大阪府公文書館 - 大阪あーかいぶず第48号
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大阪 あーかいぶず
「あーかいぶず(Archives)」とは、英語で公文書、文書館という意味です。

目   次
大阪府公文書館開館30周年-新たなる旅立ちへ- ………………… 1頁
公文書館開館30周年記念座談会-公文書館のさらなる発展へ-  2頁
専門員OBから見た30周年-公文書館時代を振り返る-  ………  22頁
大阪府公文書館30年の歩み …………………………………………25頁
第30回公文書館運営懇談会 …………………………………………38頁

第48号 
開館30周年記念特集号
平成28年3月
大阪府公文書館発行

大阪府公文書館開館30周年-新たなる旅立ちへ

大阪府公文書館は平成27年(2016年)11月11日に、開館30周年を迎えました。
大阪市住吉区帝塚山にあった旧大阪女子大学の図書館の建物を改修・活用をして、大阪府公文書館として誕生したのが昭和60年(1985年)11月11日でした。
昭和61年3月に発行された本誌「大阪あーかいぶず」創刊号には、大阪府公文書館開館記念式典の模様が記されています。当時の大阪府知事であった岸昌氏が、「歴史の証人でもある公文書は、それらが作られたそれぞれの時代の社会を反映し、先人の汗と、苦闘と、知恵と、体験とが凝縮された、府民共有の遺産」であると明言されました。そして続けて、「公文書館を設け、今日まで生き残ることのできた公文書、さらに、今後生まれるであろう公文書を保存し、利用するしくみを確立することは、今や緊急の課題」であり、その「公文書館は、本日誕生しました」と、式典挨拶で高らかに宣言されたことが記載されています。また、その式典のあと、一般公募の府民200名の参加を得て、開館記念講演会が開催されています。後援会の講師は、大阪府大阪市出身の直木賞作家で、「竜馬がいく」、「坂の上の雲」などのベストセラー作家であった司馬遼太郎氏でした。戦国時代や幕末・明治維新を扱った歴史小説の大家である司馬遼太郎氏は、資料を保存し活用することが、いかに大切なことかを、史実を紐解きながら講演されたことが記録されています。
式典より30年を経た今日、岸昌氏、司馬遼太郎氏のお二人も、すでに鬼籍に入られており、坂の上の雲ならぬ、天上の雲のかなたより、大阪府公文書館開館30周年を温かく見守っていただいているものと思います。
さて、公文書館は、開館当初の所蔵資料24,000点余りから、現在、168,000点余りと、約7倍に増加しております。また、平成23年(2011年)4月には、開館当初からの念願でありました、府庁本庁またはその周辺への立地ということが、いろいろな経緯と紆余曲折がありましたが、結果的には、府庁本館1階への移転ということで叶うことになりました。現在、府庁本館は耐震工事を行っており、来年の平成29年(2017年)2月には、本館1階から5階に移転予定であり、府庁舎の中でも歴史と由緒のある「正庁の間」の隣に位置することになります。これを契機に大阪城を望む好立地を活かして、さらに府民に開かれた公文書館として充実を図りながら、未来に伝え残していくための、新たなる旅立ちとしてまいりたいと考えております。

大阪府公文書館開館30周年記念座談会 -公文書館のさらなる発展に向けて- 

公文書館は平成27年11月11日に、開館30周年を迎え、これを記念して、開館に御尽力された方々をお招きして座談会を開催いたしました。
開館からこれまでの30年を振り返っていただくとともに、これからの公文書館のあり方についても語っていただきました。  (文中敬称略)
 
【日時】  平成27年8月26日(水) 14:00~16:30  
【場所】  府庁本館1階 第3共用会議室
【出席者】 山中永之佑 前公文書館運営懇談会座長 (大阪大学名誉教授)
       大西 愛  公文書館運営懇談会委員・元公文書館専門員 (大阪大学出版会)
       中西 優  元法制文書課管理係長 (㈱大阪国際会議場専務取締役)
            (敬称略・カッコ内は現職)
         濱本  慶一 府政情報室長
       村上 裕治 情報公開課長
       事務局   情報公開課公文書グループ

大阪府公文書館開館30周年記念座談会 会議録
目 次
【開館30周年記念座談会 室長挨拶】
【公文書館の開館について】
■公文書館のスタートは昭和56年………………4
■公文書の廃棄ストップ……………………………5
■歴史学者は全部残すべき派………………………6
■公文書との関わり…………………………………6
■初代公文書館専門員誕生秘話……………………7
■公文書の選別と分類………………………………8
■ファイル基準表……………………………………8
■千里ニュータウンと大阪万博……………………9
■公文書としての古文書……………………………9
■公文書館の充実 …………………………………10
■古文書の修復 ……………………………………11
■他の自治体との連携 ……………………………12
■公文書館法と公文書管理法 ……………………13
【公文書館の運営及びあり方について】
■制度、仕組みとしての公文書館 ………………13
■情報公開、個人情報保護と公文書館 …………14
■時の経過による公開……………………………16
■故人の個人情報…………………………………16
■図書館との連携…………………………………17
■全史料協への復帰を……………………………19
■OB職員への呼び掛け…………………………19
■公文書館の幅広いネットワーク作りを………20
■公文書館のますますの発展を実感……………21
 
【開館30周年記念座談会 室長挨拶】
室長  開会にあたりましてご挨拶させていただきます。お忙しい中、またお暑い中ご出席をいただき、ありがとうございます。
 本日は、大阪府公文書館が今年11月に開 館30周年を迎える記念として、開館にあたりまして、御尽力いただきました皆様にお集まりいただきました。当時の御苦労されたお話やエピソード、そして、今後の公文書館のあり方などについて、ざっくばらんに座談会の形式で進めてまいりたいと思います。
 この座談会の内容については、10年前の座談会の時と同様に、所謂オーラルヒストリーとしてまとめさせていただき、今後の公文書館の運営に役立てさせていただくとともに、公文書館報「大阪あーかいぶず」に掲載して、広く広報してまいりたいと考えております。
 さて、ご承知のとおり公文書館は、昭和60年11月11日に、大阪女子大学の旧図書館を活用しまして、大阪市住吉区帝塚山にて開館しました。当初の所蔵資料二万四千余りから、現在、十六万六千余りへと、約7倍に増加
  いたしました。その間色々な方々のご協力をいただいてそのような状況となっております。
 また、立地につきましては、もともと昭和59年5月に公文書館設立第1次基本計画の長期構想の考え方で、「立地については、府庁の本庁舎または、その周辺が望ましい」とされていましたが、咲洲庁舎への一部部局の移転に伴い、平成23年4月に府庁本館1階に移転する形で、実現することになりました。
 現在、府庁本館は耐震工事の真っ最中でございますが、平成29年2月に公文書館は、府庁本館5階の「正庁の間」、ここは府庁舎の中でも歴史と由緒のある場所でございますが、それと隣接し、且つ大阪城が非常によく見える好立地に移転する予定になっております。
 また、昨年5月には、行政文書管理システムおよび歴史的文書管理システムの再構築が完
了しまして、より効率的な資料閲覧請求や資料登録管理、或いは国立公文書館との横断検索、公文書館ホームページの更新についても、より利便性が高まり、これらを活用してより皆様に開かれた館として、さらに充実を図っていきたいと考えております。
 本日は、懐かしい思い出話なども交えていただき、また私ども現に公文書館の運営に携わる者に伝えておきたい事など、ご助言やご意見をいただきまして、今後の館の運営をより充実したものにしていく契機としてまいりたいと考えております。
 改めてご出席のお礼を申し上げて、開会の挨拶とさせていただきます。よろしくお願いいたします。

事務局  本日の座談会は、前半には、昭和60年(1985年)11月の開館に至るまでの経緯や開館準備、開館当初のお話を、後半には、公文書館の運営やあり方、望むことなどのお話を聞かせていただければと思っております。それでは、前半のテーマである公文書館の開館に携わられた3名の皆様で、設立当初の経緯や、ご自身と公文書館の関わりについて、まずは昭和56年(1981年)に当時の法制文書課に赴任されて、公文書館設立にご尽力された中西様からお話をしていただきたいと思います。
 
【公文書館の開館について】
■公文書館のスタートは昭和56年
中西   私は、33、4年前にこの仕事に関わり、公文書館のオープンを見届けて異動しましたので、その後30年間まったく携わっておりません。山中先生や大西先生の方がお詳しいと思いますが、私の方からは、公文書館問題専門家研究会を作るまでの動きを中心に、お話をさせていただきます。
10年前に、髙田課長と山中先生に来ていただいて、20周年記念座談会が開かれ、その模様が『大阪あーかいぶず』第37号に掲載されています。設立の経緯は、そこに書いてある事にほとんど集約されていますが、黒田了一知事の時代には、大阪文化振興研究会「文振研」でも歴史資料の保存とか公文書の保存とかいうのは、かなり大きく謳われていました。その後、岸昌知事が誕生したのが、昭和54年(1979年)ですが、その時には「文振研」を改組されて、大阪府文化問題懇話会「文問懇」が立ち上げられ、その会長は梅棹忠夫先生だったと思います。そこでも公文書や文書の扱いをきちっとしなければならないと、かなり強く謳われていまして、基本的には、大阪には中之島図書館の郷土資料室がありましたが、図書館であって性格が違うであろう、文書館をつくれ、公文書館をつくれという話がすでにあった事は事実です。もう一点は、岸知事が昭和54年に当選されて、情報公開をやりたいという大きな政策が出て来ました。情報公開をやるについては、まず役人は、仕事は一生懸命するが、その後の資料の保存とかは杜撰なところがあるので、文書の管理をきちっとすること。公文書館をつくれということと、情報公開で文書を整理していらないものは捨ててもいいけど大事なものまで捨ててはいけないよと、そういう2つの命題があった中で、昭和56年11月26日付けの文書。これは私の起案ですが、下に書いてあるのが岸知事の自筆です。「昭和56年度以降の有期保存文書の廃棄中止」という知事の指示があったので、ここで公文書の廃棄をストップしました。私の見方としましては、実質的に大阪府の公文書館がスタートしたのは、この日からとも思うのです。

山中    私は、起案の段階は全く知らないのですが、前の座談会で少し話していますが、私が公文書館の事に関わるようになったきっかけは、大阪大学の宮本又次先生との出会いです。私は宮本先生とはいろいろな因縁があります。
大阪大学は私が在学した当時は、法経学部だったので、私は法学科の学生でしたが、宮本先生の講義を聴きに行っていました。法学科の学生が、日本経済史の講義を聴きに来ているというので、顔も憶えておられたのだと思います。それから大学院に入って直ぐに宮本先生が編集された『九州経済史研究』という本がありそれを書評するように恩師の熊谷開作先生から言われました。そういう事も宮本先生が憶えておられたのではないかと思います。
それから宮本先生の高弟に作道洋太郎先生がおられ、大阪大学に赴任されて来た頃に、堺のことを研究しておられました。それで堺を案内して欲しいと、私が作道先生から頼まれました。と申しますのは、私は堺生まれ、堺育ちであることを誰かから聞いておられたからだと思います。私は、郷土史家の方も知っていましたので、先生に紹介したりもしました。また、史料調査に一緒に行かせていただいたりもしました。そのお二人から大阪府で公文書館をつくるから手伝って欲しいと頼まれ、じゃあお手伝いましょうという事になったのです。
 
■公文書の廃棄ストップ
中西   岸知事から公文書の廃棄をストップせよという指示があった時に、廃棄をストップした公文書がたくさんありましたので、万博公園内の旧鉄鋼館の建物に入れましたが、いつまでも置いておくわけにはいかない。一方で知事は公文書館をつくりたいという発想がおありだったと思います。その時に議会でいろいろ質問も出ましたし、その中で公文書館という館をつくるのは、もうしばらく時間が掛かるとしても、仕組みとしての公文書館、公文書館制度を作るのが先だろうと。片や日常文書を何万もつくっており、ストップしていたら、みるみるうちに書庫が満杯になりますから、どうしようという事で、歴史的な公文書かどうかの評価基準を作って下さい。もうひとつは公文書館はどうあるべきか、構想を練って下さい、それを知事が宮本先生に諮問された。そして、昭和57年(1982年)に宮本先生を座長とする公文書館問題専門家研究会を作っていただき、山中先生には、その研究会の小委員会の小委員長になっていただいた。
  
山中   始めは、公文書問題専門家研究会のメンバーで喧々諤々議論をして、二、三回会合がありましたが結局まとまりませんでした。11名のメンバーがいろいろと意見を述べられるのでなかなかまとまりません。委員長をされていた宮本先生は困られて、「山中君、基本構想をまとめてくれないか」と頼まれましたので「私一人でですか」と申しましたら、「それも考えてくれ」と言われて、「髙田課長と相談してやっていいですか」と申しましたら「任せるから」と言われました。髙田課長に「私一人では基本構想をまとめるのは難しいので、組織のようなものを作って下さい」と申しましたら、高田課長は「山中先生、あなたの思うとおりやって下さい」と言われましたので、私は広川禎秀さん(当時、大阪市大)、芝村篤樹さん(当時、桃山学院大学)、中尾敏充さん(当時近畿大学、後大阪大学)の他、府立中之島図書館郷土資料課長、府史編纂室主幹、法制文書課長など、公文書館に詳しいと思われる方々を選んで、小委員会を組織しました。2期目の小委員会には、白石玲子さん(当時関西大学)にも加わってもらいました。そこで、公文書館を作るため、いろいろと議論もし、調査もしました。それに中西さんとも、やり取りをし、すり合わせをして昭和58年(1983年)に小委員会で、公文書館の基本構想を作ることができたのです。

室長   当時の職員録を見てみますと、昭和56年度に中西さんが法制文書課の主査として来られて、昭和60年度には管理係長をされて、都合5年間在籍されています。決裁文書を拝見しましても、山中先生が先程おっしゃられたやり取りを経て、公文書館開設につながったのだと、書面からも浮かび上がってきますね。そういう意味では、実質的に中西さんが山中先生のシナリオライターだったということですね。
 
■歴史学者は全部残すべき派
中西   山中先生がおっしゃったように、先生方の中にも、いろいろな意見がありました。基本的に先生方は「残せ」です。逆に我々、行政サイドとしては、実現可能な評価基準を作らないといけません。そんなものまで残すのか、と原部局に言われたら大変ですから、「先生これはだめです」、「膨大にあるので残せません」、「これは大事です」と、一個一個そういう感じでしたね。

山中   歴史学関係の委員の方は、「全部残せ」、なんですよ。最後には髙田課長が、「全部残せというのはそもそも無理だ」と。私は髙田課長が言われた事は、法学部出身ですから分かるのです。市史編纂の委員もしていましたので。結局落ち着いて話をしていけば、完全に捨てて良いものが有る。選挙の投票用紙であるとか、統計さえ残せば残さなくても良いというものですね。それから絶対残さなければならないものが有る。それと今は判断できないけれども、10年、20年経てば判断できるものもある。「絶対いらない」、「絶対残す」、それと今は判断が難しい「グレーゾーン」と三種類ある。もう一つ髙田課長が提案されたのが、どれだけ公文書があるのか見てくださいということでした。
それで保管されている万博公園内の旧鉄鋼館に行って、膨大な公文書が暗いところに山積みになっているのを見せていただきました。
「これを全部残せというのですか」と言われ、歴史学関係の全部残せと言われた方も、最後にはこれを見て納得されたようで、今申し上げた三つの分類でやろうじゃないかということになりました。 
   
