大阪府公文書館 - 大阪あーかいぶず第44号
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大阪 あーかいぶず第44号

archives(あーかいぶず)とは、英語で記録資料・文書館という意味です。
目   次
 杉山元治郎と戦前大阪の無産運動………………………1頁
 レファレンス便り……………………………………………6頁
 平成21年度公文書館アーカイブズ・フェアのお知らせ…7頁
 平成21年6月の特別展をふりかえって…………………11頁
第44号 平成21年9月
大阪府公文書館発行
杉山元治郎と戦前日本の無産運動
大阪府公文書館 矢嶋 光(やじま あきら)
■はじめに
 江戸時代には「天下の台所」と呼ばれ、商業都市として発展してきた大阪は、明治、大正時代を経て「煙の
都」として工業都市の性格もあわせ持つようになりました。明治10年代には紡績業を中心に蒸気機関を動力
とした大規模な工場が開設されるようになり、工業化が進展しました。日清・日露戦争を経て、さらに第1次世
界大戦後になると、紡績業に加えて金属や機械、造船業など重化学工業も勃興しはじめ、大正14(1925)年
には東京をしのぐ日本最大の都市へと成長しました。他方で、こうした急速な工業化を支えたのは安価な賃
金で長時間働く多数の労働者たちでした。第1次世界大戦後の大正12年における大阪府下の労働者は22万
人に上り、これは大阪府下の人口の約8%に当たるものでした。
こうした労働者層の形成によって、新たに社会問題、労働問題が生じることになりました。工業化の進展した
日清、日露戦争後には、労働者たちは待遇改善を求めて組織的な運動を展開するようになりました。大阪で
も明治39(1906)年の大阪砲兵工廠の争議を頂点として大日本製糖会社や大阪鉄工所、大阪市電などでも
大規模なストライキが発生しました。また、第1次世界大戦前後から全国的な労働組合の結成が目指される
ようになり、大正元年に鈴木文治を会長として友愛会が東京で設立されると、これに呼応する形で同4年に
大阪にもはじめて支部が発会しました。工業都市として成長した大阪では、こうした労働組合の組織がいち
早く発達し、数百人規模のストライキが頻発するようになりました。
一方、第1次世界大戦をはさんで工業化が大きく進んだといっても、全国ではまだまだ農業人口がその多くを
占めていました。工業化の進展が著しい大阪でも大正12年における農家戸数は約88,000戸で、これは大阪
府下の全戸数の約14%に当たるものでした。しかも、この内の約80%が小作人(自小作農を含む)であり、
都市労働者と同様にその生活は極めて不安定なものでした。そして、急激な都市化の進展がその苦しい状
況に拍車をかけました。こうした中で労働運動の高まりは農村にも大きな影響を与え、小作料減額や耕作権
確立を求める小作争議が頻発するようになり、同時に争議を支える農民組合が組織されていきました。戦前
日本の無産運動はこの農民組合を一つの中心として展開されていくことになります。
都市部を中心に農村が取り囲む大阪は戦前における無産運動の中心地となっていきました。今回はその中
でも、大阪府出身の農民組合運動の指導者であった杉山元治郎の軌跡を辿りながら戦前日本の無産運動
を概観してみたいと思います。
■生い立ち
 杉山元治郎は、明治18(1885)年11月18日、父政七、母具満の子として、大阪府泉南郡北中通村(現在の
泉佐野市)に生まれました。杉山家は、江戸時代には地元の富豪であった食野家の船頭を務めていました
が、次第に家運が傾き杉山が小学校へ通う頃には貧しい農家になっていました。こうした家庭の事情は杉山
自身の進路に大きな影響を与えました。高等小学校を卒業した杉山は、苦しい家計のために中学校への進
学を言い出すことができませんでした。しかし、杉山は進学への希望をあきらめず、大阪府から学資補助を
受けられる大阪府立農学校へと進学することを決意しました。
 大阪府立農学校への進学はその後の杉山にとって大きな財産となるものでした。農学校の全寮制による
実習重視の教育によって、杉山は農業の実際的な知識と技術を身に付けることになりました。さらに、このと
き杉山はキリスト教に入信し、農学校を卒業すると大阪から遠く離れた宮城県にある東北学院神学部に進
学しました。明治42年に東北学院を卒業した杉山は牧師として福島県の小高教会に赴任し、キリスト教の伝
道活動を行うことになりました。杉山は農学校での知識と体験を活かして独特の伝道活動を展開しました。
小高教会時代の杉山はキリスト教の伝道に努める傍ら、自ら工夫した「杉山式互用犂(ごようすき)」などの
農具を考案し、土壌学や肥料学の講義をして近隣の村々を回りました。当時の杉山は「朝フロックコートで説
教しているかと思えば、午後は荷車を引っ張って町を通る」というユニークな牧師であり、村々からは「活きた
農業辞典として重宝」される存在であったといわれています。こうした杉山の実践的な活動に多くの農民が信
頼を寄せるようになり、赴任して10年後に教会堂を設立し、さらに日曜学校を開くまでになりました。この後、
農民運動へと飛び込むことになった杉山は、多くの農民から慕われて運動の中心的存在となっていきます。
その背景には、理論に終始しがちな知識人による社会運動と比較して、杉山の活動は農業の実際に根ざし
たものであり、杉山自身が農業の経験を持っていたからに他なりませんでした。

