大阪府公文書館 - 大阪あーかいぶず第49号
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大阪 あーかいぶず
「あーかいぶず(Archives)」とは、英語で公文書、文書館という意味です。

目   次
大阪府庁舎竣工90周年 ~公文書にみる大阪府庁舎の建設~…1頁
府庁90年、公文書館30年、そして釣鐘……………………………5頁
平成27年度 古文書講座 フォローアップ…………………………6頁
平成27年度 古文書講座アンケート結果について…………………8頁
平成27年度 開催イベントを振り返って……………………………10頁
平成27年度 登録資料「ドイツマルク債関連資料」の紹介………11頁
公文書館 事業の推移……………………………………………12頁

第49号 平成28年9月大阪府公文書館発行


大阪府庁舎竣工90周年 ~公文書にみる大阪府庁舎の建設~

はじめに  平成28(2016)年は、大阪府庁本館(以下、大手前庁舎と呼ぶ)が竣工90周年を迎える。大阪府公文書30周年の節目でもあった昨年度は、竣工90周年のプレイベントとして、大正時代の大阪の歴史を振り返る歴史講座と府庁本館の見学をセットにした府政学習会が盛況のうちに開催された。さらに、5階の正庁の間に隣接する展示室においては、庁舎周辺整備課と、大阪府文化財センターとの合同展示で、「大阪府庁が建てられた時代」というテーマの展示を行って、大阪府公文書館は府庁本館竣工当時の写真集や庁舎建設に関する行政文書など貴重な資料を出展している。
本稿では、上記出展の行政資料に加えて、主に公文書館の所蔵資料を中心に、大阪府庁本館の建設経緯やエピソードなどについて紹介する。

初代と2代目の庁舎
まず、初代と2代目庁舎について簡単に紹介す。明治元(1868)年1月22日、明治政府は、全国初の地方官庁としての「大阪鎮台」を設置した。大阪府の前身はここに始まる。しかし、わずか5日後に「大阪裁判所」と名を変え、旧西町奉行所(現在中央区本町橋)に事務所を構えた。その後、「府藩県三治制」で同年5月2日に「大阪府」が設置されることとなり、旧西町奉行所はそのまま初代大阪府庁舎となった。初代庁舎の敷地面積は9,583㎡であり、明治初年頃には、約300人の職員が務めていた模様である。
明治4(1871)年7月14日、明治政府は廃藩置県を断行した。これにより、大阪府は、住吉・東成・西成・島上・島下・豊島・能勢、いわゆる摂津7郡を管轄することになった(なお、この当時は、河内・和泉は堺県の管轄)。この頃から、本格的な府庁舎の建設が望ましいという意見が出てきた。
明治5(1872)年、府では、官民共同の費用で新庁舎を新築することを決めた。新庁舎は、川口居留地の向かい側に位置する江ノ子島の地に着工、7年7月に落成、同月8日から6日間にわたって一般公開を行い、18日旧庁舎から移転して、翌19日盛大な開庁式が挙行された。しかし、新庁舎が市内に背を向ける形で建てられたとのことで、批判があった。庁舎を西向きに建築させた理由について、当時の渡辺昇知事は、将来市は必ず西に向かって発展し、天保山を玄関とするにぎやかな大大阪が出現するだろうと説明し、批判をかわしたという。
この新庁舎は、大阪では造幣局につづく2番目の西洋建築で、総工費50,368円のうち、官費が16,789円、民費が33,579円だった。新庁舎は、煉瓦造り2階建、敷地面積7,653㎡、延床面積2,059㎡であった。その外装は、煉瓦と煉瓦の間に五寸針に麻の荢を括りつけたものを差し込み、その上に石灰で塗り固めた。使った麻は1トンを超えたという。内部は、能勢の山奥から運んだ欅を使い、その余った端材で椅子、机などを作製した。正面玄関に四本の大円柱を並べ、その上に金色まばゆい菊花の大紋章、屋上中央のドームには大時計が取り付けられた。当時の人々は、この壮麗な新庁舎のことを「江之子島政府」と呼んでいたようである。