中西   小委員会で山中先生をチーフに議論するのですけど、引継文書、永年保存文書の文書目録があるので、それをまず見てもらって、「これは永年保存だから、当然残さないといけませんよね」、次は有期文書の目録を見ていただいて「これの原本はありますか」と原本を見ていただいて、「これは各論だからこれを総括したようなものを残して下さい」、そういった形で議論していきました。

室長   かなり時間をかけて、一つ一つ議論したんですね。

山中   その頃はね、今のように大学も忙しくなかったから出来た事なんだと思います。私自身も非常に勉強になりました。
 
■公文書との関わり
室長   公文書館設立までに、公文書との関わりは無かったのですか。

山中   私はあとで、府議会史の監修に携わったのですが、私が公文書に触れたのは大学院の時、堺県の法令史集というのを作ったのですが、まとめて「阪大法学」という雑誌に載せました。それが公文書に触れた最初でした。それから助教授の時に、作道洋太郎先生とか、黒田俊雄先生に誘われて、伊丹市史を編纂しました。当時伊丹市は財政が豊かで、東京に出張させてもらいました。時々は大西さんとも一緒に出張させてもらいました。

大西   私は大阪市出身で、卒業してすぐに伊丹市史の編纂のため市役所に入りました。私は黒田先生の教え子ですから。

山中   市政専門図書館は、東京の市政会館の中にあり、旧内務省の文書を中心によく整理されていました。今も研究所があります。私は東京市政調査会から「藤田賞」という賞をいただいたのですけど、その前から地方制度史の研究のために、市政専門図書館の他、国立公文書館や国立国会図書館へ公文書類を調べに行っておりました。それが多くの公文書に接するきっかけにもなりました。それから伊丹市史編纂に携わり、市の公文書に触れることができました。その時に大西さんにも大いに手伝っていただきました。

室長   府の公文書を取り扱う前から、いろんな自治体の公文書を取り扱われたていたのですね。
 
■初代公文書館専門員誕生秘話
大西   山中先生とは、伊丹市の市史編纂でご一緒させていただいたのですが、その時はまだまだ大阪府の公文書館の話は一切無かったです。伊丹市史も当時編纂に年限がありました。市史の編纂は、短時限で5年とか7年とか決めて資料を 収集しました。どこの自治体もそうでした。市史は先生方の進言で史料は残せということで博物館ができたのですが、その後、大阪大学の50年史編纂室に行き、その時も山中先生がいらっしゃり、二度目の出会いでもお世話になりました。そこへ行っている間に大阪府公文書館の話が出てきました。大阪大学も期限付きだったのですが、終わる頃に山中先生に「終わったら大阪府に来い」と言われました。専門家が誰か必要だから。そうして、大阪大学が終わる頃に大阪府へ来させていただいた。

中西   山中先生から、公文書館ができた時は「人が必要だろう」、「いい人がいるので採らないか」とおっしゃっていただいており、「その様な方がおられるなら是非に」ということになりました。

大西   一番最初にお声を掛けていただいたのは、大学の本部事務局にいた時に、「大阪府から電話が入っている」ということで、電話をとると「隣の髙田ですが」と言われたのです。髙田課長さんの家の隣が、私の実家だったんです。

山中   髙田さんに大西さんのお話をしましたら、髙田さんが「私、その人知っていますよ。私の家の隣の方ですよ、小さい頃からよく知っています」ということでした。

中西  そのあと名前が出てきて、髙田課長に言うと、「知ってる、知ってる」ということになりました。

大西   皆さんが準備をなさって下さって、大阪府に来たのは、開館の1年前でした。先生方が万博公園内の旧鉄鋼館で苦労されて選別して、運んでこられたのが、住吉区帝塚山にあった旧府立女子大学の体育館で、体育館には山積みでした。それが丁度真夏の暑い時で昭和59年(1984年)の夏ですね。そこで来年の春に開館するから、これを全部整理しろということになりました。これはあなた達の仕事だと言われたのです。もちろん私一人だけでなくて、職員の方の他、OBの方が、4人おられました。
    
中西   特別嘱託員の方ですね。そもそも法制文書課の書庫で、目録を作ったりする人がいまして、その方々も行っていただいた。

大西   どちらかと言うと、体力のある警察のOBの人が多く、この仕事は体力なんです。体育館に冷房など無く、こういう仕事ばっかりでした。ふたを開けてどこに配置するかを全部考えないといけない。体力仕事をひと夏していたという記憶があります。文書を扱うことは、体力がいることです。大阪大学でも伊丹市でもそうでした。
 
■公文書の選別と分類
室長   文書の整理や分類というのは、図書館ですと、ある程度はイメージできるのですが、公文書の分類というのはあるのでしょうか。

大西   私が公文書館に来て初めて言われたのがそれです。「分類はどうするのか」「それはあなたが決めてください」と。私は「分類はするものじゃない」と言ったのです。結局、課毎に、事業毎になっているのですから。それに戻すことが仕事なんですといったのですが、それだと仕事にならないと思われました。何か新しいクリエイティブな事をしないといけない。課毎と言っても変遷がありますから、まず大阪府庁始まって以来の課の変遷表を作ってほしいと言ったのですが、「そんなものは無い」と言われ、それを文書の中から探していかないといけませんでした。図書館のカードボックスみたいなものだけを割り当てられました。仕方がないから私たちは、文書の中から課の変遷について書かれたものを見つけて、「この課がこう分かれたのか」と推測しながら少しずつ変遷表を作っていって、文書を入れていくという作業をしました。文書を並べていくと大変なので、文書は今ある課、保存していた課別の場所に並べておいて、カードは別に採って、並べる作業をしたのですが、それだけでは皆さん満足されない。やはり「十進分類表」のような、キーワードのようなものが欲しいと言わるので二種類作りました。

中西   基本的に、公文書としてのポジションがあります。文書分類表、大体課別で、総務、民生、衛生などです。大西さんはそれでいいと言われましたが、事実上初代アーキビストだからお任せするから作ってくれと頼みました。

大西   皆さんが満足してくれないと。課別だったら何も仕事をしてないと思われたらいけないからカード全部複数作りました。2枚ずつ作ってこちらは課毎、こちらはキーワードと。キーワードも一つのキーワードで済まない。一つの文書に幾つものキーワードが入っている。幾つもキーワードを作って、こっちのボックスは課別、こっちはキーワードというように2種類作ったのを憶えています。その頃はコンピュータも無く、全部カード式でした。

室長   公文書を選別することもさることながら、選別した公文書を分類するという大きな作業があったんですね。
 
■ファイル基準表
大西   先生方はある程度の公文書の選別基準を作って下さっていました。ただ選別というのは、ファイル基準表を見てする訳なんですけど、ファイル基準表と現物はかなり合いません。ファイル基準表には書庫にあると書いてあるが、書庫を見に行くと無い。これ欲しいというのが無かったり、ファイル基準表に載っていないものがいっぱいあったりということがしょっちゅうありました。毎年年度末になったら大量の廃棄リストが来るんです。先ずファイル基準表を見ながら、残す公文書を選ぶけれど、ファイル基準表に無い公文書もある。それは見に行かない限り分からないので、先ずファイル基準表で選別して、書庫へ行って「これとこれと置いておいて」と言っておきます。当初は先生達がされたように、多い目に採りました。というのは、大阪は戦前のものが、ほとんど残っていない。疎開させていたが空襲で焼けたということですが、焼けたという記録も残って無い。戦後のものもすごく少なかった。先生の基準にないものも、古いもの、少なくとも30年以上経ったものは残そうとしました。私だけでなくその後、のちに専門員となる金山正子さんというアーキビストの方も来たんですけど、ほぼ二人で作業しました。金山さんと数年作業したんですが、毎年廃棄対象の公文書から選び出して、公文書館に配架しました。今は1%とか言って、廃棄分の1%を選別しなさいとなってますが、平均すると結果論でそうなるんですけど。

山中   私たちの頃は、3割くらいだったと思います。
 
■千里ニュータウンと大阪万博
大西   私たちは、5%から10%採った。特に千里ニュータウンの開発の文書の保存期間が切れて来たことがあり、千里ニュータウンの開発なんて2度と無い。それを一つ一つ見ていたら時間が足りないので、千里ニュータウンは全部採りました。大阪府公文書館には千里ニュータウンの文書全部残っていると思いますよ。
建物だけでなく、溝から電柱から、全部書いてある。私たちが基準を無視して勝手に採ったんですが、皆さん文書できちんと仕事をされているので良く分かります。だから見たら残したくなるから結構残しました。
ただ大阪万博の資料がほとんど残っていませんでした。なぜかと言うと、万博は大阪府自体はやっていません。日本万国博覧会協会でやっている訳ですから、刊行物、印刷物しか残っていません。決裁をしたものとかは、ほとんどありませんでした。

中西   万博は、大阪が手を挙げて誘致が決まったのですが、肝心の会場がなかなか決まらず、最終的に千里丘陵でやる事が決まりました。万博協会を作って、そこが事業主体となり、大阪府は万博協力局を作りました。側面援助という形なので、核心の部分は無いんです。

大西  私たちは基準がありながら、その場その場で判断をしました。しかも二人だけで判断しました。ただそういうものが整理された後は、毎年1回ずつ来るだけなので、職員の方のほうが、法律に基づいて行政をされているので。これはだんだん職員の方に委ねた方がいいだろうということで、これまでのを見ていけば、前は残しているのでこれは残すとか、毎年採るのじゃなくて、隔年に採るとか、いくつか決めていましたので、そういう方法で職員の方がやってくださったらいいんじゃないかということで、ほとんどお任せすることになりました。その後私達は、大阪府内の地域に残っている地元の文書、川中さんに寄贈していただいた川中家文書に代表されるようなものが、まだ大阪府内にはいっぱい残っています。特に泉南地方に今でも残っています。私と金山さんはよく現地調査に行きましたが、調査費は出ないからと言われ、交通費だけ出してくれたらいいからと言いました。そして現地に行って「大阪府から来ました」と言ったら、見せてくれます。大事なものがたくさんあります。「もし困られた時は、大阪府に相談して下さい」と言いましたが、そのうち幾つかは相談に来てくれたが、大阪府公文書館にはスペースが無いからと受け入れてくれなかった。
 
■公文書としての古文書
中西   昭和58年の『公文書館の基本構想についての提言』に、民間の古文書の中に、町方村方文書、庄屋戸長役場文書等、公文書としての性格を有するものもあるので、その収集、保存に努めなさいと。もちろん寄贈、寄託を受けるよう、これを最初から大西さんや山中先生は口酸っぱく言われてました。

大西   調査をさせてもらい、ちょっとずつは行ったんですけど、最終的には『基本構想』の項目は切り捨てられるようになってきた。向こうから直接持ってこられたものは、割と受け入れていますが、調査に行った所の史料は膨大にありますので、整理する担当を付けないといけないので、それは無理でした。訪問した時はご主人が出て来ますが、実際史料を管理するのは女性が多いです。前もって行くと言っていた場合は、奥様が前日にきれいに掃除して、パッと出せるようにされているか、「見せるのは嫌なんだけど」と言って、屋根裏に連れて行って下さるかですが、私たちはそういう所に行って「これは大事なものですから」と申し上げて、時間がある時は、目録を採って帰るんですが、一日では採れない。そうすると何日も通わないといけないのでできない。だから、ここにこういうものがあったと写真1枚、2枚撮って終わりにする場合がとても多かったのです。その時点でも資料の管理を担当されている奥様が亡くなられたら、息子さんは分かりませんというお家が多かったです。ですから今も残っているのかどうかは分かりません。引継ぐのは大変なのと、家を建て替える時には必ず無くなります。地元の市町村が受け入れられれば一番いいんですけどね。
 
■公文書館の充実
山中   なかなか難しいです。歴史的な公文書の問題というのは、散逸の恐れもあり、緊急性があるにも関わらず、行政の立場から言うと緊急性が無いことになります。ですから、市で公文書館を設立するためには、一般の市民の方の共感を呼ぶようなものが必要です。公文書館は、市民の方に簡単に共感を呼ぶことが難しい施設です。だから同じ建物を建てるんだったら、すぐに市民の方に役に立つものを建てると言われます。公文書館は二の次、三の次となります。分かって下さっている市の当局の方、あるいは議員の方でも、実際行政に直面するとそういう事になってしまいます。私が『堺市制100年史』の編纂に関与しました時に、市長の幡谷豪男さん、それと大阪府副知事の谷川秀善さん。この方々もかなり理解を示していただきました。幡谷さんは議会で公文書館を作ると表明されたらしいです。市長が議会で表明すると作らないといけないらしいですね。ところが、O-157の事件があって、そういったすべての事が吹っ飛んでしまったというがことが最近分かりました。竹山修身市長が最初に堺市長に当選された時に、市長のおじさんが私の親しい友人なので、一緒に会いに行きました。そこでも公文書館の話をしました。その際、堺市が購入する予定になっている旧府立女子大学の建物の中には図書館があるので、そこを公文書館にすれば、近くに市立中央図書館もあるし、市立博物館もあるから、その辺りを文化ゾーンにすればいいんじゃないかと市長に申しました。その時は市長は分かっておられたと思うんですが、ところが、昨年でしたか、公文書館の事をお願いしようと思って、当時、堺市会の文教委員長をしておられた議員にお会いしましたら、議員は公文書館の必要性は分かっておられて、堺市として公文書館を別に建てることは難しいので、市立中央図書館の建替えの時に、その一部を公文書館のための施設とするのも一つの方法と思うとの考えを話されていました。建替えの時期は大分先なので、私はその間に小学校の空き教室に保管されている旧村文書など貴重な公文書が散逸する恐れがあるとは話しておきましたが。旧府立女子大学の図書館は、仁徳陵及びその周りの古墳群を世界遺産に登録する事に向けた、世界遺産を案内する施設に建て替える計画となっているようです。図書館の施設ですから利用しやすいと思っていましたが残念です。このように地方自治体では公文書館を作ることは、なかなか難しいようです。
    
室長   公文書館充実という事での役所の判断というのは、財源が潤沢でないとできないのです。片方でいろんな行政需要が膨らんでいますし、多岐に渡っています。それよりも、優先順位の高いものがどれだけあるのか、住民の生命財産そういうものに直結するもっと先にやらないといけないものがあるという声を突きつけられると、長期的には、こういうものにきちっと対応しないと、どんどん散逸して廃棄されて、気が付いた時には、何も残りませんよと、取り返しのつかない事になってしまうんでしょうけど、行政の中にいますと、どうしてもそこのところは、厚い壁があるなと思います。

山中   岸知事は公文書館に大変理解があって、私の記憶が正しければ選挙の公約にも掲げられたと思います。しかも公文書館問題専門家研究会に、何回か知事が出席されました。公文書館のような施設を作るのに、知事自ら出席され、意見を言われるのは滅多にないことではないかと思います。それ位熱心でした。