■日本農民組合の結成
 大正9(1920)年、杉山はこの当時勃興し始めた社会運動の実際を見学するため、福島県から郷里大阪へ
と戻りました。この頃の大阪は、当時における社会事業の先進地域でした。明治以来、大阪では民間による
社会問題への取り組みが活発に行われていました。例えば、明治2(1869)年には、庶民の医療機関として
緒方惟準や高橋正純らによって大阪病院が設立され、その後一旦廃止されるものの、鴻池善右衛門や住
友吉左衛門らの寄付によって同6年に再興、21年には貧民医療機関として大阪慈恵病院へと発展しました。
この他にも、明治42年に日本赤十字社大阪支部病院、大正5年に済生会大阪病院(恩賜財団済生会は明
治44年に設立)が、それぞれ設立されました。さらに児童保護機関として、明治19年に井上三登治による愛
育社、同23年に播州赤穂の小橋勝之助による博愛社(32年に林歌子らが、小橋の遺志を継ぎ大阪に移
転)、26年に林可彦による愛隣夜学校、29年に加島敏郎による大阪汎愛扶植会が、それぞれ設立されまし
た。他にも、養老機関として、岩田民次郎による大阪養老院(35年に設立)などがありました。

また、大正時代に入ると大阪府もようやく社会問題に取り組みはじめました。大正2年に府知事に就任した大
久保利武は、「未だ嘗て手の着けられなかった社会事業の奨励」を抱負として語り、『恤救十則』の著者で社
会事業の学者として著名な、小河滋次郎博士を大阪に招聘しました。小河博士は、救済事業研究会を開
き、これまで個別に運営されていた民間の社会事業相互の連絡・調整を図りました。研究会には、社会事業
団体の関係者だけでなく、医療関係者や教師も参加し、大久保知事自身も出席したといわれています。そし
て、この研究会を基礎として、大正4年に大阪社会事業協会が設立され、小河博士は社会事業団体の育成
に努めました。
大正6年、大久保知事に代わって着任した林市蔵知事は、小河博士を引き続き府嘱託としました。林知事
は、着任直後の救済事業研究会の席で、救済事業を「発展進歩せしめて、社会不備を補足解決」する必要
を述べ、前任の大久保知事同様に社会事業に積極的な姿勢を示しました。そして、林知事と小河博士の努
力によって、大正7年に、大阪府処務細則が改正され、府の救済事務を扱う専門の部署として、救済課が設
置されるとともに、大阪府独自の福祉制度として、方面委員制度が発足しました。
 大阪に戻った杉山は、大阪市立弘済会の育児部に勤めながら、大原社会問題研究所に通って社会学や
社会運動の理論を学びました。杉山が勤めた弘済会は明治44年に大阪府知事、大阪市長、朝日新聞社
長、毎日新聞社長の4名を発起人として設立された慈善団体であり、また杉山が学んだ大原社会問題研究
所は大正3年に倉敷紡績の社長であった大原孫三郎によって設立されたもので、研究所には高野岩三郎や
森戸辰男、久留間鮫三など東京帝大出身の経済学者たちが集まっていました。他にも、先に挙げた大阪府
が開いた救済事業研究会にも熱心に出席するなど、杉山は社会事業の先進地域であった大阪でその理論
と実践を学びました。
 こうした中で、杉山は同じくキリスト教徒で社会運動家であった賀川豊彦と出会いました。賀川は神戸市の
貧民窟に住み込みながら、キリスト教の伝道と医療活動を行っていました。この頃の賀川は労働組合運動に
も関わるようになり、鈴木文治率いる友愛会の関西労働同盟会の理事長を務めていました。以後、杉山と賀
川は頻繁に連絡を取り合うようになり、農業労働者の困窮の解決策の一つとして、小作人による組合の結成
を模索するようになりました。そして大正11年4月9日、日本農民組合の創立第1回大会が開かれ、本部を大
阪市西野田江成町に定め、組合長には杉山が選出されました。

