです。その潔い引き際から「恰も死に臨んだ
古武士の面影あり」と評された松本ですが、丁稚から実業家として身を立てた気概と奮闘はまさに立志努力の商
人でした。

■おわりに
 明治初期の停滞期にあった大阪において、実業家たちは様々な事業を展開し、これを乗り越えました。まず、綿
紡績や鉄道などの分野で近代産業が興隆し、その後は機械産業などの重化学工業も加えて、大阪は工業都市と
して復活しました。とりわけ紡績業の発達は著しく、事実上の本店を関西に構えた鐘淵紡績は、戦前において日本
最大の企業となりました。また繊維を中心に扱う商社も勃興し、なかでも伊藤忠は非財閥系としては最大の総合商
社に成長しました。さらに、大阪を中心とする企業からは武藤山治や小林一三、村田省蔵などの新しい世代の実
業家が誕生しました。そして、日清戦争の頃には、大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれるようになり、第一次
世界大戦後には、東京をしのぐ日本最大の都市へと成長を遂げることになるのです。
こうした大阪の発展の基礎は、田中市兵衛や松本重太郎らのような新進気鋭の実業家によるところが大きかった
と言えます。本論で取り上げたように、田中や松本は、流通・インフラの整備というような産業の基盤となる事業を
進んで興しました。それ故に、彼らの手がけた事業には今日まで続いているものが数多くあります。
日本の経済発展について、しばしば「上からの資本主義」政策であったと言われ、確かにこれは事実の一つの側
面を現しています。しかし、大阪の発展を振り返ったとき、田中や松本のような実業家たちの官に頼らない自主独
立の大阪商人の気概が見受けられ、加えて企業家精神に富み革新的な試みを実現しようという勇気や高い志が
ありました。近代大阪の発展の原点には、こうした民間活力の発揮があったと言えるのではないでしょうか。
■田中市兵衛(天保9年から明治43年)の軌跡
■松本重太郎(弘化元年から大正2年)の軌跡
■参考文献及び写真出所
・『秘書綴―自明治二十五年至明治二十八年―』
・『秘書綴―明治三十九年以降―』
・『贈位一件―昭和三年―』
・『当代の実業家人物解剖』(実業之日本社、明治36年)
・『財界物故傑物伝』(実業之世界社、昭和11年)
・『大阪商船株式会社五十年史』(昭和9年)
・『南海鉄道発達史』(昭和13年)
・宮本又次『関西財界外史(戦前編)』(関西経済連合会、昭和51年)
・阿部武司『近代大阪経済史』(大阪大学出版会、平成18年)
・写真(1)『実記・百年の大阪』(読売新聞大阪本社社会部、昭和62年)
・写真(2)阿部武司『近代大阪経済史』(大阪大学出版会、平成18年)
・写真(3)同上
・写真(4)『南海鉄道発達史』(昭和13年)
今回紹介した実業家の他に詳しく知りたい方は、大阪企業家ミュージアムまで足を運んでみてはいかがでしょう
か。詳しくは、以下のHPをご覧下さい。
http://www.kigyoka.jp/museum/
【レファランス便り】
当館に寄せられたレファランスの一部を紹介します

Q.「航空写真」を閲覧したい。
A.当館では、平成16年3月に大阪府土木部事業管理室検査情報センターが保管・管理してきた『航空写真(昭和
36年から平成5年)』を引き継ぎました。これらについては、館内で閲覧していただけます。
Q.「大阪府史料」(内閣文庫所蔵)を閲覧したい。
A.当館では、「大阪府史料」について、全68冊をマイクロフィルムとして所蔵しております。これらについては、館内
で閲覧していただくことができます。また、来館できない場合には複写郵送のサービスも行っておりますので、お問
い合わせください。

多くのレファランスをいただきありがとうございました。大阪府公文書館では皆様からのレファランスを心よりお待ち
しております。
【全史料協だより】(平成19年9月から20年2月)