■古文書の修復
大西   江戸時代の庄屋文書である川中家文書も岸知事の肝煎りで寄贈されました。府に寄贈される前から、私たちが仮目録を作って、それを川中さんからこれを寄贈しますという方式をなさったので、それで私は知事室に入れてもらいました。その目録を川中さんから、岸知事に渡された記憶があります。今でも公文書館の古文書講座とかに川中家文書をよく使われていますが、こういう風に原本があれば、府民はいろいろ利用できる訳です。府内にはまだ一杯埋もれています。先ずは地元、地元でダメな場合は、救済策として、市が保存できなければ、府で保存してあげる。市に公文書館ができた時は戻してあげる。そういう形をとれるのが一番いいなと思っています。

事務局  川中家の御当主の方と公文書館は、今も多少は交流がありまして、今年もお見えになられました。それと先程大西さんが話された金山さんは、川中さんが所蔵している古地図の修復の相談のときに、ご紹介して、公文書館の専門員も付き添ったりしています。

大西   金山さんは、もともと大阪府におられて、こちらは全部非常勤だったものですから、一度辞めた。彼女は歴史系でしたけど、東京の方で修復師の研修の募集が有ったので、それに3年ということで行かれたんですが、1年半でマスターされて帰って来られたので、私は大阪府に採用をお願いして、復帰してもらいました。その頃関西では、そういう人は誰もおらず、関東で一人でした。関西にいれば需要があるし、大阪府は自慢できるじゃないかと思って、無理やりに、来てもらったのですが、やはり非常勤ということだったので、私が辞めた後、1年ちょっとで辞められました。その後元興寺文化財研究所に入って、今は紙資料の文書の修復の室長でトップ、今でも関西ではトップの人です。今バチカンの資料、キリシタン文書の修復に何度も行っておられます。

山中   この前、この公文書館の専門職をしておられた高倉史人さん(現高岡法科大学法学部長)が旅行でフィレンツェの公文書館に行かれたら、修復師が日本人で公文書館を案内してもらったと話されていました。貴重な人材が海外で活躍されるのは良いことですが、人材が、流出してしまうのではないかと心配です。

大西   バチカンでは、向こうの人が修復をやりたいので、教育をして欲しいという事で、教育に1週間、国立史料館の派遣という形で、4回位指導に行っています。向こうに残っているのは、日本の和紙に、墨で書いている訳です。虫損の繕い方など日本の修復の仕方を教えて、指導に行かれています。だから、国立史料館に招聘されるだけの技術をもっている人ですから。もとは大阪におられたのに、あの人がずっといればと、とても残念に思います。公文書館で修復の研修とかが出来れば面白いのですが。
     
■他の自治体との連携
山中   府が府内の自治体に対して、公文書館を設置するよう勧めることは出来ないんですか。

室長   基本的には地方分権ということで、地方公共団体それぞれが自らどういった事をやっていくかは、自己決定の世界です、もちろん国もそうですし、府も、府内市町村に「あれしろ」「これしろ」と申し上げる立ち位置にはないんです。しかし、技術的な支援、指導とかを求められれば、我々の持てる力量の範囲内で、ご協力させていただけるという事は考えています。

中西   金山さんがおいでになったとしても、上からの命令として「ちゃんと指導を受けよ」とかというのは出来ないので、あくまでも自治体から「大阪府のアーキビストに保存の指導を受けたいので来てもらえませんか」という依頼があれば、指導に行くという形になりますね。

大西   私たちが、泉佐野市や泉大津市に調査に行った時も、そのように言われました。「この市内にはこんな立派な史料があるんだ。大阪府が調査に来るくらいいいものがあるんだという事を上に言える」、「来てもらったら助かる」と何度か言われました。もちろん指導するということではない。私たちも公文書館の看板を背負って民家に行ったら、「大阪府から来たんですか」と喜んで下さるという事がありました。

事務局  他県や府内市町村の職員の方が、公文書館の設置を検討せよと上から言われているので参考にしたいという事で、大阪府の公文書館の設置や運営状況などを、年に数件ですが、見学に来られています。

課長   今年3月に、5年ぶりに『大阪あーかいぶず』をWEB版として発行したのですが、府内の全市町村と公文書館設置都道府県には、プリントアウトして発送しました。そうすると府内の市町村からやはり反響がありまして、やはりこちらから情報を発信すれば、他府県の方なども来られて、公文書館をどのように運用されているのか等見学に来られて交流が深まりますよね。

室長   一方的な指導とか、強制とかは出来る時代ではないんですが、公文書館がこういう活動をしていますよと、印刷物だけでなくホームページなどでも提供していくと、他府県や府内市町村から、やはり自分のところで抱えている問題とかあるんでしょう。リアクションが出てくるので、こういう事を通じて各自治体とやり取りをしていければと思います。

■公文書館法と公文書管理法
山中   公文書管理法が平成23年(2011年)4月に施行されました公文書管理法34条には地方公共団体の保存する文書の適正は管理に関して必要な施策を策定実施する努力義務の規定があるんですけど、強制ではありません。むしろ公文書館法の方がやや強制的で、そういう点が問題でもあるんですが、私が国立公文書館の有識者会議の委員をしていた時に、委員会でもう少し強制的な、少なくとも政令指定都市ぐらいは公文書館を設置するような公文書館法を改めるべきだと何回か提案したんです。政令指定都市には少なくとも公文書館を設置して欲しいと思います。     

大西   公文書管理法というのは絶対必要なものです。昔は無かったんです。だから「文書を作成する段階からきっちり管理しないといけない」と、初めて日本で決めたのです。一番最初は昭和62年(1987年)の公文書館法でした。こういう法律が有るから公文書館を作らないといけないということになります。この法律はだいぶ古いのですが、いろいろな運動の末できた法律だった。その次に平成21年(2009年)公文書管理法が出来た。今はインターネットで法令は全部見られます。私が企画して、公文書管理法の関係法令などを解説したものを、大阪大学アーカイブズの菅真城教授と国際資料研究所の小川千代子さんにお願いし、『アーカイブ基礎資料集』として大阪大学出版会から出版しました。
 
【公文書館の運営及びあり方について】
■制度、仕組みとしての公文書館
事務局  時間の関係から、後半の公文書館の運営及びあり方についてお話をしていただきたいと思います。開館から20周年までについては、20周年座談会のなかで議論されて、内容については『大阪あーかいぶず』37号に収録されています。20周年座談会では様々なご提言、ご意見いただきました。その中で課題とされたものは、すでにこれまでのお話にも出てきましたが、運営予算の確保、府内の歴史的文書の受け入れ、アーキビストの養成などです。アーキビストの養成につきましては、専門員が中京大学の准教授として転出された。ご提言いただいている専門員の正職員化については、全庁的にもかなり難しいことですが、引き続き課題であると思っています。それと先程お話のありました公文書館法や公文書管理法の問題ですが、現在、大阪府におきまして公文書館は条例化しておりません。また公文書管理についても、行政文書管理規則、訓令ということで。国の方にも確認しますと、条例化しているところは極めて少ない。大阪市のように一つ何かきっかけがあればできる。大阪府の場合でも一応は作成から廃棄に至るまでのライフサイクルを考えたものは、行政文書管理規則でやっております。それとデジタルアーカイブとか、行政文書管理システムで、作成の段階で簿冊名が決まると、平成15年からは、行政文書管理システムで把握していますので、補足率は高くなりました。それと企画展、講座の充実につきましては、まだまだ不十分ながら着実に充実はしていっていると考えております。公文書館としては、限られた予算、人員という制約がある中で、出来る限りの対応と取組みをした。平成18年から27年のこの10年で考えれば、やはり公文書館の歴史的な事項としましては、帝塚山からこちらへ移転というのが大きなことかと思いますが、文書の記録としては、帝塚山から大手前、府庁本館への移転という一行の記録になってしまいますが、その間、いろいろと山中先生をはじめ、公文書館運営懇談会委員の皆様方にも、ご心配、ご迷惑をお掛けしたという記録も残っております。公文書館の根本的な考え方の理解が足りなかったということも一因で、どうしても公文書館は、箱ものと思って、今度はどこに置くのか、場所やスペースをどう確保するのかが念頭にあるわけです。しかし、今回、中西様にいろいろ開館当時のお話をお聞きますと、箱ものではなくて、先ずは制度、仕組みだよというお話でした。これは他府県の方ともお話をすると、やはり「究極はそこですよね」ということになります。逆に言えば公文書館の箱ものとしてのノウハウ、もちろん府民の利用、研究者の利用、利便性とかは充分に考えないといけないんですけども、後半は、制度的なものも併せてお話をしていただければと思います。 
    
山中   基本的な問題から言えば、公文書はもともと住民の税金で作られた住民のものだという事なんです。だから、むやみに捨ててはいけない。しかも、住民が行政に対して、ものを言う。あるいは行政が過去に何をやってきたかという事を知るという事は、住民が行政に参加するためには是非とも必要であるという意味で民主主義の基本原則だと思うんです。だから、民主主義国家であれば、現用文書、歴史的公文書を一緒に管理して、住民に公開するという施設として公文書館が、民主主義を進める上で必要だと思うんです。そういう意味では、我が国は民主主義国家だと言っていますけども、他の先進諸国に比べると、もっとも公文書館の設置が遅れています。そういった事に理解が乏しい国だと思うんです。この間も、20年以上もオーストラリアで仕事をして永住権も取得している日本人女性で、公文書館にまったく関係ない仕事をしている方と先日公文書館の話をしている時に「私の家の近所にありますよ」と言われますので、私は「日本ではなかなか公文書館を設置することは難しい」と申しますと即座に、「そうしたら行政の監視はどうするんですか」と、言われました。つまり先進諸国では公文書館は当たり前の施設なんですね。大西さんが一番よくご存じだと思うんですけども、ヨーロッパの国々に行けば、「どこへ行ったって公文書館がある」と言ってもいいくらい公文書館があります。ツアーで旅行していても、公文書館を教えて下さいと言ったら、公文書館について少し知識のあるガイドさんであれば案内してくれます。それなりに立派な建物です。そういうのに比べると日本は、いかに公文書館に対して認知度が低いかということです。では、どうすればいいのかと言うと、民主主義の理念を説く中で公文書館の必要性も徹底させる以外に方法はないのではないかと思います、これは非常に難しい事でありますけど。だから、行政が色んな機会を捉えて公文書、特に歴史的公文書を保存していく事が、いかに大事かを徹底して、浸透させていくようにしないと、極端な言い方かも知れませんが、日本は、本当の民主主義国家として成長していかないんじゃないかと思いますね。     

中西   今、先生がおっしゃった事に関連していえば、大阪は岸知事の時に、一方では公文書館を作ろう、一方では情報公開をやろうと、リンクさせた事が逆にうまくいった理由かも知れないですね。というのは、情報公開するのは、文書をきちっと保存して、プライバシーに関わる部分はマスキングし、基本的にはお見せしますよと。だから、住民のものだからどうぞご覧ください。なおかつ、時系列的に時間が経ったら、公文書館で体系的に保存しますよとなります。それを活かしてるんですよね。
 
■情報公開、個人情報保護と公文書館
課長   山中先生がおっしゃられた、公文書管理法を見ていましたら、平成21年(2009年)にできましたけれど、歴史的文書の管理についても、情報公開制度とか個人情報保護制度とか、法律の中に入ったんです。国は、歴史的文書について、別途制度を作りたいと言うことなんですね。ところが、我が組織では、情報公開条例、個人情報保護条例で、現用文書を中心とした情報公開制度、管理制度を作っていますので、平成21年がチャンスだったのかもしれないですけど、その時に歴史的な文書の保存について約束事を作る一つのきっかけになりうるところがあったのかなと思いました。
    
山中   まさにそうですね。私の承知している範囲で申しますと、公文書管理法を作るきっかけの一つはね、福田康夫総理が非常に理解があったことです。福田総理は公文書管理法を制定するための議員連盟の会長もされていたと聞いています。公文書管理法というのは非常に論理的で、今、課長が言われたように整備されたものです。ただ、地方自治体については、努力義務という程度の規定の仕方であって、その点が地方分権や地方自治を尊重したと言えばそうなんですが、やはりこの程度の規定の仕方では地方自治体に公文書館が設置されないという大きな法制上の問題があるとは言えると思います。ただ、大阪府は公文書館法ができる以前に、岸知事の先見の明で作られました。しかも、今府政情報室と公文書館が繋がっています。公文書館は、府政情報室の一つの部署になっています。考え方によっては、現用文書が歴史的公文書になった時に、スムーズに公文書館へ移管できるメリットがあるので、その際にどの文書を残すかという事をきちっとすれば、理想的な形での情報公開と歴史的文書がうまくリンクするという事になると思います。

課長   昨年、平成26年度に、行政文書管理システムを再構築したんですが、その時に公文書館システムも再構築し、行政文書を作成する際に、「これは歴史的文書として保存すべきですよ」と原課の方でもチェックしておくシステム機能を加えました。保存すべきかを最終判断するのは、公文書館で判断しますが、作成時から、その文書を歴史的文書として保存するかどうかを考えようという事ができるシステムにしています。

室長   そういう意味では、当時で言えば大西さん、金山さん二人で選別をお任せするのではなしに、自分たちが起案する時に後世に残す起案なのかどうなのかと意識付けできて、主体性を持って考えていくんですよと言う事が出来るようになりましたので、公文書管理法に沿った形になっています。
大西   山中先生がおっしゃった、文書が発生する時から、時系列的に歴史的公文書になっていくという流れができているというのは、素晴らしい事だと思いますね。ただ一番この中で気にしないといけないのは、情報公開制度では、出せるものと出せないものの基準がきちっと決まっていて、公開出来ないものは出来ない。でも何年か経て文書は公開となります。だから、その年限をどう決めるかという事を、きちっと決めないと、いつまでも公開できないことになります。

中西   その議論で、昭和57、8年に先生方といろいろ議論したのは、情報公開、片一方で歴史文書保存、公文書館だけで情報公開と一緒にやったら、役人は公開したくない文書は捨てるのではないか、という事がありまして、先生方とだいぶ議論しました。それで、「先生方それは違います」と。「それは歴史文書の評価基準をきちっと作っていただいたら大丈夫です」と。それがあやふやな基準だったら、確かに捨てたり、残さなかったりするものが出てくるかもしれません。「これは歴史文書だから公開は当分しない、ときちっと言ってもらえば残しますよ」と。だから、アメリカの公文書館みたいに保存しておいて50年後に全部公開ですよとなるんです。

大西   「公開するのは50年後です」とか「10年後です」とか言っておいてもらえれば、パッと出てくるから、その学問が急に花開きますよね。昔の事故、事件が。それは非公開の時期が解けた時期なんですよ。そういう風なものも、システムの中に入れていただければすごくいい。

山中   非公開の期限も問題になってきますね、分けていきますとね。

大西   一個ずつは、大変だと思うんです。普通世界で今言われているのは、作成後30年経過したら原則公開、30年原則ですね。30年経てばほとんどのものは、公開されていく事になっていますが、その中でも個人情報の犯罪歴等があるものは、50年、80年にしようと決めて、それ以外のものは、府の事業に関するものは、ほぼ30年、としておけば、いくつかだけを選べば、できるんじゃないかと思います。
 