■農民組合運動の展開
 日本農民組合の大阪府下における最初の支部が作られたのは北河内郡津田村(現在の枚方市)でした。
大正11(1922)年1月、第1次世界大戦の終結にともなう米価の急落による農村不況に苦しんでいた同村の
小作人たちは、小作料の引き下げを求めて争議に立ち上がりました。しかし、大峯部落の地主13名が小作
料引き下げに応じず、これを拒絶しました。争議がつづく中、同年に結成されたばかりの日本農民組合の杉
山やその他に弁護士らが大峯部落へと駆けつけ、杉山はここで小作人大会を開き組合支部を結成して地主
に対抗しました。その後、争議は調停によって小作人の要求通りに解決し、これをきっかけとして日本農民
組合の影響が府下に浸透していくことになりました。また同年の北河内郡山田村(現在の枚方市)や三島郡
山田村(現在の吹田市)の争議では、地主が一方的に土地を取り上げる強硬手段をとったにもかかわらず、
組合員の団結によって小作人の要求を達成しました。この他にも、中河内郡北江村(現在の東大阪市)、三
島郡鳥飼村(現在の摂津市)、泉南郡熊取村(現在の熊取町)での争議も小作人に有利に解決しました。こ
の結果、大阪府下には北河内、河内、北摂、和泉にそれぞれ連合会が組織され、大正14年末には連合会
の下に103の支部が作られ、組合員は4,828名に達しました。組合組織の拡大は大阪のみにとどまらず、同
年末の全国における組合員は7万人を超えました。
 こうした組織の拡大を背景として、日本農民組合は政治的進出を図っていくことになりました。これまで地
主たちによって独占されてきた部落役員を住民の選挙によって選ぶことを要求しました。また、大正10年に
市制・町村制、翌年に府県制がそれぞれ改正され、市町村会議員や府県会議員の選挙権が拡大すると、組
合の代表者を送り込むために積極的に選挙活動を展開しました。大正12年の府県会議員選挙では全国で
16名の候補者を立て、大阪では日本農民組合の顧問弁護士で法律部長として活動した吉田賢一が立候補
しました。さらに、大正デモクラシーの風潮の中で普通選挙運動が盛り上がりを見せると、既存の政党に頼
ることなく小作人のための政党結成を目指すようになりました。その中で国政選挙において独自候補を擁立
して闘うために、労働組合やその他の農民組合を合同した単一の無産政党の結成が必要とされました。日
本農民組合は無産運動における最大の組織としてこれを主導し、日本労働総同盟など労働組合の協力の
下に大正14年に農民労働党を結成しました。もっとも、このときは結党のわずか3時間後に治安警察法によ
り解散命令を受けて頓挫してしまいました。しかし、翌年に再び無産政党の結成に着手して、労働農民党を
結成、杉山はその委員長に就任しました。
 ところが、さまざまな諸団体を含む政党結成は運動方針をめぐる対立を内部に抱え込むことになりました。
なかでも、ロシア革命以後の共産主義運動の高まりの中で、階級闘争によって一気に社会変革を目指す左
派と人道主義に基づく社会改良を目指す右派との間で激しい対立が生じました。この結果、大正15年末に右
派は労働農民党を脱退し、新たに社会民衆党を結成しました。さらに同年に右派の中でも分裂が生じて、中
間派と呼ばれるグループが日本労農党を結成することになりました。しかも、政党の分裂は日本農民組合に
も波及することになりました。こうした中で杉山の立場は微妙なものでした。杉山はこれまでキリスト教に基づ
く社会改良を目指して活動してきた人物であった一方で、小作争議の問題を通じて組合活動の中心を担うよ
うになっていました。杉山は労働農民党分裂の責任を取って委員長を辞職するとともに、日本農民組合の組
合長についても辞任しました。杉山はあくまでも統一的無産政党の結成を目指す中間派に所属し、新たに全
日本農民組合(昭和2年に結成)の組合長に就任しました。
 無産政党の分裂はその運動に混乱をもたらすことになりましたが、それでもその政治的進出は着実に進
みました。大阪では昭和2(1927)年の府会議員選挙(定数65名)で2名の無産系候補が、昭和4年の市会選
挙(定数88名)で13名が、それぞれ初当選しました。また昭和3年に行われた初の普通選挙による衆議院総
選挙では全国で8名の無産系候補が当選し、大阪からは社会民衆党の西尾末広、鈴木文治の二人が当選
を果たしました。このとき杉山は大阪5区から日本労農党の候補として出馬しましたが、次点で落選しまし
た。しかし、その後の昭和7年の総選挙で初当選を飾り、終戦まで連続当選をつづけました。