・19年9月19日 第2回役員会開催(東京都)。
・19年10月23から24日 Ica東アジア地域支部(Eastica)第8回総会・セミナー・シンポジウムに参加(Kkrホ
テル東京)。<テーマ>電子政府化の進展と電子記録管理。
・19年11月12から17日 Ica第40回円卓会議・Ica/Spa運営委員会に参加。(カナダ・ケベック)<テーマ>グロー
バル化時代の記憶共有化 多様性保存のための協力。
・19年11月20から22日 第33回全国大会開催(茨城県)。<テーマ>アーカイブズの新時代へ個性ある存在を
めざして。
・19年12月3日 第2回アーカイブズ関係機関協議会に参加(国立公文書館)。
・20年2月20日 第3回役員会開催(奈良県)。※ 詳細は全史料協HPをご覧下さい。
http://www.jsai.jp/

全国歴史資料保存利用機関連絡協議会
〔全史料協〕事務局 大阪府公文書館

平 成 1 9 年 度 大 阪 府 公 文 書 館 運 営 懇 談 会
昨年12月14日、第22回運営懇談会(座長山中永之佑大阪大学名誉教授)が開催され、1公文書館の運営状況
2アーカイブズ・フェアの実施状況等について審議されました。
事務局から、昨年9月府議会での公文書館に関する質疑の内容、全国歴史資料保存利用機関連絡協議会(事務
局)としての活動内容、全国都道府県立公文書館の概要等についても併せて報告されました。委員からは、政府
において公文書管理法(仮称)の制定や公文書館の充実などの動きが活発になっていることに呼応して、大阪府
においても一層公文書館の充実に努めるべきこと、大阪府域のアーカイブズの中核施設として必要な予算の確保
に努めること、アーカイブズ・フェアは参加者のニーズをふまえて積極的に拡充すること等の意見が述べられまし
た。さらに委員から、府立の公文書館及び図書館の調査相談・調査研究機能の充実に資するため、資料の貸出
などの相互協力を検討すべきであるとの提言がありましたので、事務局において具体的な内容を検討しておりま
す。
今後も、府民の皆様に幅広く活用していただくため、よりよい当館の運営に努めてまいります。

≪公文書館からのお願い≫
当館は、歴史的文書の保存利用を通じて、府民の文化活動等を支援する調査研究機関です。皆様のご協力・ご
相談をお待ちしております。
○所有する文書史料その他を寄贈または寄託したい。
○公文書館の特別講座について講師として登録をしたい。または、特別展について出展協力したい。
○アーカイブズに関する教職員研修や教材作成に協力してほしい。
○アーカイブズに関する研究や資料収集に協力してほしい。
○古文書解読などアーカイブズに関する自主的な研究グループをつくって継続的に学習したい。 他                                                    

「国際アーカイブズの日」
 
国際公文書館会議(Ica)は、Icaが設立された6月9日を「国際アーカイブズの日」と定め、加盟各国地域に対し
て、アーカイブズ(記録資料・文書館)を普及啓発するための様々な取り組みを求めています。大阪府公文書館
は、この取り組みに協賛して、6月に展示会の開催を計画しておりますのでご期待下さい。

平成19年度大阪府公文書館アーカイブズ・フェアをふりかえって
昨年度にひきつづき、大阪府公文書館アーカイブズ・フェアを平成19年9月18日から11月16日まで開催いたし
ました。
今回のフェアには、社会福祉分野の専門的知識を補充するため、大阪府社会福祉協議会及び永岡正己氏、並び
に小笠原慶彰氏に全般的にご助言、ご指導などのご協力を頂きました。また、企画展は、大阪府社会福祉協議
会、及び大阪府民生委員児童委員連盟などのご協力によって、文書資料のみならず、多様な現物資料も展示で
き、来館者の方にも満足して頂けたようです。
また、特別展では、創設時からの文献資料など、諸団体・諸施設からの出展協力を頂き、多くの展示資料、展示
物が所狭しと並べることができました。この展示では、実際手にとって見られる、触れられるということに重点をお
きました。その結果、来館者の方には、実際に触れて慣れ親しんで頂けたのではないかと思います。これもひとえ
に、諸団体・諸施設のご協力の賜物であります。今後も、このように、外部の団体・施設のご協力を得ながら、いっ
そう充実した展示を催し、親しみやすい公文書館の実現に向けて、努力してまいりたいと考えております。
また、今回の講座は、実に充実したものとすることができました。その結果として、多くの方々に来館・受講して頂
き、有意義な秋の一時を過ごして頂くことができました。講師をご担当頂きました12名の先生方に対しまして、心よ
り御礼を申上げます。
大阪府公文書館は、大阪府域のアーカイブズの中核施設・専門施設として、今後とも、多様なアーカイブズを紹介
させて頂きたいと存じております。