■時の経過による公開
室長   この問題については、一昨年の運営懇談会で、先生方に、国はこういう考えで基準を持っておられる、我々もどのように基準を見直したらいいかと、ご意見をいただけたし、あの線でやっていこうと考えています。

大西   私たちが習った30年原則というのは、もうかなり古いみたいですね。どんどん新しくなって、20年に短くなっている。なるべく出せと、なるべく公開するという方向に行っていると聞いています。

事務局  30年原則を初めて聞いた時に、公文書館の専門員に、なぜ30年なのかと聞いたら、20歳や25歳で就職した人が文書作成後30年経てば、そろそろ退職の時期となっており、大丈夫ということになるだろうということで、原則ができたのではないかということでした。

中西   昔の50年というのは、子どもを除いて通常成人がその後50年経ったらだいたいその人は死ぬ時期だろうと、死んだらもう出したら良いということだったのでしょう。

大西   この頃は長生きだから、70年くらいにはなってますね。
 
■故人の個人情報
課長   古文書を見せて下さいと研究者の方が来られた時に、運営懇談会でも議論させていただいたのですが、個人情報保護をどうするかという事があります。ものすごく昔のものであれば、例えば、どこの宗派に属していたかとか、名前が書かれていたとしても、亡くなられていたりして、逆に言えばお見せしても大丈夫。個人情報を見極める基準みたいなものは作っていまして、時の経過ということで、国立公文書館で決められたものを、こちらで準用するという形にしているんですけど。ただ個人情報に関しましては、大阪府のように、死者の個人情報も対象だとしている所と、していない所と、自治体によって違います。国は生存する個人に関する情報としていて、個人情報の対象にしていないようですが。

山中   国立公文書館はかなり慎重にやっています。私が大政翼賛会について調べている時に、資料を見せてくれました。しかし、設立に関与した人の名前は封がしてあって見られませんでしたが、今は見せてくれます。その頃はまだ関与した人が生きているからということだったのでしょう。だから、私は今、戦前の内地と朝鮮と台湾との地方制度の比較研究をしているのですが、例えば台湾で日本人の郡の警察課長が台湾人に対してかなり酷い扱いをした、そういう資料が出てきたとします。そんな時は、日本人警察課長の名前は伏せています。そうしないと、子孫の方が生きておられた場合「うちのおじいさんがこんな酷い事をしておったのか」と不快な思いをされるかもしれません。どの程度配慮するか判断は難しいことですが、やはり配慮が必要です。その人の名前をださなくても、言いたい事は言えます。そういう事を基本原則として非公開の期限を決めていく。最初中西さんが言われたように、歴史学者が情報公開と公文書館の歴史文書の公開を一緒にすることはいけないと言ったのは、まさに捨てるだろうと、作らないだろうということでしたが、非公開の期限を定めるなど、その他いろいろの配慮をすれば、決してそんな事はないということが分かってきます。後でいろいろと問題になった事を、私達は公文書館の基本構想を考えていた初期の頃に議論していた事は、非常に良かったのではないかと思います。

室長   大阪府の場合、公文書館は、府政情報室と一緒になっていて、現用文書の管理が出来るようになって接続、連結できていますので、少なくともこれがマイナスに作用しないように、プラスに作用していけるように、今後も我々も仕事の仕方、仕組みを構築していかないといけないと思っています。

山中   室長、課長が変わる度に基準が変わるのでは困りますからね。そういうことにはならないとは思います。そうでないと、文書資料としての一貫性が無くなります。

室長   決め事をしていても、決め事どおりオペレーションしていく意識がともなっていないと、ともすれば安易に流れていく事になりがちです。この業務でもそのような事が無いようにしっかりやっていかなければなりません。ましてや、平成29年1月に本館5階の正庁の間の横という、素晴らしい場所に移りますので、そのような事を踏まえてやっていかなければいけないと思っています。
 
■図書館との連携
山中   この機会にお伺いしておきたいのですが、これは前から問題になっているんですけども、中之島図書館にある郷土資料室の資料の中に、公文書に類するものがあるんですね、庄屋文書の中に。そういうものをコピー、写真でもいいけれども、こちらにも保管しておく事が、必要じゃないかと思います。中之島図書館としては、必ずしも「どうぞ、どうぞ」という形で移管してくれない。中之島図書館としての役割もありますので。スペインには、国立公文書館は二つあって、地域ごとに片一方にコピーを置いて、片一方に実物を置いていてどちらに行っても全部の公文書が見られるようになっているようです。私は実際見たのではないですけど、スペインに行った時に、公文書館に詳しいマドリード大学の元教授の先生から伺いました。そういった事を中之島図書館所蔵の公文書に類する資料についてお考えいただければ有難いです。少し費用がかかるかもしれないけれど。

中西   公文書館に来られて、中之島図書館に郷土資料室にありますよ、と言うだけでは足りずに、複製本を置きなさいということですね。

山中   そうでないと、わざわざ行かないといけないですね。特に遠隔地から来て閲覧されている方には時間的にも負担になります。そういう点はフォローできたら良いと思いますね。

室長   今、我々のシステム上は、国立公文書館からも、府立図書館からも横断検索できるようになっています。図書館と連携出来ていなければ、先生おっしゃったように、公文書的なものについては、少なくともコピーを保存する事によって、それを見たいという方がワンストップで見られるようにするという事は考えてみる必要がありますね。

山中   それともう一つ、公文書館には専門員がおられ、研究するという事も一つの役割ですね。元専門員の方には、高倉さんのように高岡法科大学の法学部長になっておられる方がいますし、小野博司さんや矢切努さんのように、神戸大学法学部や中京大学法学部の准教授になっておられる方もいます。ここで研究したこともあって、今研究者として立派に育っています。大阪府の図書館同士は、連絡しあって図書を相互に借り入れられるような仕組みになっています。しかし、公文書館の方が府の中央図書館で資料を借りる場合、普通の閲覧者として行って借りなくてはなりません。大阪府の公文書館の専門員でありながら、わざわざ一般の閲覧者として借りなければならないという手間がかかります。大阪府公文書館も、府立中央図書館や少なくとも府内の図書館との交流を持てば、府内の図書館に公文書館的なものができるという、きっかけになるかも知れませんし、またそういう様な事になれば、専門職員の方がわざわざ中央図書館や府内の図書館まで行って借りてきて、貸出期間も厳しく言われて、また返しに行くというような事は無くなります。そうなれば研究上も大変便利です。そういう事もお考えいただけたらと思います。

室長   それは、確かに課題ですね。この4月から中京大学に行かれた方は、専門員として非常に精力的に公文書館の運営に携わっていただきましたし、最後に館報「大阪あーかいぶず」第46号に、研究成果をまとめていただいて、それ以外にも府民対象の歴史講座も分かりやすく丁寧な講義をしていただいて、私も聞かせてもらったんですけど、本当に勉強になりました。結局10年以上公文書館で勤務していただいた。有難かったんですけど、府の公文書館で十数年のキャリアを積んだという事が、今回の大学での採用の決め手になったと言っていただいて、我々もとても有難かったです。

事務局  先日も公文書館に来られて、その時に「30周年記念なんで、座談会にも出てほしいが、出られないなら、せめて寄稿して欲しい」と言うと、「いくらでも言って下さい」と。それと先程お話があった、かつての専門員の仲間とも交流はあるので、また声を掛けてみますと言ってもらいました。人とのつながり、連携がやはり大事かなと思います。それで先程もおっしゃられた博物館と図書館と公文書館とは、常々連携を言われておりますので、中之島図書館の話については、うちの方の古文書については、画像データとして電子化出来ていますので、やがて公開するという形にすればできるので、逆に言えばかなり図書館の方も電子化しているので、それを公開すれば常にパソコンから見られる形になる。今までであれば、借りて複写をしてという形になってたんですけど、それが向こうに有りながら、こっちに居ながら、見られる。非常に利便性が高まると思っています。

山中   デジタルなんかで見るのはいいけれども、現物を見るのとはまた違います。私の家の近所に堺市立南図書館があるのですが、府内の図書館の図書は借りられますけど、府立中央図書館など市外の図書館の図書借用期限は延長してくれない、期限がきっちりしている。コピーするにも、堺市立図書館の職員の監視の下でしないといけないというような色んな制限が付いている場合もありますが、結構便利に利用しています。

室長   図書館に行けば、確かにそうですね。わざわざ東大阪の府立中央図書館に行かなくても、1週間、2週間経てば届きます。

山中   確かに便利ですね。それと府立中央図書館には良い本が有るんです。大学図書館並みとはいかないけれども、それに近い程図書があります。やはり府立中央図書館ですね。
 
■全史料協への復帰を
大西   連携という事では、大阪府公文書館が全史料協(全国歴史資料保存利用機関連絡協議会)の加盟を辞められたっていう事は、すごく大きな痛手です。やはりいろんな情報、他の自治体はいろんなやり方をやっている訳ですから、そういう事も聞きながら、自治体も一枚岩ではなくて、その中でもいろんな人が、いろんな意見を持ちながら改良していっていますので、日進月歩である訳ですから。まあ、会費の問題があるんだと思うんですが、それだけでなくても、情報は得られると思いますので、研究者同士の繋がりというんではなくて、実際に職員としての繋がりもすごく大事じゃないかと思うんですね。また全史料協は国内に留まっていなくて、世界のICA(国際公文書館会議)にも繋がっており、山中先生が、先程言われた海外の情報も入ってきますから、その連絡網を使って、外国の情報、他府県の情報も引っ張り出せばメリットはすごくある。もう一度加盟を考えていただければうれしいと思っています。この頃はアーカイブズ学会もできましたしね。認定アーキビストも出来てきています。そういう問題も絡んで、是非考えていただけたらと思います。

事務局  全史料協につきましては、御承知のとおり会費負担の問題なんですが、オール府庁の中での方針で、任意のものは原則整理するということで、脱退という形になりました。また機会を捉えまして、今のところ近畿二府四県で、大阪、兵庫、和歌山は脱退している状況ですから、情報交換しながら、「またみんなでやろう」という形になったら良いなと、私たち担当レベルでは思うんですけど、なかなかカットされた予算を元に戻すという話は難しいとは思うんですけど、常に、その問題意識だけは持っていきたいと思います。
 
■OB職員への呼び掛け
中西   私からは、将来的な依頼なんですけど、一つは大阪府内の歴史的資料の受け入れの中で、千里ニュータウンや臨海埋立てに携わられた職員の方、その方は企業局におられて、企業局が30年代の終わり頃にできた。その時から千里ニュータウンや堺泉北臨海コンビナートの埋立て事業に携わっておられた。それで、私が言いたいのは、OB個人が愛着のある文書とか資料類を持っている。技術職の方なら、青写真とか持っている。今まだOB職員は沢山います。その人達に資料の寄贈をお願いすれば寄贈してくれます。亡くなられると、資料が無くなってしまう。80才以上の方で、ある程度のポスト以上の方に寄贈をお願いしたら、大事に持っている資料が、子、孫の代にきちんと残るか心配だったら、公文書館に預けてくれます。もう一つは、企画展、講座をいろいろされているが、大阪府のOBの方を入れて、座談会をしたらどうか。例えば、万博、千里泉北ニュータウンを担当された方に参加してもらって、この資料は、どこの誰が持っている、どこに行けばあるとか教えてくれます。例えば今、成人病センターのある敷地には、旧森ノ宮病院という、不確かかも知れませんが、そういうのがあった。その病院の跡に、昭和30年代に初代成人病センターを作った。あれを作った人は、医療職で初めて府庁の副知事になられた方だった、と聞いています。そういうことは、今まだ知っている人は生きているから。例えば母子医療センターでも、成人病センターとか、府立病院とか、いろいろな政策やっているでしょう。流域下水道とか三環状十大放射道路とか有るのは、全部土木部のOBに誰に聞いたらいいか教えてくれる。

室長   そうですね。流域下水道などは、大阪府が日本で初めてシステムを作った、そういうような事が多いですね。
中西   もちろん決裁文書は持って帰りませんが、資料類は絶対持っている。     

事務局  公文書館の所蔵資料の中には、結構、府のOBの方が持っていた資料を、○○コレクションと名付けて寄贈していただいた貴重な歴史資料類もあります。今後、府のOBの会である府友会の会報にも、記事を投稿させてもらい、協力をお願いしてみようと思っています。     

中西   座談会とかやってみたら、芋づる式にこの資料はここに行ったらあるとか、あの人ならば持っているとか教えてくれますよ。
 
■公文書館の幅広いネットワーク作りを
山中   国立公文書館には、全国の公文書館などの専門職員の研修があるんです。私も、何年間か続けて講師をしましたが、行く度に言われる事があります。それは「大阪府は専門職員を派遣してこないのですか」です。先程、大西さんが言われたように、全国の公文書館の職員と繋がりもできて仲良くなれる。だから、今でも時々私の所へ他県の公文書館から資料を送ってくれたり、防衛研究所からも資料を送ってくれます。その時に私の講義を受けた人達、沖縄から北海道まで、皆、お互いに受講の一定期間は顔を合わすので当然と親しくなります。私は講師として、教える方ですが、聴講している公文書館の方からも教えられたりすることもありました。

中西   手弁当で参加するのなら人事課も何も言わなでしょう。1年間の研修なら、1年間分の補充が必要となりますが、2週間、3週間なら行けるのではないか。そんなに経費も要らない。

山中   私は国立公文書館で言われたんですよ。東京から見ると大阪はかなり気になる自治体のようなんです。東京の人達は常に大阪を意識しています。先程も申しましたように、「大阪府の公文書館から国立公文書館の専門職員養成講座に、出席していないじゃないか」と言われます。国立公文書館は、自分たちが中心になって全国に公文書館のネットワークを作りたいようで、そのためには、主要自治体である大阪府の公文書館との人的な繋がりも必要と考えているからではないかと思います。

大西   私は国立公文書館の研修は、山中先生が講師をされる前に行きました。1週間のスケジュールでした。ICA(International Council on Archives)へも参加しました。旅費は出ませんでしたが、有給を認めてくれました。

山中   大西さんが、公文書館を辞められたのは、そういう処遇の問題もあるのですね。

室長   公文書館では常勤職員で抱えられないから、次の職場を常に視野に入れられている。もちろん大学は、公文書館以上に活躍のフィールドが広いですから、魅力がある職場だと思います。
  
大西   逆から言えば、非常勤でいて、そこにずっと居ても、上に上がれるわけでもないですから、ずっとは居られない事になると思いますね。なかなか難しいですけど、他県ではそういう方もおられて、その方が館長になっている所もある訳です。それは県のためだと思うんですけど。そういう方がおられるかどうかによって、行政にものすごく大きな影響を与えると思いますので、考えていただきたいですね。

山中   今まで出たお話以外では、以前に帝塚山の公文書館の敷地が売却され移転されるという話が出て、公文書館がいろんな意味で問題になった時、府会議員や歴史学関係の学会の方々が心配して、帝塚山の公文書館で開催された運営懇談会を傍聴しに来ていただいて、非常に熱心に傍聴して懇談会の委員を励まして下さったことは、公文書館の設立に関わった一人として、有難く感謝していることを申しておきたいと思っています。また、公文書館の重要性についても、髙田元課長が、運営懇談会委員として府会議員の説明に回られるなど御尽力下さいました。私も同行しましたが、公文書館設立を担当された元課長としての髙田さんの熱意には感動しました。大変感謝しております。