■戦時体制と農民組合運動の挫折
 初当選を飾った年の6月、杉山は第62回帝国議会衆議院本会議で質問演説に立ちました。この席で杉山
は、世界恐慌の中で生糸輸出の減少と農産物価格の下落によって困窮していた農村問題を取り上げ、農家
借金の支払い猶予及び一部棒引き、負債整理のための債券発行など時局的なものと同時に、年来の主張
であった小作法の制定による耕作権の擁護を求めました。なかでも小作法の制定は議員としての杉山がそ
の成立に情熱を傾けたものの一つで、その後の第63議会に「小作人保護法案」を、第65議会には「小作法
案」をそれぞれ提出しました。また、昭和6(1931)年9月に勃発した満州事変に対応する膨大な軍事費が盛り
込まれた昭和8年度予算に対して、国防よりも国力の充実こそ重要であるとの観点から反対討論に立ちまし
た。
 一方、無産政党の中からは戦時体制に協力する人々が現れるようになりました。この頃、軍部は総力戦体
制の構築のために資本主義経済を是正して、統制経済の導入を意図するようになりました。無産政党の一
部には、軍部の姿勢を資本主義から社会主義への転換と捉え、軍部との協力によって社会改革を実現する
ことが考えられたのです。昭和7年、右派の社会民衆党の中から赤松克麿らがこうした考えから国家社会主
義を掲げて日本国家社会党を結成しました。他方で、国家社会主義への対抗から再び統一的無産政党結
成の機運が高まり、同年に社会民衆党と全国労農大衆党(昭和5年に左派と中間派の合同によって結成)が
合同して、社会大衆党が誕生しました。しかし、当初は「ファッショ反動粉砕」を掲げていた社会大衆党の中
にも、昭和9年の国防国家建設のための統制経済の必要を説いた「陸軍パンフレット」をきっかけとして、麻
生久らのように反資本主義勢力の結集のために軍部との協力を進めるべきだとの考えが現れ始めました。
 これに対して、大阪では違和感を唱える声が相次ぎました。社会大衆党大阪府連は軍部の政策が反資本
主義であることを認めつつも、実際には軍事費の増大が農民救済や労働者の生活を圧迫するものとなって
いることを指摘しました。また昭和11年にメーデーの禁止をはじめとする労働組合運動の抑圧が実施される
ようになると、大阪府連では軍部をファシズムとして位置づけて、これと対決する姿勢を見せました。昭和10
年に第7回コミンテルンで人民戦線路線が採択されると、党本部の方針に反して反ファシズムを掲げて合法
左翼の統一による幅広い結集を目指しました。全国農民組合(昭和3年に日本農民組合と全日本農民組合
が合同して結成)の委員長であった杉山も、共産党系の日本労働組合全国評議会を交えて開かれた「労働
組合法小作法獲得労農大会」(昭和11年1月)に出席して統一的な無産運動を目指しました。さらに昭和12
年4月の総選挙では全国農民組合から杉山をはじめ17名の当選者を出し(社会大衆党としては36名)、この
勢いに乗って小作料三割減を目指す「小作料改訂運動」を全国的に展開することを決定しました。満州事変
以後も杉山は国策への協力ではなく、無産運動の継続に力を注いだのです。
 しかし、同年7月に日中戦争が勃発すると、無産運動は大きな転換点を迎えることになりました。この頃、
総力戦体制の構築を急ぐ政府は無産運動の抑圧に乗り出しており、昭和11年9月の特高課長会議では人民
戦線を弾圧する意見が出されました。実際に11月には人民戦線にもっとも積極的であった社会大衆党大阪
府連の椿繁夫が検挙されました。また、同年に陸軍の工廠では労働者の組合活動が抑制され、労働者は労
働組合から強制的に脱退させられました。日中戦争の勃発はこうした圧力をさらに強め、昭和12年末から翌
年のはじめにかけて無産政党の政治家や社会運動家、マルクス主義系の学者など500名近くを一斉に検挙
する、いわゆる人民戦線事件が起こりました。同時に労働組合や農民組合に対して、挙国一致の観点から
闘争的な運動方針を改めるように指導が行われました。
統一的な無産政党であったはずの社会大衆党も軍部との協力を目指す勢力を内部に抱えつつ、一方で合
法左翼の統一を目指す勢力が混在しており、こうした圧力に対して積極的に抵抗することはありませんでし
た。むしろ、傷病兵や出征兵士遺家族の生活保障など「戦時社会政策の実現」を掲げて、国民生活安定の
問題と国防の問題を並列化することによって、挙国一致の担い手になっていきました。昭和15年の大政翼賛
会の成立に際して真っ先に解党、合流したのは社会大衆党でした。一方、全国農民組合もまた戦時体制に
組み込まれていきました。多くの幹部が人民戦線事件によって検挙されると、全国農民組合は自らの解体を
決定しました。その後、昭和13年4月に杉山らは新組合として大日本農民組合を結成しましたが、その方針
は「小作組合型を放棄して銃後農業生産力の拡充」へと転換するものでした。他にも「日満支総合的農業国
策と大日本農民組合の役割」を掲げて、拓務省が進める満州農業移民計画に積極的に参画していくように
もなりました。さらに、その大日本農民組合も昭和15年の新体制運動の高まりの中で解散、日米開戦後の
昭和17年に農業報国連盟として戦時体制の一端を担うことになりました。