3代目庁舎(大手前庁舎)の建設
日清・日露戦争を経て、綿紡績や鉄道を中心とした工業が勃興し、これらを支える商社や銀行といった商業の発展によって、大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれるようになった。さらに、第一次世界大戦がもたらした戦争景気は、大阪を大きく成長させることになった。一方、農村部では、都市部ほどの発展はみられず、地方(都市―農村)間格差が顕著になった。好景気による物価の高騰が、かえって労働者や小作人などの生活の困窮などのさまざまな社会問題を顕在化させつつあった。こうした大阪の発展にともなって、府庁の事務量、職員数も増加し、大正元(1912)年には職員数が3,406人にものぼった。大正3、4年には、江之子島庁舎の改築・増築が行われていたが、そもそも明治初年に建てられた庁舎の設備には限界があった。
こうしたなか、大正10(1921)年ごろ、池松時和第16代知事は移転問題に正面から取り組んでいった。彼は、現在の中央区大手前にあった不用の陸軍用地に着目し、新庁舎の敷地としてこれを買収するとともに、江之子島庁舎から大手前に庁舎を新築・移転することを構想した。そして池松知事は、大正10年度の通常大阪府会に大正11年度より3ヵ年度継続支出を求める「府庁舎建築費継続年期及支出方法」を提出した。この提案は若干の修正を経て可決・成立した。大手前庁舎の建設に当たって、その設計は公募によって決定されることとなった。この設計コンペには、81の案が寄せられ、審査員は建築家の佐野利器、片岡安、武田五一ほか9名であった。1等当選は、平林金吾と岡本馨の合作案、2等は笹倉梅太郎、3等1席は加藤善吉の図案であった。1等の平林金吾案は、その出来栄えのすばらしさからほとんど手を加えられることなくそのまま新庁舎のデザインとなったのである。ちなみに、2等と3等の図案は次の通りである大正14(1925)年9月5日、府庁舎新築地における定礎式が挙行された。その詳細は、『府庁舎定礎式一件書類』(B1-0059-23)に綴られている。新庁舎は、大正12年5月12日に着工、大正14年の定礎式を経て、大正15年10月末に竣工した。新庁舎への正式な移転は、大正15年11月7日であった。竣工当時の庁舎に関する詳細のデータは『大阪府会史 第3編下巻』(C0-59-2048)に収録されている。新庁舎の様子がうかがえる資料なので、以下では、その一部を紹介しておく。
大手前庁舎の総工費は384万2千6百円で、従業職工延人員が25万2千余人であった。建築様式は「自由近世式」で、「耐震耐火構造」が採用された。「内部仕上」については、「天上壁は主として浅田セメントプラスター及び大連ドロマイド塗とし、特殊の室は壁紙張、天井中心飾、其の他彫刻物石膏ペンキ塗、腰羽目は「チーク」「オーク」檜等を用ひたり、玄関、広間、大階段等は全部伊太利産大理石を、議場には音響防止の為め「テンテストボード」張の上「カンバス」及「キレ」張を使用したり、尚広間及二、三階廻廊大階段及主要便所の床は大理石、玄関は花崗石、特殊の数室に「チーク」「オーク」の寄木張緞通敷を施したる外一般事務室は総て「東洋リノリウム」廊下及階段は「テラゾー」を使用し特に階段鼻には「ノルトンアランダムタイル」を用ひたり、議場床には「テンテンストボード」張の上「テーラー」式「コルクカーペット」を敷き込み、ステージ及議長席には緞通を施し、其の他一般便所は腰斑入陶器タイル、床白色耐酸タイルを使用し、各実験室床は耐酸タイル敷とせり」と記されている。
「外部仕上」については、「本館東側及南側腰二階窓臺迄、議事堂周囲一階窓臺迄は北米産花崗石張、北側腰二階窓臺迄は凝石「ストーンブロック」中庭側同上、及別館全部人造石洗出しとし、上部パラペット迄品川白煉瓦会社製大型白色凝石タイル張とせり尚正面上部及車寄の彫刻其の他には高松産紫雲石を使用し、馬車廻、空堀手摺等の石材は主として北米産花崗石を用ひたり」と記されている。
以上は新庁舎に関するデータの一部ではあるが、当時最先端の建築様式や国内外の特産品を新庁舎の建材として調達してきたことがうかがえる。こうして竣工した新庁舎は、地上6階地下1階の鉄筋コンクリート造、敷地面積14,300㎡、建築面積6,400㎡、延床面積30,500㎡で、「七層の大白堊館」として「巍然として大阪城と其の威容を競ふ、真に府政燮(ママ)理の中心」と形容されている。
『工事報告』(B1-59-45)という資料は、大手前庁舎が竣工したのちに、11月7日に大阪府営繕課長・地方事務官であった佐野利平より、大阪府庁舎建設開始以来、竣工に至るまでの経緯が事細かに報告されたものである。
佐野利平は、大正6年に、元上司の福井県内務部長・柴田善三郎の大阪府内務部長就任を機に大阪府庁に入った。新庁舎の工事中、知事官舎の応接間に赤い絨毯を敷き詰めたところ、視察に来た内務省の役人から「本省の大臣室にもない。贅沢だ」と言われ撤去を迫られることがあった。これに対して佐野は「絨毯は西洋の畳だ。和室から畳を取ったら、どうなりますか」とやり返した。また、佐野は、大正12(1923)年9月に発生した関東大震災を教訓にして、庁舎基礎工事用の杭を200本も追加注文したといわれている。