事務局  府会議員は府民を代表されていますから、その議会の質疑の中で、平成29年1月には、先ほど見学していただいた正庁の間の横、議会図書室と対になる形で、本館5階へ移るという事が明らかにされています。ただ、公文書館は、地味な存在ですので、もっと府民に対して情報発信していかないといけないと思っています。今回の座談会については、多くの貴重な意見、示唆に富む提言を賜りましたので、館報「大阪あーかいぶず」や、大阪府公文書館のホームページに掲載させていただき、広報に努めたいと思いますので、宜しくお願いいたします。
 
■公文書館のますますの発展を実感
山中   今日は、公文書館設置30周年記念の座談会ということで出席させていただきました。随分前のことなので、当時の事を憶えているかなと思っていましたが、いろいろと話をしているうちに、思い出してきました。公文書館の設立に御苦労下さった髙田元課長が都合で出席していただけなかったのは、残念でしたが、中西さん大西さんに出席していただいて、当時の苦労話など、大変有意義なお話をして下さり感謝しております。ありがとうございました。また、府政情報室長、課長、課長補佐の方々にご努力いただいて、ますます公文書館が発展している事を強く感じました。
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
  ※長時間にわたり、貴重なお話を聞かせていただき、校閲もしていただき、ほんとうにありがとうございました。事務局

専門員OBから見た30周年-公文書館時代を振り返る
図書館には司書(Librarian)、博物館には学芸員(Curator)、という専門職員が配置されています。
公文書館においても、司書や学芸員と異なり、資格の法制化はされていませんが、資料の収集、整理、研究を行うアーキビスト(Archivist)という専門職員を配置することになっており、大阪府公文書館でも、開館当初から、専門員(非常勤嘱託職員)を配置しています。
このたびの大阪府公文書館開館30周年にあたり、開館後10年~20年頃に在籍されていた、高倉史人さん、開館後20年~30年頃に在籍されていた、矢切努さんのお二人の専門員OBの方に白羽の矢を立てさせて頂きましたところ、即座に御快諾を頂き、公文書館「専門員OBから見た30周年-公文書館時代を振り返る」と題して、御寄稿して頂きました。
御多忙ななか御執筆して頂いたことを、紙上を借りまして厚くお礼申し上げるとともに、お二人の益々のご健勝ご活躍を、後継者たる専門員はもとより、大阪府公文書館一同として祈念しております。 
 
専門員OBから見た30周年-公文書館時代を振り返る

高岡法科大学法学部長 高倉 史人
 
 大阪府公文書館開館30周年、誠におめでとうございます。
現在、私は富山県にある高岡法科大学で法学部長兼教授として勤務しており、専門分野は法制史及び商法・会社法で、商法史を研究しています。
 大阪府公文書館には、前公文書館運営懇談会座長で大阪大学名誉教授の山中永之佑先生のご推薦を受けて、平成6年(1994)4月から平成16年(2004)8月までの約10年半専門員として勤務しました。その間多くのことを学ばせていただき、また研究者の基礎を作っていただいたと思っています。
 さて、公文書館での私の仕事は、大阪府に関する歴史的・文化的価値のある文書等や府民から提供していただいた文書等の収集・整理・保存、企画展や歴史資料講座の立案・開催、館報「大阪あーかいぶず」の執筆、府民等からのレファレンスの対応等でした。
 毎年度の初め大阪府の各部署から保存期間が満了し破棄決定された文書等を収集・整理・保存することは、公文書館の主要な仕事のひとつです。私もそれに携わっていましたが、多くの生の文書等に接することができるという研究者として重要な機会をあたえていただき感謝しています。また、毎年保存する文書等が増えてきたために、隣の旧大阪女子大学の校舎の教室を利用しましたが、校舎が古いために文書保存に耐えれるかどうか不安に思ったことがありました。
 府民から提供していただいた文書等は、私の時には東大阪市の中谷作次氏、高槻市の羽室邦男氏等からでした。中谷作次氏においては昭和20年代から40年代の大阪府に関する刊行物、ポスター等180点余で、なかでも、戦
後の食糧事情の好転を図るための「米の供出」に関するポスターや、荒廃した国土の緑化を推進するための「緑の週間」に関するポスターは希少なもので、デザインや色彩が非常に印象的でした。
 また、羽室邦男氏からは、枢密院に関する文書等30点以上提供していただきました。これは羽室氏の祖父大平駒槌氏が枢密顧問官で、母羽室ミチ子氏が秘書をしておられために残ったものと考えられます。なかでも、「日本国憲法案」「帝国憲法改正案審査会開催通知」「帝国憲法改正案を帝国議会の議に付するの件」「帝国憲法に於ける憲法改正案審議経過」等の文書は、日本国憲法成立過程における枢密院の審議に関する非常に貴重な資料で、保存に注意を要しました。
 企画展については、江戸時代では公文書館の「川中家文書」を中心とした展示、明治以降では川口居留地、府県制、内国博覧会、大阪府庁の変遷、日本国憲法、大阪万博等をテーマにした展示を行いました。多くの府民の方々に見ていただくということから、当時の文書だけでなく、写真、地図、絵図等を多く取り入れ、ビジュアル的にわかりやすい展示に心掛けました。なかでも、大阪万博については、当時大阪府が中心的な存在であり、大会の誘致から会場用地の確保、万博関連事業の実行、開幕、開催中、跡地利用等など大きな役割を果たしてきたために、非常に多くの文書、写真、地図、絵図等が残っており、これらをどのように選別して展示するか悩みました。さらに、万博の記録映画も上映しましたが、フィルムが古いためにそれに適合する映写機を苦労して探して上映した覚えがあります。
 また、歴史資料講座は、「歴史講座」と「資料講座」に分かれていましたが、私は「歴史講座」を担当し展示のテーマに沿った講義をやらせていただきました。
 館報「大阪あーかいぶず」の執筆では、「『大阪府公報』のから見た大阪府の行政の歴史-明治期を中心に-」(「第15号」平成6年11月)から「大阪の台風災害と高潮対策」(「34号」平成16年9月)まで様々なテーマで拙稿を書かせていただきました。私の研究に近いものは、例えば「大正時代の工業発展-大阪府を中心に-」(「第20号」平成9年3月)、「日本国憲法の制定と枢密院-羽室室文書を中心に-」(「第22号」平成10年3月)、「昭和初期の大阪の不況対策」(「第24号」平成10年3月)、「明治期における大阪の工業発展と府の施策」(「第25号」平成11年10月)、「百年前の大阪府の行政-教育と衛生を中心に-」(「第28号」平成13年4月)、「第五回内国勧業博覧会と大阪」(「第32号」平成15年9月)等ですが、公文書館には『官報』、『大阪府公報』、大阪府議会『定例会本会議議事録』等議会関係資料、『大阪府統計書』等をはじめ、他の多くの資料が保存されているために、これらを基にして書くことができたと思っています。
また、「大阪あーかいぶず」の執筆では公文書館だけでなく他機関の資料の調査・収集が不可欠でしたが、それができたことは府民等からのレファレンスの対応や私の研究においても大きな助力となっています。以上、拙い内容で恐縮ですが、私の行った仕事を中心に公文書館時代を振り返ってみました。最後に、公文書館のさらなる発展をお祈り申し上げます。
 
 
中京大学法学部准教授 矢切 努
 
大阪府公文書館開館30周年、誠におめでとうございます。心からお祝いを申し上げます。
私は、平成16(2004)年9月~平成27(2015)年3月までの間、大阪府公文書館でお世話になりました。前・公文書館運営懇談会座長で大阪大学名誉教授の山中永之佑先生のご推薦を受け、公文書館の非常勤嘱託員(専門員)として約10年半勤務させて頂き、昨年3月、公文書館を退職して、中京大学法学部に赴任しました。
公文書館での業務は、歴史的・文化的価値のある文書資料類等の収集・整理・保存のほか、企画展や歴史資料講座の立案・開催、館報「大阪あーかいぶず」の執筆、府民等からのレファレンスの対応のほか多岐にわたるものでした。これら業務はいずれもが、私にとって非常に貴重な経験となりました。様々な行政情報や文書へのアクセスができただけでなく、運営懇談会委員の先生方や大阪府職員の方々にも、多くのことを教えて頂くことができました。また、レファレンス業務を通じて、利用者の方からたくさんのことを学ぶことができ、企画展・歴史資料講座の企画・立案・開催を通じて、ご協力・ご参加を頂いた多くの方々からも貴重なご助言を得ることができました。加えて、他の公文書館及び類似施設の専門職の方々とも交流することができ、貴重なご協力を得ることもできました。このように、私の約10年半の公文書館時代は、私にとって、何ものにも代えがたい時間であり、私が研究を進める上でも、貴重な経験をすることのできた時間であったと考えております。本当に感謝致しております。
公文書館での業務内容は多岐にわたり、全てを語ることはできませんが、私がもっとも印象に残っているのは、企画展・歴史資料講座の企画・立案・開催に関するものです。私が勤めはじめた当時、公文書館の企画展は、毎年一回秋口に開催され、同時期に「川中家文書」等の古文書を用いた古文書講座と企画展の内容に即した歴史講座も催されていました。
勤務し始めて最初の企画展は、「記録からみる大阪の台風災害~室戸台風から70年~」(平成16年)でした。既に展示準備は完成しておりましたが、いきなり歴史講座を担当することとなり、四苦八苦して準備をしたことも懐かしい思い出です。私は、戦前・戦後を通じ、大阪府が経験した三大台風(室戸台風・ジェーン台風・第二室戸台風)とその対策について話を致しましたが、講座参加者に昭和9(1934)年の室戸台風を経験された方もおられ、講座終了後に、当時の経験談を聞かせて頂けたことは、非常に興味深く、勉強になりました。
その後、「千里ニュータウン」や「郡制・郡役所」などをテーマに企画展・歴史講座などを行い、平成19(2007)年には、4月29日が「みどりの日」から「昭和の日」と改称されたことを受け、『「昭和の日」制定記念:大阪における昭和時代を振り返る』をテーマに「激動の昭和時代」を所蔵資料や映像で振り返る特別展を開催しました。日数は4月23日(月)~29日(日)の一週間という短期間でしたが、日祝日も特別開館したこともあって、多くの方々に見学して頂くことができました。
「大阪万博」の映像をみながら、「あの時、子供はいくつだったね」と感慨深げにお話しされていたご夫婦の姿、展示を見ながら、内容を知らないお子様に教えてあげているお父さん・お母さんの様子に接して、私は、展示を企画して良かったという気持ちになりました。
同じ平成19年の秋には、社会福祉協議会や地元の郷土史家・大学研究者の方々のご協力も受け、「アーカイブズ・フェア 大阪の社会福祉の歴史」と題する大企画イベントも催しました。古文書講座・歴史講座に加えて、外部講師による特別資料講座も行いました。公文書館移転後には、「私鉄王国・大阪の鉄道の歴史」という企画展も行いました。この展示では、公文書館利用者の方に、ご協力・ご尽力を頂き、関西私鉄各社(及びその関連組織)に展示ご協力を頂くこともできました。
特に、企画展の立案・開催業務は、たいへんな作業でしたが、当時の職員・同僚専門員・非常勤嘱託員の方々のご努力、そしてご協力を賜った上記の皆様、参加・来館して頂いた利用者の方々のご理解がなければ、到底なし得なかったものと考えています。私の公文書館時代に関わって頂いた全ての方々に、この場をお借りして心より御礼を申し上げます。ありがとうございました。
このように私の公文書館時代を振り返ると、多くの人々への感謝なしには、到底語ることのできない貴重な時間であったと考えております。今後とも、大阪府公文書館が、ますます多くの方々のご協力とご理解のもとで発展し、40周年、50周年、そして100周年を迎えられることを切に願い、開館30周年のお祝いの言葉とさせて頂きます。     
竣工90周年を迎える大阪府庁本館。 府庁本館正面玄関向かって左側の5階フロアの大阪城側に、平成29年2月大阪府公文書館が移転する予定です。

大阪府公文書館30年のあゆみ

1 沿革 
大阪府における文書館設立の動きの端緒は、昭和48年(1973年)1月の「大阪文化振興研究会(代表 宮本又次大阪大学名誉教授(当時)、委員 梅棹忠夫、小野十三郎、木村重信、里井達三良、司馬遼太郎、末次摂子、西川幸治、米花稔、吉田光邦 計10名)」の提言及び昭和55年(1980年)5月及び11月の「大阪府文化問題懇話会(座長 梅棹忠夫国立民族学博物館長(当時)、委員 上田篤、木村重信、小松左京、作道洋太郎、司馬遼太郎、末次摂子、田辺聖子、吉田光邦 計9名)」の提言にみられる。

その後、大阪府公文書館は、昭和60年(1985年)11月11日、歴史的文書資料類等の体系的かつ適正な収集及び保存を行い、これを調査及び研究に供するため、大阪市住吉区帝塚山の旧大阪女子大学の施設を転用して設置された。設置に先立ち、公文書館の基本構想について調査検討を行うため、昭和57年(1982年)7月に、「公文書館問題専門家研究会(座長 宮本又次大阪大学名誉教授(当時)、委員 阿部泰隆、片岡重治郎、勝部元、小山仁示、作道洋太郎、玉田義美、村上義弘、毛利敏彦、山中永之佑、湯浅叡子 計11名)」及び「同研究会小委員会(委員長 山中永之佑大阪大学教授(当時)、委員 広川禎秀、芝村篤樹、中尾敏充、多治比郁夫、田村利久、高田常三郎 計7名)」が設置され、昭和58年(1983年)5月に、「府公文書館は、情報公開、情報提供等を行う行政情報センター機能と歴史資料の保存・利用機能を有する複合的施設」とする提言が行われた。その後、この構想の具体化を図るために設置された庁内プロジェクトである「公文書館問題検討委員会」による検討を経て、「当面、緊急の課題である歴史的文書資料類の収集保存とその利用にしぼり、既存の施設を有効活用して公文書館の実現を図る。また、提言にある複合的施設の実現に向けて、長期的な視点に立って引き続き検討を進める」旨の大阪府公文書館(仮称)設立第1次基本計画が策定され、大阪府公文書館の設置が具体化して、昭和60年(1985年)11月11日の開館に至ったものである。
開館後は、府の公文書の他、他機関の所蔵資料のマイクロフィルム複製や寄贈寄託等によって所蔵資料の拡大を図るとともに、保存方法の充実や検索方法の改善、所蔵資料を活用した企画展・歴史資料講座の開催や公文書館の普及啓発等を図ってきた。近年は、電子技術を活用した歴史文書の収集選別システムや所蔵資料の検索システムの導入、所蔵資料のデジタル化・マイクロフィルム化などIT化に対応した公文書館運営に注力しており、現在は、特に、インターネット上で閲覧できる画像の増加や、利用者利便の増進、個人情報の適切な保護など、時代の要請に対応した業務運営に取り組んできた。
その後、第1次基本計画で「情報の収集、蓄積及び府民の利用の便等を考慮して、府庁の本庁舎又はその周辺が望ましく、今後、庁舎周辺整備等の具体化の中で検討を行うこととする」と示されていたことについては、永年の課題であったが、本府の財政状況や行財政改革の視点、庁舎周辺整備や府有財産の活用状況など、さまざまな要素を加味して、公文書館の移転について検討がなされた結果、平成23年(2011年)4月16日に、帝塚山から大手前庁舎本館1階に移転した。
開館から現在までの利用者は、延べ約4万8千人、所蔵資料は、約16万件を数える。また現在、当館には、2名の常勤職員と6名の非常勤職員(うち3名は、調査研究等に携わる専門職員)が配置されており、おのおの知識・経験を生かして業務運営にあたっている。
 