■おわりに
 戦時体制下の杉山は農業報国連盟の理事となり、また戦時中唯一の昭和17(1942)年の総選挙では翼賛
政治体制協議会の推薦候補として当選しました。しかし、杉山が携わってきた農民組合運動は戦時体制の
下で完全に禁圧されていました。他方で、戦争遂行のための食糧増産が求められる中、農民組合運動の宿
願であった小作人の土地取得による自作農創設が推進されていきました。地主制度による小作人の労働意
欲の低下を懸念して、食糧増産の担い手として適正経営農家を育成することが目指されたのです。そして日
本の敗戦後、占領軍による民主化改革の一環として農地解放が実施されたことによって、自作農創設の目
標は完全に達成されることになりました。
 一方、占領期間中の杉山は戦時下の翼賛議員としての活動が公職追放令に該当し、一切の政治活動か
ら引退することになりました。もちろん戦前以来の農民組合が自作農創設を掲げ、また当面の目標として小
作料減額や耕作権確立を目指した運動は戦時・戦後の自作農創設に大きな影響を与えました。しかし、自
作農創設の最終段階は組合自身の手ではなく、戦時あるいは占領という特殊な環境の下で達成されること
になりました。また農民組合運動の主目的であった小作人による土地取得が達成されたことによって、運動
は次第に衰退していくことになりました。占領期が終わって高度経済成長時代を迎えると、農民の関心は土
地取得から農業経営の向上へと変化していきました。
昭和25年、追放解除となった杉山は社会党の代議士として国政に復帰しました。昭和30年から33年にかけ
ては衆議院副議長も務めました。その一方で、戦後に再出発を果たした農民組合運動にも参加しました。杉
山は昭和31年の講演「新しい農民運動―農村の在り方―」の中で、土地取得後の農民組合の運動方針は
第一に「経営内容をよくすること」であり、すなわち「小面積を耕作しながらこれを科学的に合理的に経営する
こと」であると述べました。このとき杉山は具体的な例として、狭い土地で階層にして養鶏を営む農家の話を
挙げ、また小規模でも乳牛や家鶏、羊を飼育することによって牛乳や卵、羊毛を自家で消費し、さらにその
屎尿から堆肥を作れば金肥の節約になるなどの話をしました。同時に、この頃の杉山はキリスト教の伝道活
動からアカデミー運動に携わるようになりました。アカデミー運動は第2次世界大戦の反省から、戦後ドイツで
意見の対立する人々の間における対話の必要性を強調してはじめられたもので、杉山らによって日本に持
ち込まれました。昭和36年に日本クリスチャン・アカデミーが設立されると、杉山は理事長に就任しました。昭
和30年の自民党結成と社会党統一によって保革対立が決定的となる中、農民組合運動の指導者として活
躍した杉山は、キリスト教伝道と農村の技術指導や文化活動に携わっていた小高教会時代の杉山へと回帰
したかのようでした。そうした杉山の姿は、戦前日本の無産運動の中心を担った農民組合運動の一つの区
切りを象徴するものでした。
 
■主要参考文献
・『主要小作運動者略歴』(大阪府公文書館所蔵資料)
・杉山元治郎伝刊行会『土地と自由のために―杉山元治郎伝―』(杉山元治郎伝刊行会、昭和40年)
・農民組合史刊行会『農民組合運動史』(社会労働協会、昭和35年)
・農民組合創立50周年記念祭実行委員会『農民組合五十年史』(御茶の水書房、昭和47年)
・大阪社会労働運動史編集委員会『大阪社会労働運動史』戦前編上・下(有斐閣、平成元年)
・増島宏、高橋彦博、大野節子『無産政党の研究』(法政大学出版局、昭和34年)
 
  レファレンス便り 
 
これまでに、皆様から当館に寄せられたレファレンスと回答の一部を紹介します。

Q.公文書館の資料を複写したい。
A.当館の資料は、申請して頂ければ複写いたします。複写料金は、通常、資料1枚10円、マイクロフィルム
は1枚30円となっております。なお、遠隔地にお住まいでご来館できない方の場合には、複写・郵送サービ
スも行っておりますので、お気軽にお問い合わせ下さい。

Q.明治時代の府令(府の命令)を見たい。
A.府令は、『大阪府公報』に掲載されております。当館では、資料のデジタル化を進めており、『大阪府公報』
については、明治21年1月(創刊号)からのものが、当館のHP上にて、ご覧いただけます。

Q.江戸時代や明治時代の古い文書が見たい。
A.江戸時代の古い文書、いわゆる古文書や近代以降の明治・大正の公文書は、当館の貴重書庫に所蔵し
ております。川中家文書をはじめとして、金井家文書、大庭コレクションをはじめ、知事事務引継書など、貴
重な資料を収集・保存しており、また皆様の閲覧に供しております。
 
Q.どのような所蔵資料があるのか教えてほしい。
A.当館の所蔵資料は、当館HPの資料検索にて、検索していただけます。キーワード等を打ち込んでいただ
きますと、どのような所蔵資料があるのか、簿冊・件名の双方で検索していただけますので、どうぞご利用く
ださい。

そのほか、多くのレファレンスをいただきまして、本当にありがとうございました。公文書館では皆様からのレ
ファレンスを、心よりお待ちしております。

平成21年度大阪府公文書館アーカイブズ・フェアのお知らせ
本年度におきまして、下記の要領で、恒例のアーカイブズ・フェアを開催する運びとなりました。つきまして
は、企画展ならびに古文書講座・歴史講座・各種特別講座を開催致します。
今回は、人気もあり、恒例となっております古文書講座に加えまして、歴史講座二部、特別講座を九部としま
して、多種多様で充実した講座内容としております。特に、ボランティアで外部の講師の先生方にお願いして
おります特別講座は、新進気鋭の若手の研究者の方々から、ベテランの先生方まで多種多様となっており
まして、アカデミック、かつ楽しくてわかりやすい講座内容となることが期待されます。決して、ほかでは聞くこ
とのできない講座が目白押しとなっております。
どうかこの機会をお見逃しなく、ご予定をお繰り合わせの上、ぜひとも奮ってご参加いただきまして、秋の文
化の一時をお楽しみいただけますよう、宜しくお願い致します。
                   