今回のフェア等へのご意見は、次頁のとおりです。

● 企画展「大阪の社会福祉の歴史」
・ 「民生委員」に関連した資料がよく収集されており、民生事業についての内容の紹介も上手くまとめられていた。
・ 方面委員の歴史に興味があったので、珍しい資料を見ることができてよかった。
・ 普段、注目をあびることの少ない、福祉という分野を取り上げられていたので、よく分かった。

● 特別展「大阪の社会福祉施設と
福祉活動家」
・ 今回の展示は、様々な団体の協力でできており良かった。
・ 点字のタイプライターなど、実物が展示されており良くわかった。
・ 福祉活動を含め、それを発展させた先人達の熱意が伝わってくる展示だった。特別展では、自分の知らない施
設が多く、それを創設・運営されている人々の志が、この社会の基盤を文字通り支えていることを教えられる展示
であった。

● 歴史講座「大阪の社会福祉の歴史」
第1回 歴史講座(10月15日)
講師:永岡 正己氏
・ このような機会にふれ、学びを深めていくことが大事だと再認識させて頂いた。先生の講座は、とても勉強になっ
た。
・ 内容が非常に盛り沢山で、興味深かった。大阪の社会福祉の歴史について、ほぼ理解出来た。ありがとうござい
ました。

第2・3回 歴史講座(10月22・29日)
講師:専門員 矢嶋 光
・ 資料が整理され、話もわかり易く丁寧でした。新任、又は中堅民生委員にも復習として教えて頂きたいものです。
・ 今、地域で一人暮らしの高齢者などのボランティアに関わっているが、今日の話を聞き、地域に根ざしたボランタ
リズムの精神を生かした活動を何かと支援したい気持ちになりました。

● 古文書講座「古文書の解読」
(10月9・16・23日、10・17・24日、11・18・25日の3コース)
講師:専門員 松田 ゆかり
・ いつも、基礎から丁寧・親切な講義をしていただき、受けるたびに、古文書に興味を持つようになってきました。
全く初めての者にでも、丁寧な講義をしてもらい、意欲も湧いてきます。
・ 古文書をよみたくても、なかなか1人ではできないので、こういう講座があってよかったと思う。
・ はじめにくずし字を教えて頂けて、基礎から始まり、本格的なものに発展していくので、非常に参考になります。
● 特別講座(第1回から第11回)
第1回「大阪の市町村社会福祉協議会活動
-その発展過程」講師:佐藤 貞良氏
・ 大変具体的なお話でわかりやすかった。今後も引続き講座をして頂きたいと思います。
・ 社会福祉協議会のとり組みや、今後の福祉の発展方向などがわかる貴重なお話でした。
・ 先生のお話しから、現場や社会制度ができた背景、意味を深く学ぶことができ、大変勉強になりました。

第2回「日本国憲法は『押しつけ憲法』か?
―大阪府公文書館所蔵『羽室家文書』等を手がかりにして―」講師:小野 博司氏
・ 「憲法」に関連した諸事情がよくわかり、よい勉強となりました。また、憲法関連の講演会の開催をよろしく。
・ おもしろかった。憲法には、まったく興味がなく、友達のつきそいという感覚だったのですが、知らぬ間に熱中して
聞いていました。

第3回「与謝野晶子物語」
講師:西 真理子氏
・ ユニークな先生の熱演がたいへんよくおもしろかったです。この企画を続けて開催して下さい。
・ 大阪弁の講談調の如き、情感タップリの語り、知らなかったことも沢山わかり、豊かな気持にさせて頂くことがで
きました。

第4回「19世紀末のニューヨークにおける郵便事情」講師:森本 行人氏
・ 気送管というもので郵便を送るという発想が、非常に面白く興味深かったです。
・ 日本の郵便制度とは違い、何となく壮大な計画が行われていたのが、いかにもアメリカらしく感じました。次回も
期待しています。

第5回「阪大ジーパン論争―30年たった今―」講師:小山 有子氏
・ この事件の当時、京都の大学に出てきた私とほぼ同世代の話で、興味がありました。当時、全然知らなかったこ
とが、お話でよくわかりました。
・ 思い起こせば、確かにジーパンより、スカートの方が多かった気がする。今は、もっと違う部分で、大学では問題
になるのかな・・・?