[ 大阪府公文書館30年間の主な出来事 ]
昭和59年(1984年)
・「歴史的文書資料類の収集及び保存に関する規程」施行(10月)
昭和60年(1985年)
・「大阪府公文書館設置要綱」「大阪府公文書館利用要領」施行(11月)・大阪府公文書館開館(11月11日)・開館記念式典・記念講演会を開催(「歴史と資料」講師 司馬遼太郎氏)(11月)・開館記念誌「公文書館」を発行(11月)
昭和61年(1986年)
・館報「大阪あーかいぶず」を創刊(3月)・「太政類典」「公文録」(国立公文書館所蔵)をマイクロフィルム複製により収集(3月)・大蔵省造幣局及び大阪市立大学付属図書館所蔵資料をマイクロフィルム複製により収集(3月)・関西大学博物館学課程実習を実施・「大阪府公文書館運営懇談会設置要綱」施行(8月)・大阪府公文書館運営懇談会を設置(8月)・英国国立公文書館副館長来館(8月)
昭和62年(1987年)
・公文書保護のため、帙、たとうを作成・収納(8月)・国立史料館主催「近世史料取扱講習会」を開催(10月)
昭和63年(1988年)
・「川中家文書目録(近世の部)」を発行(3月)・「公文書・刊行物目録」の発行開始(3月)・公文書館法施行(6月)・国立史料館主催「史料管理学研修会」を開催(11月)・公立小中高等学校新任教員研修を実施(12月)
平成元年(1989年)
・「大阪あーかいぶず特集号№1」を発行(3月)・大阪府統計資料(明治14年~昭和47年)をマイクロフィルム複製により収集(7月)
平成2年(1990年)
 ・公文書館運営懇談会委員の改選(委員8名に増員。)
平成3年(1991年)
・古文書用に桐箱(31箱)を作成・保存(1月)・大阪府公報付録(明治21年~25年)をマイクロフィルム複製により収集・刊行物データのパソコン入力開始(4月)・書架を増設(5月)・大阪府関係資料(明治~大正期、外務省外交資料館所蔵)をマイクロフィルム複製により収集(12月)・閲覧用に「河内扇」の複製品を作成(12月)
平成4年(1992年)
・岸田長久氏から古文書の寄贈(3月)・大阪府訓令(明治期)をマイクロフィルム複製により収集(3月)・「川中家文書目録(近代の部)」の発行(3月)・「公文書・資料類の保存・管理に関する講演会」を開催(「公文書館の歩みと課題」講師 山中永之佑氏、「地域文書館の役割」講師 芝村篤樹氏)(5月)・金井秀氏から文書の寄贈(7月)

平成5年(1993年)
・大阪府公文書館運営懇談会公文書館問題検討小委員会から「公文書館の現状と課題」(中間報告書)(1月)・大阪府公報(明治22年~昭和40年、総務部法制文書課保管マイクロフィルム)をマイクロフィルム複製により収集(3月)・「米国戦略爆撃調査団報告書(大阪府関連部分)」(国立国会図書館所蔵)をマイクロフィルム複製により収集(3月)・全国歴史資料保存利用機関連絡協議会近畿部会発足総会及び記念講演会を開催(「公文書が語る歴史秘話」講師 小玉正任氏、「人と暮らしと文書館」講師 音田昌子氏)(5月)・府の文書減量化(クリアー作戦)を契機とした歴史文書の収集(7月)
平成6年(1994年)
・劣化防止のため中性紙の保存ケースを作成・収納(1月)・明治期府議会関係資料(横山喬氏所蔵)をマイクロフィルム複製により収集・大阪府公文書館運営懇談会(座長 勝部元桃山学院大学名誉教授 委員8名)からの報告「大阪府公文書館のあり方について―提言―」(3月)川中家文書を修復(3月)・資料増加に対応するため旧看護短期大学庁舎の一部を書庫として活用(5月)・第1回近畿府県公文書館等実務担当者研究会を開催(10月)・中国国家档案局訪日団来館(10月)
平成7年(1995年)
・職員録(大正・昭和前期、人事課保管)をマイクロフィルム複製により収集(3月)・府議会速記録(明治昭和前期、議会事務局保管)をマイクロフィルム複製により収集(11月)・開館10周年記念講演会を開催(「日本文化の伝統と創造―文書記録の意義」講師 上田正昭氏、映画「日本万国博覧会開催の歩み」)(12月)
平成8年(1996年)
・「内閣文庫(大阪府関連部分)」(国立公文書館所蔵)をマイクロフィルム複製により収集(2月)・「大阪あーかいぶず開館10周年記念号」を発行(3月)・(社)APECから大阪会議資料を寄託(3月)・「大阪府警察統計書」(大阪府警察本部所蔵)をマイクロフィルム複製により収集(8月)・中国北京市档案局訪日団来館(8月)・大阪府個人情報保護条例施行(10月)
平成9年(1997年)
・「公文雑纂(大阪府関連部分)」(国立公文書館所蔵)をマイクロフィルム複製により収集(7月)・羽室邦男氏から文書を寄託(8月)
平成10年(1998年)
・羽室邦男氏寄託文書企画展を開催(5月)・古文書教室を開始(11月)
平成11年
・大阪府が文書ダイエット大作戦実施(4月~)・府県制施行100周年企画展を開催(10月)・古文書教室を開始(10月)
平成12年
・行政機関の保有する情報の公開に関する法律施行(4月)・大阪府情報公開条例施行(6月)・大阪府行政文書管理規則施行(6月)・歴史資料教室を開始(10月)
平成13年
 ・「大阪府公文書館利用要領」を改正(4月1日施行)
 ・大阪府公文書館ホームページ開設(5月)
平成14年
・所蔵文書目録等整理事業の委託実施(4月)・歴史資料教室のインターネットでの受講申込み開始(9月)
平成15年
・インターネットでの所蔵資料の検索サービスを開始(3月)・歴史的文書管理システム(公文書館システム)稼働開始(4月)・大阪府公文書館長が、全国歴史資料保存利用機関連絡協議会近畿部会会長に就任(任期2年)(5月)・歴史的文書資料類保存対策事業(大阪府公報のマイクロフィルム及び電子画像データ作成)の委託実施(7月~)
平成16年
・高倉書庫の使用開始(3月)・歴史的文書資料類保存対策事業(行政文書等(明治から昭和前期)のマイクロフィルム及び電子画像データ作成)の委託実施(7月~)
平成17年
・個人情報保護法全面施行(4月)・府関係団体等からの体系的な歴史的文書収集開始(7月)・「大阪府公文書館利用細則」施行(9月)・「大阪府公文書館利用業務実施マニュアル」施行(9月)・「大阪府友会だより」にて、広報及び文書提供依頼(9月)・中国広東省档案館視察団来館(9月)・大東市小中学校事務職員研究会に対する研修(11月)・館内外国語表記(英語・中国語・韓国語)(12月)・20周年記念座談会(1月)・教育分野との連携確保対策(2月)・近畿府県公文書館等実務担当者研究会(2月)・府組織再編に伴う歴史的文書確保対策(2月)
平成18年度
 ・「歴史的文書資料類の収集及び保存に関する規程第3
条第3項による文書及び資料類の細目」の施行(4
月)・平成18年度アーカイブズ・フェア(企画展・
特別展・歴史講座・古文書講座・特別講座)を開催(9
月~11月)
平成19年度 
・全国歴史資料保存利用機関連絡協議会(全史料協)事
務局業務担当開始(19年度~20年度)(4月)
・昭和の日制定記念特別展開催(4月)・平成19年度アーカイブズ・フェア(企画展・特別展・歴史講座・古文書講座・特別講座)を開催(9月~11月)
平成20年度 
・国際アーカイブズの日制定記念特別展開催(6月)・
平成20年度アーカイブズ・フェア(企画展・歴史講
座・古文書講座・特別講座)を開催(10月~11月)
平成21年度 
・総務部法務課公文書館グループから府民文化部府政
情報室情報公開課公文書館グループに組織改正(4
月)・「6月9日は国際アーカイブズの日特別展・歴
史講座」開催(6月)・平成21年度アーカイブズ・
フェア(企画展・歴史講座・古文書講座・特別講座)
を開催(10月~11月)
平成22年度 
・府政情報室公文書館グループに組織改正(4月)
・平成22年度アーカイブズ・フェア(特別大展示及び
 特別大展示解説の府政学習会)を開催(10月)・企
 画展を開催(12月)・大手前府庁本館移転のため一
 時閉館(1月~3月)・本館地下に書庫移転、旧国
際児童文学館建物(吹田市)に書庫を設置(2月)
平成23年度 
・府民文化部府政情報室公文書グループに組織改正(4月)・大阪府公文書総合センター設置要綱の制定(4月)・大手前府庁本館1階へ移転(4月)・企画展及び特別展を開催(4月・7月・11月・1月)・府政学習会の庁舎見学コースに公文書館組入れ開始(6月~)・公文書館と府政学習会の共同企画特別イベント(歴史講座1回・古文書講座2回)を開催(2月)
平成24年度  
・企画展を開催(5月・9月・3月)・公文書館と府政
学習会の共同企画特別イベント(夏休み親子歴史学
習会(8月)古文書講座・歴史説明会(11月))を開
催・大阪府公文書館利用要領の改正(歴史的文書の
電子撮影) (3月)
平成25年度 
・府民文化部府政情報室情報公開課公文書グループに組織改正(4月)・大阪府公文書館利用要領の改正(時の経過を踏まえた歴史的公文書の公開基準の制定) (7月)・公文書館と府政学習会の共同企画特別イベント(夏休み親子歴史学習会(8月)古文書講座(1月))・企画展を開催(9月・1月) ・耐震工事のための本館地下書庫(現用文書書庫との入替)移転(9月)
平成26年度
 ・行政文書管理システム及び歴史的文書管理システム
再構築完了運用開始(5月)・新大阪府公文書館ホー
ムページ開設(5月)・国立公文書館との横断検索開
始(5月)・企画展を開催(5月・10月)・公文書館
と府政学習会の共同企画特別イベント(歴史講座(1
0月)古文書講座(1月))
平成27年度 
・企画展を開催(5月・10月)・公文書館と府政学習会の共同企画特別イベント(歴史講座(10月)古文書講座(1月))・開館30周年記念座談会開催(8月)
 
2 所蔵資料のあらまし 
開館直後は、所蔵資料の充実を図るため、府の公文書の収集とともに、国立公文書館、大蔵省造幣局、大阪市立大学付属図書館、外務省外交資料館等関係機関の所蔵資料をマイクロフィルム複製によって収集してきた。また、川中家文書、岸田家文書、金井家文書等江戸時代以降の民間文書の寄贈や寄託を受けることにより、古文書類の充実に努めてきた。当館では、現在、歴史的文化的価値を有する公文書、行政刊行物や古文書等約16万件を保有しているが、これらはインターネットで外部から目録検索ができるようにしている。また、大阪府公報の内容は、順次、画面上で閲覧できるようにした。
 
[ 所蔵資料件数(平成27年11月末現在) 
             合計 168,905
(公文書:16,456件、行政刊行物:94,544件、
古文書:12,901件、官報:7,420件、
大阪府公報:24,842件、その他12,742件)
 
[ 所蔵資料(例)(平成27年11月末現在) ]
『大阪府公報』(明治21年~現在)
第1号から保存。主に大阪府の条例や規則などの制定改廃や告示を掲載
『大阪府議会会議録・速記録』(明治12年~現在)
大阪府議会や委員会の議事録・速記録
『大阪府統計書』(明治14年~現在)
大阪府の土地、人口、経済、教育、社会、文化などの統計資料を総合的・体系的に収録
『大阪府史料』(明治初期)
府県史の編集稿本。内容は政治、産業、教育など。元豊崎県、旧堺県、旧奈良県、旧河内県の史料も。
『大阪府教育百年史参考資料』(明治初期~昭和47年)
「大阪府教育百年史」の作成にあたって収集された資料
『大阪府写真帖』(大正3年12月発行)
江ノ子島にあった大阪府庁の写真など府内130カ所の名所・旧跡、学校、会社などが解説文とともに掲載
『官報』(明治16年~現在)
第1号から保存
『太政類典』(慶応3年~明治14年)
太政官記録課が、制度・官制・官規など19部門に分類して年代順に編集
『公文録』(明治元年~18年)
太政官において授受した公文書のほとんどを省庁別・年月別に編集
『公文類聚』(明治19年~昭和20年)
「太政類典」を引継ぎ、主に法律・規則の原議を収録
『公文雑纂』(明治19年~昭和20年)
「公文類聚」に収録した以外の内閣で授受した文書を、省庁別・年月別に編集(大阪府に関係するもののみ)
『大蔵省造幣局所蔵資料』(明治期)
大阪造幣局の沿革や大阪府との往復文書等収録
『米国戦略爆撃調査団資料』(昭和15年~20年)
戦時下の大阪府の人口、防空設備、医療組織、被害状況、学童疎開などの報告書