【企画展】
 テーマ
 「所蔵資料で振り返る大正期の大阪府」
 と き
 平成21年10月1日木曜日から11月27日金曜日
午前9時15分から午後5時
(10月24日土曜日、25日日曜日、11月3日火曜日文化の日、23日月曜日勤労感謝の日は特別に開館。上記以外の土曜日・日曜日・祝日・月末日は休館。)
 ところ 大阪府公文書館 2階展示室
                   
 
【古文書講座】
 テーマ
「古文書の解読」(初心者向け古文書講座)
 と き・講 師
 講座番号 1火曜日コース
平成21年10月13日・20日・27日
 講座番号 2 水曜日コース
平成21年10月14日・21日・28日
 講座番号 3 木曜日コース
平成21年10月15日・22日・29日
各回午後2時から午後3時30分まで
※123の内容は同じ。いずれかをお選びください。
【講 師】 松田 ゆかり(まつだ ゆかり)
大阪府公文書館非常勤嘱託員。
 
 
【歴史講座1】
 テーマ
「公文書館所蔵資料でみる、大正時代の大阪」
 と き・講 師
 講座番号 4 平成21年11月17日火曜日
午後2時から午後3時30分まで
【講 師】 矢嶋 光(やじま あきら)
大阪府公文書館非常勤嘱託員。
 
 
【歴史講座2】
 テーマ
「戦前日本の国家と地方の財政
―地方「自治」の問題を焦点として-」
 と き・講 師
 講座番号5 平成21年11月23日月曜日
午後2時から午後3時30分まで
【講 師】 矢切 努(やぎり つとむ)
大阪府公文書館非常勤嘱託員。
 
                   
【特別講座 第1回】
 テーマ
「与 謝 野 晶 子 物 語 
   - 大正時代の晶子 ―」
 と き・講 師
 講座番号 A 平成21年10月24日土曜日
 午後2時から午後3時30分まで【講 師】 西 真理子(にし まりこ)氏
【紹 介】 与謝野晶子研究者、なにわの語りべとして各地でご活躍されておられます。
【講座の概要】
  花の都パリをはじめ、ヨーロッパを体験して帰国した晶子さんを待っていたのは、「明るみ」ではありませ
んでした。平塚らいてう等との母性保護論争を通じて女性の自立を叫ぶ晶子さん。
11人の子の母となって生活苦と戦う晶子さんを、大正7年スペイン風邪、大正12年関東大震災が襲いま
す。さて、晶子さんは、これらの試練を如何に乗り越えるのでしょうか。
                

                   
【特別講座 第2回】
 テーマ
「カナダのフランス語圏
:ケベック州の伝統料理」
 と き・講 師
 講座番号 B 平成21年10月25日日曜日
午後2時から午後3時30分まで
【講 師】 友武 栄理子(ともたけ えりこ)氏
【紹 介】 関西学院大学非常勤講師。ラヴァル大学ケベック研究センター留学(2003から04年)。近著に、
『ケベックを知るための54章』(明石書店、2009年3月)があります。
【講座の概要】
カナダのケベック州は、かつてフランスの植民地であった地域です。現在でも、フランス語を家庭で話す人々
の割合は80%に上ります。植民地時代にフランスから持ち込まれた料理法は、北米の先住民の人々から
の知恵を取り入れ、独特の食文化を形成しています。
ケベック州の紹介とともに、ケベックの食材、ケベックの家庭で受け継がれているメニューの数々をご紹介し
ます。
食文化を通じて、カナダ・ケベックの魅力をたっぷりとご紹介していただきます。
                

                        
【特別講座 第3回】
 テーマ
「大陸横断鉄道旅行から見るカナダ
― カナダ歴史紀行150年―」
 と き・講 師
 講座番号 C 平成21年11月3日火曜日
午後2時から午後3時30分まで
【講 師】 宇都宮 浩司(うつのみや こうじ)氏
【紹 介】 博士(経済学)。京都経済短期大学講師、日本カナダ学会正会員。
【講座の概要】
  カナダ・バンクーバーで開催される冬季オリンピックが目前に迫ってきました。白銀の世界が皆さんを魅
了する日々が待ち遠しいことでしょう。そこで一足早く、カナダ自慢の大陸横断鉄道旅行を通じて、観光立国
カナダの素顔を少しアカデミックに、しかし楽しく、一緒にのぞいてみませんか。
                     

                   
【特別講座 第4回】
 テーマ
「しろうと演劇の近代
―戦争とやくざ芝居をめぐって―」
 と き・講 師
 講座番号 D 平成21年11月6日金曜日
午後2時から午後3時30分まで
【講 師】 畑中 小百合(はたなか さゆり)氏
【紹 介】 文学博士(大阪大学)。大阪大学非常勤講師(民俗学)。最近の著書に、共著「憑依と演劇―メデ
ィアの向こうの『なまなましい』身体をめぐって」(川村邦光編『憑依の近代とポリティクス』青弓社、2007年2
月)、最近の論文に「戦時下の農村と演劇――素人演劇と移動演劇」(『演劇学論集』47、2008年)があり
ます。
【講座の概要】
演劇は、いつの時代においても、人々の心を魅了する文化といえるでしょう。いろいろな時代のなかで、演劇
は、どのように人々の心を捉えていくのでしょうか。近代における「しろうと演劇」とはどのようなものであった
のか。畑中先生に楽しく解説していただきます。
                   