第6回「茅渟の海の歴史」
講師:山本 祐弘氏
・ 地元の話題、茅渟の海の由来を分りやすく理解することが出来て、満足しました。
・ テーマに興味があって、講座を受講させて頂きました。はじめての受講だったのですが、期待通りの素晴らしい
内容に、とても満足しました。
・ 山本先生のファンになりました。

第7回「日本とイギリスの医療制度の違い
―医療機関の受け方の違いと患者と医師の関係」
講師:田畑 雄紀氏
・ 欧州ヨーロッパの階級制度の事がよく判り、例えもわかりやすく、理解しやすい講義でした。
・ 知らなかった英国の医療制度について、よく分りました。お話を伺って、今後、病院へ行く際には、真剣に考えて
医療と向き合いたいと思いました。

第8回「19世紀後半の世界旅行-小説『80日間世界一周』から見える世界と日本-」
講師:宇都宮 浩司氏
・ 短い講座の時間で、すごい世界旅行が出来た気分です。産業革命から今日までの約200年の進歩はすばらし
い!
・ たいへん興味深く、様々なお話を聞けて、良い時間を過ごせました。次回も「カナダPart2」に期待しておりま
す!

第9回「大阪の社会福祉の沿革について」  講師:明石 隆行氏
・ 先生のお話は興味深く、楽しい時間を過ごさせて頂きました。時間があっという間に過ぎました。
・ 大阪の福祉を学びたいと思って参加しましたが、漠然としかイメージできていなかった福祉行政の流れが分か
り、大変勉強になりました。

第10回「明治時代からバキューム車の登場まで―大阪の屎尿汲み取りの歴史を追う―」
講師:石川 浩士氏
・ 割と最近まで、自宅が、汲み取りだったので、興味深く受講しました。
・ 屎尿に何か利用価値を見出して有効活用できればいいのにと感じました。
・ 現在でも海に屎尿を捨てていることがあるという報道を目にし、近代の屎尿処理について知りたいと思い受講し
ました。
第11回「大阪府知事としての林市蔵」
 講師:小笠原 慶彰氏
・ 林市蔵知事が、大阪の歴史の中で活躍されたことがよくわかりました。先生のご著作を今後楽しみにしておりま
す。
・ 本当に面白く聴くことができました。ありがとうございました。早速、参考文献など見てみたいと思います。

★ 公文書館に対するご意見

・ 今回、講座をはじめて受講したが、知らなかった事や初めて聞く話で、大変勉強になりました。今後もぜひ続けて
下さい。
・ 年1回の連続の講座より、毎月せめて1から2回程度で分散させて、定期的な公開講座をもってほしい。
・ 講師の方の労苦が偲ばれる良い講座が多いので、もっと広報の充実をお願いしたい。府公文書館の存在意義・
存在も広報すべきです。
・ “実りある秋”を体験させていただきました。
・ 講師の声が、特に高齢者には聞き取りにくいこともある。部屋は狭くても、マイク・音響設備などがほしい。
・ 土・日・祝日の開館を希望します。平日だけでは行きたくても行けない。

この他にも、さまざまなご意見、ご感想などをいただきました。今後の展示・講座開催に反映させてまいります。誠
にありがとうございました。

【所蔵資料の状況】
・136,006件(平成19年12月末現在)
(平成18年末に比べ1,773件の増加)

利 用 案 内
◆ 閲覧時間
・月曜日から金曜日 午前9時15分から午後5時
◆ 休館日
・土曜日、日曜日、祝日及びその振替休日
・年末年始(12月29日から1月3日)
・毎月末日(土・日等休日の場合は、その前日)
公文書館は、主に府が作成・入手した公文書や資料類のうち歴史的・文化的な価値があるものを保存し、広くみな
さんにご利用いただく施設です。
最寄駅
 阪堺電軌上町線帝塚山三丁目駅(徒歩3分)
 南海高野線帝塚山駅(徒歩6分)
 大阪市営バス姫松、府立総合医療センター
 (徒歩6分)
大阪府公文書館 大阪あーかいぶず 第41号 平成20年3月1日発行
〒558-0054 大阪市住吉区帝塚山東2丁目1-44/Tel06-6675-5551/FAX06-6675-5552
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Tel
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