『川中家文書』(江戸期~昭和前期)
東大阪市の旧庄屋文書で、川中家に伝わっていた検地帳、村明細帳など備考 一部はマイクロフィルムにより収集 
[ 所蔵資料件数の推移 ]
所蔵資料は、開館当時から約7倍に増加した。増加数は年度ごとに大きく変動するが、直近10年平均では年間約5000点増加している。なお、平成15年度に減少しているのは、「歴史的文書資料類の収集及び保存に関する規程」等の見直しにより、所蔵資料の再精査を行い、大阪府公文書館運営懇談会に諮って、歴史的文化的価値の低い資料などを整理したことによる。
※(公:公文書、刊:刊行物、古:古文書)
昭和60年度 24,759件
(公:3,607、刊:16,691、古:1,899 他)
昭和61年度 31,377件
(公:3,748、刊:19,375、古:1,899 他)
昭和62年度 37,590件
(公:6,995、刊:21,216、古:1,899 他)
昭和63年度 44,554件
(公:9,349、刊:22,290、古:1,899 他)
平成 元年度 52,726件
(公:12,048、刊:25,043、古:1,899 他)
平成 2年度 63,259件
(公:13,678、刊:31,180、古:1,899 他)
平成 3年度 72,578件
(公:15,619、刊:36,241、古:1,899 他)
平成 4年度 77,140件
(公:16,878、刊:37,918、古:1,899 他)
平成 5年度 83,972件
(公:20,824、刊:39,485、古:1,899 他)
平成 6年度 85,691件
(公:21,545、刊:40,209、古:1,899 他)
平成 7年度 87,742件
(公:22,540、刊:41,019、古:1,899 他)
平成 8年度 92,973件
(公:25,899、刊:42,407、古:1,899 他)
平成 9年度 95,867件
(公:26,776、刊:43,418、古:1,899 他)
平成10年度 101,758件
(公:28,539、刊:45,513、古:1,899 他)
平成11年度 110,432件
(公:31,081、刊:48,754、古:1,899 他)
平成12年度 114,623件
(公:32,693、刊:50,741、古:1,899 他)
平成13年度 119,733件
(公:33,568、刊:53,048、古:1,899 他)
平成14年度 121,487件
(公:33,783、刊:53,934、古:1,899 他)
平成15年度  99.270件
(公:10,415、刊:53,212、古:6,140 他)
平成16年度 115,929件
(公:10,686、刊:55,008、古:7,205 他)
平成17年度 126,811件
(公:10,977、刊:96,013、古:7,221 他)
平成18年度 128,702 件
(公:11,419、刊:97,460、古:7,222 他)
平成19年度 129,614件
(公:11,419 、刊:98,371、古:7,222 他)
平成20年度 141,647件
(公:11,447、刊:110,086、古:7,459 他)
平成21年度 143,597件
(公:11,872 、刊:111,571、古:7,498 他)
平成22年度 148,610件
(公:13,417 、刊:114,934、古:7,551 他)
平成23年度 154,082件
(公:13,427 、刊:120,401、古:7,552 他)
平成24年度 157,212件
(公:15,467、刊:121,491、古:7,552 他)
平成25年度 158,782件
(公:15,608、刊:122,895、古:7,553 他)
平成26年度 166,090件
(公:15,834 、刊:124,774、古:12,740 他)
平成27年度 168,905件(11月末現在)
(公:16,456 、刊:126,806、古:12,901 他)
 
3 利用状況 
大阪府公文書館では、企画展や歴史講座等への参加の一般府民の他、所蔵資料の閲覧・複写、レファレンスなど、大学教員、大学生、大学院生等のほか、高校教員、郷土史家、行政機関職員等の専門的な利用者が多く、また業務上の必要性から府の職員の利用もあって、ほぼ安定した利用者数となっている。
当館のホームページを開設した平成13年度以降は、情報収集・資料検索・講座への参加申し込みなど、インターネットを通じた利用が増加している。平成17年9月に、当館ホームページのレイアウトを大きく変更したが、平成26年5月、さらに、行政文書管理システムの再構築に合わせて、歴史的文書管理システムを再構築するとともに、公文書館ホームページの全面リニューアルを図り、デジタルアーカイブズの充実や、企画展や講座等のイベント告知、講座等のテキストや開催風景の提供、主なレファレンスの紹介とFAQなど、府民に公文書館が親しみやすくなるようなホームページ作りを心がけており、アクセス数が増加している。
 
[ 入館者数の推移 ]
大阪府公文書館の年間入館者数は、引っ越し等の休館や企画イベントの実施等の増減要因がある場合を除けば、概ね、1000人から1500人の範囲の間で安定して推移している。なお、平成17年度から19年度は自動計測器等の故障により、例年に比して数値が異常を示していたため比較から外した。
 
                ※(レ:レファレンス)
昭和60年度  584人(複写 34件)
昭和61年度 1,471人(複写 92件)
昭和62年度 1,574人(複写 58件、レ 74件)
昭和63年度 1,472人(複写 73件、レ 63件)
平成 元年度 1,099人(複写 68件、レ 95件)
平成 2年度 1,042人(複写 56件、レ128件)
平成 3年度 1,251人(複写 66件、レ228件)
平成 4年度 1,861人(複写 94件、レ211件)
平成 5年度 1,510人(複写100件、レ238件)
平成 6年度 1,320人(複写 70件、レ250件)
平成 7年度 1,160人(複写 67件、レ209件)
平成 8年度 1,240人(複写 87件、レ225件)
平成 9年度 1,630人(複写 88件、レ216件)
平成10年度 1,453人(複写140件、レ442件)
平成11年度 1,541人(複写118件、レ444件)
平成12年度 1,593人(複写127件、レ450件)
平成13年度 1,509人(複写110件、レ331件)
平成14年度 1,412人(複写121件、レ 83件)
平成15年度 1,719人(複写137件、レ 72件)
平成16年度 1,357人(複写174件、レ 57件)
平成17年度  865人(複写283件、レ 41件)
平成18年度 2,679人(複写347件、レ165件)
平成19年度 5,275人(複写212件、レ235件)
平成20年度 1,520人(複写194件、レ185件)
平成21年度 1,567人(複写210件、レ146件)
平成22年度  709人 (複写160件、レ32件)
(平成22年12月 移転準備閉館)
平成23年度 2,167人(複写240件)
          (平成23年4月府庁本館移転)
平成24年度 1,319人(複写233件)
平成25年度 1,794人(複写275件)
平成26年度 1,492人(複写186件)
平成27年度  838人(複写118件)(11月末現在) 
 
[ ホームページへのアクセス数の推移 ]
 大阪府公文書館のホームページは、平成26年度に行政文書管理システム・歴史的文書管理システムの再構築に併せて、全面的にリニューアルをした。トップページからリンクしている各コンテンツも大幅に増加・充実させて、また国立公文書館との横断検索や、検索エンジンのグーグルマップに大阪府公文書館アクセスマップが掲載されるなど、インターネット検索や各種リンクからのアクセス数も増えてきたためと思われる。
 
平成13年度  2,446
平成14年度  6,175
平成15年度  9,246
平成16年度  11,550
平成17年度  13,646
平成18年度  20,974
平成19年度  24,803
平成20年度  25,545
平成21年度  15,113
平成22年度  16,835
平成23年度  15,868
平成24年度  30,330
平成25年度  21,149
平成26年度 211,810(平成26年5月新HP開設)
平成27年度 137,558(11月末現在)
 
 4 企画展等の開催 
開館当初は、展示室及び閲覧室の一部において、寄贈資料等を長期間にわたって展示する常設展を主に開催していた。平成9年度以降は、所蔵資料等を活用して、一定のテーマで、時期を限定して、年数回程度を実施する企画展を開催している。
 
[ 企画展等の開催状況 ]
昭和60年度~
・開館記念展示会(11/11~21)「知事事務引継書、郡役所廃止一件他」 
・常設展(11/25~)「川中家文書、明治から終戦前後の公文書他」
昭和63年度~(11/1~H3/3/15)
・常設展「小島誠氏所蔵資料 熊野街道と住吉大社、昭和6年巴土波一周展覧会、大和川関係」
平成 2年度~(3/15~)
・常設展「大阪府公文書にみる暗号符、昭和初期貿易館における貿易振興展覧会、虫食いの史料」
平成 5年度(5/4~8/24)
・常設展「森祐子氏寄贈史料 浄土真宗宗名一件書伏、髪結職由緒書他」
平成 9年度(5/12~6/13)
・企画展「川中家文書にみる江戸時代の冠婚葬祭」
平成10年度(5/11~6/5)
・企画展「憲法制定50周年 新出史料羽室家文書 日本国憲法制定秘話(枢密顧問官の苦悩)」
平成11年度(10/25~11/12)
・企画展「府県制施行100周年 府県制施行当時の大阪の姿」
平成12年度(8/21~9/14)
・企画展「大阪万国博覧会30周年 文書と写真でふりかえる大阪万博(記録のタイムトンネルをぬけて)」
平成13年度(10/1~26)
・企画展「川口居留地と大阪の貿易」
平成14年度(10/1~30)
・企画展「公文書にみる大阪府庁舎の移りかわり(江之子島から大手前へ)」
平成15年度(10/1~30)
・企画展「100年前の大阪エキスポ 歴史資料にみる第5回内国勧業博覧会」
平成16年度(10/1~28)
・企画展「記録からみる大阪の台風災害 室戸台風から70年」
平成17年度(10/3~28)
・企画展「大規模宅地開発事業 新しい住宅都市“千里ニュータウン”」
平成18年度(9/19~11/17)
企画展「近代大阪府の郡役所―廃止から80年―」 
   特別展「大阪府内の市町村の歴史」
平成19年度(4月、9月)
  特別展「昭和の日制定記念 大阪における昭和時代を振り返る」
 企画展「大阪の社会福祉の歴史」          特別展「大阪の社会福祉施設と福祉活動家」
平成20年度(6月、10月)
  特別展「国際アーカイブズの日制定記念 私鉄王国大阪の形成と実業家たち」
  企画展「公文書館所蔵資料にみる明治の大阪」
平成21年度(6月、10月)
  特別展「6月9日は国際アーカイブズの日 高度経済成長時代の大阪」
  企画展「所蔵資料で振り返る大正期の大阪府」
平成22年度(10月、12月)
  特別展「特別大展示 ―11日間限定!!最初で最後の大展示―」
  企画展「資料からみる江戸時代の大坂」
平成23年度(4月、7月、11月、1月)
  特別展「大阪府の誕生-明治期の大阪-」
  企画展「大正時代の大阪~まちとにぎわい~」
  企画展「移り変わる大阪府内のまちなみ」
  特別展「大阪府庁本館が建てられた時代」
特別展「初公開『平池家文書』」
平成24年度(5月、9月、3月)
  企画展「大阪-新世界の歴史-明治から大正の新世界をふりかえる」
  企画展「大阪府鳥瞰図とおおさかの橋~おおさかの橋いまむかし~」
  企画展「大阪府鳥瞰図からみた大阪の鉄道-地図・公文書・資料で振り返る「私鉄王国大阪」
平成25年度(9月、1月)
  企画展「絵図と写真でみる中之島の歴史-中之島のいまむかし-」
  所蔵資料展「未来につなぐ公文書館-古文書・行政文書の展示公開-」
平成26年度(5月、10月)
  企画展「関西国際空港開港から20年-関西国際空港の建設をふりかえる-」    
  所蔵資料展「大阪府の成立とその発展-明治時代を
中心にして- 江戸時代の庄屋家の古
文書 など」
平成27年度(4月、9月、11月)
  企画展「大正時代の大阪府-方面委員制度の発祥地-」
  企画展「大阪府庁が建てられた時代-大正時代の大阪-」
  「府庁本館竣工90周年記念プレイベント企画展示」
 
5 歴史講座等の開催 
開館当初は、所蔵文書を教材に、参加者を公募せずに関係者で購読する集いを実施していた。その後、ノウハウの蓄積等を背景に、参加者を公募して、所蔵する川中家文書(江戸時代の庄屋文書)を教材に、本格的に古文書の取り扱いや解読の基礎知識の付与と、解読実習を行う「古文書教室」を実施した。平成14年度以降は、利用者利便に配慮し、古文書教室(講座)とともに、主に企画展で取り上げるテーマと資料によって歴史を顧みる「歴史教室(講座)」を併せて開催し、両者を併せた名称を「歴史資料教室(講座)」として実施してきた。この間、利用者の動向やニーズをふまえ、実施回数や実施時間等の改善を行ってきたが、特に平成17年度は、第一部を「古文書講座」、第二部を「歴史講座」、第三部を「映像でみる大阪の歴史」として、内容を3部構成とし、初めて動画の上映を取り入れた。また、平成17年11月には、府下教育関係職員の研究研修活動の一環として、要請を受けて、特別に歴史資料講座を設定実施するとともに当館の施設紹介を行った。その後については、講座等は年数回程度の開催を恒例化して、平成22年度からは、公文書館単独開催の講座だけでなく、府政学習会とタイアップした講座も開催している。
 
[ 歴史講座等の開催状況 ]
開 催  年 度  (開催日) 参加者数
講座 名称)講座の主な内容 
昭和61年度~(6/30他)不明(非公募)
古文書講読)川中家文書「五人組帳」を解読 
平成10年度(11/9)23名 
古文書教室)川中家文書「宗門人別帳」を解読  
平成11年度(11/15、17)84名
古文書教室)川中家文書「往来一札之事」を解読
平成12年度(10/23、25、27)106名
古文書教室)川中家文書「年貢割付状」を解読
歴史教室)「明治初期から大阪府で起きた出来事
について」大阪府公報を通して紹介
平成13年度(11/5、7、9)81名 
古文書教室)川中家文書「奉公人請状之事」を解読
歴史教室)「川口居留地と明治・大正の大阪の貿
易」
平成14年度(10/21、23、25)82名
古文書教室)川中家文書「預り申銀子之事」を解読
歴史教室)「公文書にみる大阪府庁舎の移り変わ
り」を紹介  
平成15年度(10/20、22、24)96名
古文書講座)川中家文書「融通講仕法帳」を解読
歴史講座)「第五回内国勧業博覧会」を紹介
平成16年度(10/18、20、22)94名
古文書講座)川中家文書「譲り渡田地証文之事」
を解読
歴史講座)「記録からみる大阪の台風災害」
を紹介  
平成17年度(10/17、19、21)58名
第一部古文書講座)川中家文書「五人組御改帳」
を解読 
第二部 歴史講座)「大規模宅地開発事業 新しい
住宅都市“千里ニュータウン”」を紹介 
第三部 映像でみる大阪の歴史)「いつも新しい街だった。私のふるさと・千里ニュータウンの40年」を上映  
平成18年度(9/25、9/27、10/2・4・6、10/11・18・25、10/13・20・27、10/16・23・30、11/17)165名
歴史講座) 「近代大阪府の郡役所―廃止から80年―」
   古文書講座)「古文書の解読」(3日間コース)
   特別講座) 「狭山池の歴史」  
         「切手のない時代の郵便―アメリカ合衆国の事例―」
         「大阪からの世界史―沖縄出身者の生活世界―」         
「カナダから見た、第5回大阪内国勧業博覧会とその時代」
平成19年度(10/9・16・23、10/10・17・24、10/11・18・25、10/15・22・29、11/2、11/5、11/6、11/7、11/8、11/9、11/12、11/13、11/14、11/15、11/16)327名
 歴史講座)「大阪の社会福祉の歴史」
   古文書講座)「古文書の解読」(3日間コース)
   特別講座) 「大阪の市町村社会福祉協議会活動―その発展過程」
        「日本国憲法は『押しつけ憲法』か?-大阪
府公文書館所蔵『羽室家文書』等を手が
かりにして-」    
        「与謝野晶子物語」
「19世紀末のニューヨークにおける郵便事情」
「阪大ジーパン論争―30年たった今―」
「茅渟の海の歴史」
「日本とイギリスの医療制度の違い-医療
機関の受け方の違いと患者と医師の関係-」
「19世紀後半の世界旅行~小説『80日間
世界一周』から見える世界と日本~」
「大阪の社会福祉の沿革について」
「明治時代からバキューム車の登場まで
-大阪の屎尿汲み取りの歴史を追う-」
「大阪府知事としての林市蔵」
平成20年度 (10/6・20・27、10/7・14・21、10/8・15・22、10/9・16・23、11/5、11/10、11/17、11/26)201名
 歴史講座)「公文書館所蔵資料にみる明治の大阪」
   古文書講座)「古文書の解読」(3日間コース)
   特別講座)「近世大坂三郷都市下層民対策―人権の視点から―」 
        「続 与謝野晶子物語」
        「赤毛のアンが生きた時代の日本とカナダ-児童文学から見る歴史の世界―」
       「なにわ言葉いろいろ」
平成21年度(6/8・22、10/13・20・27、10/14・21・28、10/15・22・29、10/24、10/25、11/3、11/6、11/10、11/13、11/16、11/17、11/19、11/23、11/27)
370名
 歴史講座) 「関西系商社からみる大阪の戦前と戦後」
「公文書館所蔵資料でみる、大正時代の大阪」
「戦前日本の国家と地方の財政~地方「自治」
の問題を焦点として」
 古文書講座)「古文書の解読」(3日間コース)
特別講座)「与謝野晶子物語―大正時代の晶子―」
「カナダのフランス語圏:ケベック州の伝統
料理」
「大陸横断鉄道旅行から見るカナダ-カナダ歴史紀行150年―」
      「しろうと演劇の近代―戦争とやくざ芝居をめぐって-」
「中原淳一の女性像『美しい』女性とは何なのか」
「南北戦争期アメリカの大陸横断郵便―ポニーエクスプレスの事例を中心に-」
「日本の医療制度と世界の医療制度の違い-医療の受け方、医師と患者の関係について、イギリスとの比較を中心に-」
「大正5年の台湾旅行」
「古代交通の歴史―交通の古代から近代への変遷―」
平成22年度(10/17)59名
 古文書講座)「古文書の解読」
平成23年度(2/7、2/9、2/15)86名
 歴史講座) 「大阪府庁本館が建てられた時代」
 古文書講座)「初公開『平池家文書』の解説」
 古文書講座)「古文書に親しもう」
平成24年度(8/22、11/14・21)75名
  親子歴史学習会)「大阪-新世界の歴史」
 古文書講座)  「古文書の解読」
 歴史説明会) 「大阪府鳥瞰図とおおさかの橋~おおさかの橋いまむかし~」
平成25年度(8/23、1/29)85名
 親子歴史学習会)「中之島の歴史を散策しよう~親子で歩く!!中之島~」
 古文書講座) 「古文書に親しもう」
平成26年度(10/1、1/21)106名
 歴史講座)  「大阪府の成立とその発展-明治時代を中心にして」
 古文書講座)「はじめの一歩」
平成27年度(11/12、2/26)
 歴史講座) 「大阪府庁が建てられた時代」
 古文書講座)「貨幣改鋳の御触書」
 