                        
【特別講座 第5回】
 テーマ
「中原淳一の女性像
―『美しい』女性とは何なのか」
 と き・講 師
 講座番号 E 平成21年11月10日火曜日
午後2時から午後3時30分まで
【講 師】 小山 有子(こやま ゆうこ)氏
【紹 介】 文学博士(大阪大学)。大阪大学非常勤講師。最近の著書に「和服改良論と『女性美』―明治後
期の女性の服装とその規範性をめぐって」(荻野美穂著『日本学叢書2 〈性〉の分割線』青弓社、2009年1
月)があります。
【講座の概要】
中原淳一(1909から83年)は、昭和戦前戦後において、抒情画家や雑誌編集者・人形作家として活躍し、多
くの女性たちの人気を博しました。現在においてもなお、熱い支持を受けていると言えます。ただ、現在にお
いては、彼の描くところの女性像を、永遠に美しい女性・・・女性が希求すべき“普遍的”なものとする見方が
目立ちます。果たしてそうでしょうか。
今回は雑誌『それいゆ』や『ひまわり』の記事と、社会の動きとを連動させながら、淳一の画き出す女性像に
ついて考えたいと思います。
                        
                  
【特別講座 第6回】
 テー?
「南北戦争期アメリカの大陸横断郵便
―ポニーエクスプレスの事例を中心に―」
 と き・講 師
 講座番号 F 平成21年11月13日金曜日
午後2時から午後3時30分まで
【講 師】 森本 行人(もりもと ゆきひと)氏
【紹 介】 関西大学大学院経済学研究科博士後期課程、関西大学非常勤講師。
【講座の概要】
西部開拓時代のアメリカには、一攫千金を夢見て多くの人々が集まってきていました。そんな中、唯一の通
信手段であった郵便は、彼らのもとへどのようにして届いたのでしょうか。これまで陸路では約1ヶ月、海路で
は早くても40日かかっていた輸送時間を大幅に短縮させたポニーエクスプレスのライダーたち。
大陸横断鉄道開通10年前のアメリカ中西部で活躍したライダーたちの軌跡をたどります。
                  
                   
【特別講座 第7回】
 テーマ
「日本の医療制度と世界の医療制度の違い
―医療の受け方、医師と患者の関係について、
イギリスとの比較を中心に―」
 と き・講 師
 講座番号 G 平成21年11月16日月曜日
午後2時から午後3時30分まで
【講 師】 田畑 雄紀(たばた ゆうき)氏
【紹 介】 関西大学大学院経済学研究科博士後期課程、社会保障論専攻。関西大学経済学部・政策創造
学部非常勤講師、平安女学院大学非常勤講師、相愛大学非常勤講師。最近の著書に『社会保障論概説』
一圓光彌編「第5章 医療保障制度」(誠信書房、2009年3月)があります。
【講座の概要】
日本の暮らしを楽しむ基礎となる「健康」。これを守るためにわれわれは病気になった際、医師に診てもらい
ます。しかし、日本のように自由に医療機関を選べる国は、先進国の中では少数派です。
そのような国によって異なる医療の受け方や、医療費に関する制度の違いを講師が自分の経験と絡めてわ
かりやすくお話します。そして今後の医師と患者の関係のあり方も提案していきます。
                   
 
【特別講座 第8回】
 テーマ
「大正5年の台湾旅行」
 と き・講 師
  講座番号 H 平成21年11月19日木曜日
午後2時から午後3時30分まで
【講 師】 澤崎 瞳(さわさき ひとみ)氏
【紹 介】 関西大学大学院後期課程
【講座の概要】
1916(大正5)年4月10日から5月15日まで、台北市内で、台湾総督府主催の台湾勧業共進会が開催さ
れました。日本の台湾領有20年を記念して開催されたこの博覧会には、日本から多くの観光客が訪れ、東
南アジアや南洋の島々の文化に触れます。初めて見る異国の文化は、当時の新聞や雑誌で大々的に紹介
されました。海外旅行がまだ珍しかった時代に、人々やどのようにして台湾に行き、どんな旅行を楽しんだの
でしょうか?
当時の新聞や、台湾総督府発行の統計書などを手がかりに、大正5年の台湾旅行を見ていきます。
 
 
【特別講座 第9回】
 テーマ
「古代交通の歴史
 ―交通の古代から近代への変遷―」
 と き・講 師
  講座番号 i 平成21年11月27日金曜日
午後2時から午後3時30分まで
【講 師】 山本 祐弘(やまもと ゆうこう)氏
【紹 介】 郷土史研究者
【講座の概要】
山本先生には、アーカイブズ・フェア創設以来、講師をお願いしております。山本先生の講義内容は、大阪の
様々な伝統・風土・言語を取り扱う、郷土を思うお気持ちに満ち溢れた温かい内容が盛りだくさんとなってお
り、毎回、多くの方々にご好評を頂いております。今回は、「交通」という人々の生活と密接不可分なもの、イ
ンフラ整備は、古代も現代も重要な政策の一つです。古代から近代までの歴史を通じて、「交通」がどのよう
に変遷していったのか、楽しく語ってもらいます。
各種講座の開催場所、お申し込み方法
ところ 大阪府公文書館 3階会議室
 募集定員 各回30名(先着順)
 受講料・テキスト料  無 料
 申込方法
 往復はがきに住所、氏名(ふりがな)、電話番号、希望する講座番号(古文書講座1から3、歴史講座:4・
5、特別講座:AからI、および返信用の宛名を明記の上、下記の住所あてにお申し込みください。
〒558-0054
大阪市住吉区帝塚山東2丁目1-44
06(6675)5551(電話)
 インターネットより、当館ホームページ
http://www.pref.osaka.lg.jp/johokokai/archives/
でお申し込みができます。
 携帯電話でもお申込みできます。
   QRコード
 募集締切日 講座開催日の1週間前までに必着。
 
  なお、お申し込みは、先着順となっておりますので、会場が満員の場合には、お断りさせていただくことが
ございます。申し訳ありませんが、その節は、ご容赦くださいますようお願いいたします。
  また、募集締切日を過ぎても、欠席あるいは空席がある場合もございます。そのため、締切日を過ぎて
も、ご応募していただける場合もございますので、ご希望の講座がございましたら、お気軽にお問い合わせく
ださい。
平成21年6月の特別展をふりかえって
平成21年6月8日月曜日から26日金曜日まで、当館2階展示室・閲覧室において『特別展「6月9日は国際アー
カイブズの日」高度経済成長時代の大阪』を開催しました。5月の新型インフルエンザ発生により、広報周知
活動が遅れたにもかかわらず、多くの方々にご来館いただき、誠にありがとうございました。
一昨年の12月におこなわれた国際公文書館会議(Ica)で、6月9日は「国際アーカイブズの日」として定め
られました。当館では、アーカイブズ(記録資料・文書館)普及啓発のため、Icaが定めた6月9日にあわせ
て、平成21年度特別展を企画しました。
今回の特別展は、第二次世界大戦中、大阪の中心部は米国の空襲で多大な被害をこうむり廃墟と化しまし
たが、戦後、生き残った人々の並々ならぬ努力で戦災都市を復興し、昭和30年から昭和48年(1955から1
973)にかけては、日本の経済成長率、年平均10パーセントを超える高度成長を続け、世界でも稀にみる
戦後復興を成し遂げてきました。
その終戦後の経済復興から高度経済成長時代へと移り変わっていく大阪を公文書、行政資料刊行物、写
真、映像などでご覧いただきました。
また、昭和元年から昭和64年までの大阪府の主な出来事を中心にまとめた年表を作成し、展示をご覧にな
った方々がお持ち帰りできるように、A4版の昭和時代史年表[年表下部に自由に書き込める空欄を設ける]
を配付させていただきました。「知り合いにあげたいのでもう一部いただきたい」など、多くの方々からご好評
を得ることができました。
そして、特別展のテーマにそった歴史講座、映像上映会を開催しました。6月8日月曜日と22日月曜日の午後2
時より歴史講座「関西系商社からみる大阪の戦前と戦後」(講師矢嶋光)を、講座終了後、当館所蔵映像資
料の中から「1大阪1964 2大阪ハイライト‘69 」を、約1時間の上映を行いました。
歴史講座を受けられた方より「大阪の元気がないという話がよく聞かれるが、関西発の商社の移り変わりを
見て希望が持てた。時代の節目をどのように乗り越えるか、これからの時代の方向性が少しでも見えた気が
した。」というご意見を頂きました。また、映像をご覧になった方々からは、「懐かしい」というお声を多々頂戴
いたしました。当館所蔵映像資料は、閲覧室のパソコン(DVD再生)で視聴できますので、どうぞご利用くだ
さい。
今年も10月より公文書館アーカイブズ・フェアを開催いたしますので、企画展、講座へのご参加を心よりお
待ち申し上げます。
利 用 案 内
◆ 閲覧時間
・月曜日から金曜日 午前9時15分から午後5時
◆ 休館日
・土曜日、日曜日、祝日及びその振替休日
・年末年始(12月29日から1月3日)
・毎月末日(土・日等休日の場合は、その前日)
公文書館は、主に府が作成・入手した公文書や資料類のうち歴史的・文化的な価値があるものを保存し、広
くみなさんにご利用いただく施設です。
最寄駅
 阪堺電軌上町線帝塚山三丁目駅(徒歩3分)
 南海高野線帝塚山駅(徒歩6分)
 大阪市営バス姫松、府立総合医療センター
 (徒歩6分)
大阪府公文書館 大阪あーかいぶず 第44号 平成21年9月1日発行
〒558-0054 大阪市住吉区帝塚山東2丁目1-44/Tel06-6675-5551/FAX06-6675-5552
ホームページ  http://www.pref.osaka.lg.jp/johokokai/archives/  

 

住所
大阪市中央区大手前2丁目1-22 大阪府庁本館5階
Tel
06-6944-8371
Fax
06-6944-2260
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