6 刊行物の発行 
当館では、開館以来、所蔵資料の目録の他、定期及び随時に、調査研究の成果や業務の案内、特集記事等を掲載した館報「大阪あーかいぶず」等を発行し、平成20年3月に印刷媒体での発行を中止し、以降は当館ホームページに掲載して電子版として提供している。
 
[ 刊行物の発行状況 ]
刊 行 物 名      発   行   年   月
川中家文書目録 近世の部  昭和63年  3月
〃    近代の部  平成 4年  3月
公文書・刊行物目録
明治~昭和22年4月   昭和63年  3月
大阪府行政資料・刊行物収集目録(50音順)
昭和22~45年度    平成 2年  3月
大阪府行政資料・刊行物収集目録(50音順)
第3集          平成 6年  3月
〃     〃
第4集          平成 7年  2月
〃     〃
第5集          平成 9年  3月
〃     〃
第6集          平成10年  3月
〃     〃
第7集          平成11年  3月
公文書館 大阪府公文書館開館記念
昭和60年11月
(館報)大阪あーかいぶず 第1号~第48号
昭和61年3月~平成28年3月
(館報)大阪あーかいぶず 特集号NO.1
平成 元年 3月
     〃        〃 NO.2
平成 2年11月
     〃        〃 NO.3
平成 4年12月
     〃        〃 NO.4
(10周年記念号)     平成 8年 3月
(リーフレット)大阪府公文書館
昭和60年、63年、平成3年、7年、14年、17年に発行
 
7 大阪府公文書館運営懇談会 
当館の運営の円滑化を図るため、昭和61年8月4日に設置された。当館は、当懇談会の助言や提案を受けて適切な業務の運営・改善に努めている。
なお、第13期より、大阪府の他の審議会等の基準に準じて、2期4年制を導入した。
 
[ 現任委員 ]
(第15期 任期 平成26年9月1日~28年8月31日)
 氏  名   (  現  職  )
〔座長〕
三吉 修   (和歌山大学経済学部名誉教授)
〔委員〕
大西 愛   (大阪大学出版会編集員)
川崎 和代  (大阪夕陽丘学園短期大学キャリア創造
        学科教授)
佐賀 朝   (大阪市立大学大学院文学研究科教授)
中尾 敏充  (奈良大学教養部教授)
 
[ 大阪府公文書館運営懇談会開催状況 ]
回 開催日(場所) 
主な議題1)~、検討事項等①~
 1 昭和61年8月4日(大阪府公文書館)
1)懇談会の運営について、2)公文書館の運営状況について、3)その他
①座長の選任、②会議の公開決定、③運営予算の充実、④他館との機能調整
2 昭和62年8月13日(なにわ会館)
1)公文書館の運営状況について、2)公文書館からの報告について、3)その他 
①府史関係資料の統合及び資料集の発刊、②府議会議事録・行政委員会資料の収集・整備、③府域の行政文書の収集、④調査研究活動の充実
3 昭和63年8月11日(大阪府公文書館)
1)公文書館からの報告について、2)その他 
①当館の将来構想、②基本図書資料の充実、③図書館とのネットワーク
4 平成元年8月17日(新大阪シテイプラザ)
1)公文書館の運営状況について、2)新庁舎計画の概要について報告、3)その他 
①当館の将来構想、②資料の収集・移管・保存方法、③専門職員の確保・育成
5 平成2年8月17日(新大阪シティプラザ)
1)公文書館の運営状況について、2)その他 
①当館の将来構想、②戦中・戦後の府関係文書の収集
6 平成3年11月15日(大阪キャッスルホテル)
1)公文書館の運営状況について、2)公文書館問題検討小委員会の設置について、3)その他
7 平成5年3月23日(大阪府公文書館)
1)公文書館の運営状況について、2)公文書館問題検討小委員会の中間報告について、3)その他 
①市町村の歴史的文書の保存状況
8 平成6年3月22日(なにわ会館)
1)公文書館の運営状況について、2)公文書館問題検討小委員会の報告について、3)その他 
①「大阪府公文書館のあり方」について提言
9 平成7年3月16日(KKRホテル大阪)
1)公文書館の運営状況について、2)その他 
①10周年記念事業、②アーキビストの養成
10 平成8年2月28日(プリムローズ大阪)
1)公文書館の運営状況について、2)その他 
①戦中・戦後の府関係文書の収集、②警察統計書の収集、③新図書館見学
11 平成9年2月25日(上方演芸資料館)
1)公文書館の運営状況について、2)その他 
①上方演芸資料館見学
12 平成10年2月13日(大阪府公文書館)
1)公文書館の運営状況について、2)歴史的文書の閲覧に供する基準について、3)その他 
①中之島図書館との機能調整、②公文書の閲覧基準の検討
13 平成10年11月18日(大阪府公文書館)
1)公文書館の運営状況について、2)歴史的文書の閲覧に供する基準について、3)その他 
①公文書の閲覧基準の検討
14 平成12年1月28日(大阪府公文書館)
1)公文書館の運営状況について、2)その他 
①公文書館への移管基準、②市町村の歴史的文書の保存状況、③「公の施設」化
15 平成12年11月24日(大阪府公文書館)
1)公文書館の運営状況について、2)その他 
①公文書の閲覧基準の検討、②市町村の歴史的文書の保存状況
16 平成13年12月26日(大阪府公文書館)
1)公文書館の運営状況について、2)行政文書管理システムと公文書館について、3)その他 
①行政文書管理システムと規定整備、②歴史的文書の選別・保存
17 平成14年12月13日(プリムローズ大阪)
1)座長の選出について、2)公文書館の運営について、3)行政文書管理システム及び公文書館システムの導入について、4)歴史的文書関係規定の改正について、5)その他 
①新選別収集方法による作業の内容と量、②電子化に伴う個人情報保護等、③新収集基準における行政評価・外部監査の位置付け
18 平成15年12月19日(大阪府公文書館)
1)公文書館の運営について、2)仮書庫の移転について、3)その他 
①貿易専門学校の閉校に伴う仮書庫の高倉書庫への移転計画、②歴史的文書の収集・選別、③歴史的文書のデジタル化及び情報公開等
19 平成16年12月22日(大阪府公文書館)
1)公文書館の運営状況について、2)歴史的文書資料類として収集する文書及び資料類の例示等について、3)その他 
①歴文規程改正に伴う再整理等の状況、歴史的文書の保存・利用対策、②歴史的文書資料類を収集する際の具体的基準(収集マニュアル)作りに向けた検討
20 平成17年11月25日(大阪府公文書館)
1)公文書館の運営状況について、2)歴史的文書資料類として収集する文書及び資料類の例示等について、3)その他
①企画展・歴史資料講座の積極的展開、②歴史的文書資料類の具体的収集基準(細目)策定に向けた検討、③映像資料の活用
21 平成18年11月29日(大阪府公文書館)
1)公文書館の運営状況について2)アーカイブズ・フェアの実施状況について3)その他
  ①大阪府公文書館の移転整備②アーカイブズ・フェ
アの一層の充実
22 平成19年12月14日(大阪府公文書館)
1)公文書館の運営状況について 2)特別展・アーカイブズ・フェアの実施状況について3)その他
①府域のアーカイブズの中核施設という役割を果たしていくために、必要な予算の確保②アーカイブズ・フェアの一層の充実
23 平成21年2月5日(大阪府公文書館)
1)公文書館の運営状況について2)特別展・アーカイブズ・フェアの実施状況について3)その他
①古文書類の適正な保存②アーカイブズ・フェアの一層の充実
24 平成21年12月17日(大阪府公文書館)
1)公文書館の運営状況について2)その他
  ①公文書館資料の移管について②公文書館の一
層の充実
25 平成22年12月22日(大阪府公文書館)
1)公文書館の運営状況について2)その他
  ①公文書館の移転について
26 平成24年3月27日(大阪府庁本館)
1)公文書館の運営状況について2)その他
  ①収集基準について
27 平成25年1月30日(大阪府庁本館)
1)公文書館の運営状況について 2)歴史的文書の公開基準について3)その他
  ①歴史的文書の公開基準について
28 平成26年2月12日(大阪府庁本館)
1)公文書館の運営状況について2)利用要領の改正について3)新システムについて
①歴史的文書の公開基準について②新システムにおける意思形成過程に関わる文書の保存について
29 平成26年12月25日(大阪府公館)
1)公文書館の運営状況について2)デジタルアー
カイブ化について3)公文書館利用要領の改正について4)「公文書館利用要領」別表の運用状況について5)レファレンスの概要について6)『形像及碑表台帳』における審査の考え方について
①「公文書館利用要領」別表の運用について
②『形像及碑表台帳』における個人情報の取り扱いについて
30 平成28年1月28日(大阪府庁本館)
  1)公文書館の運営状況について2)レファレンスの
概要について3)大阪府公文書館開館30周年記念座談会-公文書館30年の歩みを振り返って-について4)公文書館、府庁本館5階への移転について
 
8 運営費の状況 
当館の運営費(常勤職員の人件費を除く。)を当初予算額でみると次のとおりである。
なお、昭和62年度から平成22年度までは、住吉区帝塚山の旧大阪女子大図書館の建物施設を利用した独立館としての経費である。
平成23年度からは、府庁本館の執務室を利用した経費となり、光熱水費や設備の保守点検の費用負担も異なり、また吹田書庫(旧児童文学館)については、旧児童文学館施設全体の維持管理費等が含まれるているため、過年度の経費と一概に比較はできない。
 
[ 当初予算額の推移 ]
昭和60年度  45,073千円
昭和61年度   9,340千円
昭和62年度  10,270千円
昭和63年度  10,237千円
平成 元年度  13,374千円
平成 2年度  18,672千円
平成 3年度  19,779千円
平成 4年度  17,950千円
平成 5年度  21,427千円
平成 6年度  20,519千円
平成 7年度  18,682千円
平成 8年度  17,016千円
平成 9年度  15,409千円
平成10年度  14,068千円
平成11年度   5,388千円
平成12年度   5,354千円
平成13年度    6,069千円
平成14年度   4,473千円
平成15年度    8,384千円
平成16年度   5,094千円
平成17年度     5,255千円
平成18年度   5,255千円
平成19年度   5,249千円
平成20年度   4,043千円
平成21年度   4,955千円
平成22年度   4,430千円
平成23年度  15,263千円
平成24年度  12,346千円
平成25年度  11,491千円
平成26年度  12,116千円
平成27年度  11,944千円
 
9 施設の状況 
1)所在地
公文書館  大阪市中央区大手前2丁目1番22号  大阪府庁本館1階
吹田書庫  吹田市千里万博公園10番6号
夕陽丘書庫 大阪市天王寺区伶人町2番7号
 
2)構造・規模
公文書館(大手前)
建物 大阪府庁本館 鉄筋コンクリート造 
地上6階地下1階のうち西館1階部分
竣工 大正15年10月(大阪府庁本館として)
床面積  200㎡(公文書総合センター)
        ※書庫は含まない
3)書架延長
書架延長 6,700fm
(内訳 本館3,000 fm、吹田書庫2,200fm
夕陽丘書庫1,500fm)

第30回公文書館運営懇談会

平成28年1月28日(木)午後2時から4時まで、今回は、大阪府庁本館の「正庁の間」におきまして、第30回大阪府公文書館運営懇談会を開催いたしました。
下記議題につきまして、意見交換をさせていただきました。また、会議終了後は、大正時代に建てられた大阪府庁本館について、所蔵資料等の特別展示をしている正庁の間横の展示室の見学説明を行いました。  
 
【出席委員】 4名
川崎 和代  (大阪夕陽丘学園短期大学キャリア創造学科教授)
佐賀 朝   (大阪市立大学大学院文学研究科教授)
中尾 敏充 (奈良大学教養部教授)
三吉 修   (和歌山大学経済学部教授)
 
傍聴者0名
【議事】
1.公文書館の運営状況について          
2.レファレンスの概要について
3.大阪府公文書館開館30周年記念座談会     
-公文書館30年の歩みを振り返って-について
4.公文書館、府庁本館5階への移転について

 大阪府公文書館  利用案内
閲覧時間
・月曜日~金曜日 午前9時00分~午後5時15分
複写申請は閉館の30分前までにお願いします。
休館日 ・土曜日、日曜日、祝日及びその振替休日
・年末年始(12月29日~1月3日)
公文書館は、主に府が作成・入手した公文書や資料類のうち歴史的・文化的な価値があるものを保存し、皆さんにご利用いただく施設です。
大阪府公文書館 『大阪あーかいぶず 』第48号 平成28年3月31日発行
〒540-8570 大阪市中央区大手前2丁目1-22(大阪府庁本館1階)/TEL06-6944-8374/FAX06-6944-2260
ホームページ https://archives.pref.osaka.lg.jp/
 
住所
大阪市中央区大手前2丁目1-22 大阪府庁本館1階
Tel
06-6944-8371
Fax
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