竣工落成の記念行事
新庁舎の完成とともに、各方面から竣工の祝辞が寄せられた。なかでも、当時の内務大臣であった浜口雄幸からの祝辞が公文書館に保管されている(「内務大臣 浜口雄幸祝辞」B1-59-40)。ほかに、式典に際しての大阪府知事中川望の式辞(「大阪府庁舎新築工事落成式式辞」B1-59-39)、大阪府会議長松本甚之助の祝辞(「大阪府庁舎新築工事落成式祝辞」B1-59-41)も公文書館で所蔵されている。
さらに、新大阪府庁舎の竣工記念として、大阪府は、府庁内で見学などのイベントを開催し、関係者に記念品を配付した様子がうかがえる資料もある(「大阪府庁舎新築工事落成記念品引換券(1066番)」B1-59-50) 。

新庁舎をまつわるエピソード
完成後の大阪府庁舎は、天皇行幸の関係でしばしば登場した。たとえば、『昭和7年陸軍特別大演習竝地方行幸大阪府記録』(C0-60-75)という資料で大阪府庁が「非常御立退所」として使用されたことが確認できる(なお、この行幸時に大阪府は、天覧品「大阪府鳥瞰図」の作製を当時の人気絵師・吉田初三郎に依頼した。現在、「大阪府鳥瞰図」は当公文書館で一般公開している)。ほかには、昭和9(1934)年の近畿防空演習の際にも大阪府庁舎が参画した。
私たちの現在の生活とほとんど無縁の防空演習は戦前では度々行われていた。昭和3(1928)年、日本最初の都市防空演習が大阪市で行われた。昭和6年の満州事変以降、日本は準戦時体制に入ったこともあり、防空演習は、軍需工場や軍港など軍事施設のある都市において頻繁に行われるようになった。
こうした時代の雰囲気のなかで行われた昭和9年の近畿防空演習は、前年の関東防空演習に続くもので、演習区域が大阪・京都・奈良・和歌山・三重・滋賀の2府4県全域に加えて、兵庫・福井両県の大部分も含む大規模なものであった。
この近畿防空演習に際して、大阪府庁舎には敵機の標的とならないように、偽装工作や煙幕による遮蔽工作を試みる計画案が作成されていた。次図(上)のように、上空から発見されないように、「七層の大白堊館」といわれる大阪府庁舎の全体を緑の布らしきものでカバーするという壮大な計画案だった。ところで、防空演習当時では、予算等の関係で、府庁全体を隠すという形ではなく、次図(下)のように、大阪府庁舎の正面に簡易な布きれらしきものを掛ける程度しか行われなかった。

むすびにかえて
 以上は、3代目大阪府庁舎の建設経緯や戦前までの様子の一端について、大阪府公文書館の所蔵資料を用いて振り返ってきた。3代目の大手前庁舎は、当時の大阪の繁栄と地位、いわゆる「大大阪」を十分に示すような立派な建物であった。そして、戦災をくぐり抜けて大阪の戦後復興期における大阪府政の中心となり、現在では全国でもっとも歴史の古い現役庁舎でもある。
現在、私たちが90年前の3代目大阪府庁舎の建設経緯について振り返ることができたのは、当時の関係資料が大阪府公文書館に保存されていることに負うところが大きい。このような意味において、大阪府公文書館は、地味な性格の施設ではあるが、引き続き大阪府に関連する歴史的資料の収集・保存にいそしむ所存である。(公文書館専門員 謝政德)
 
※本文中に(B○-○○-○○○)という表記は大阪府公文書館所蔵資料の請求記号を示す。掲載の写真などは特に断りなき場合、すべて公文書館の所蔵資料から引用している。
【参考文献】
・『実記・百年の大阪』
・『大阪百年史』
・『大阪府警察史 第1巻』
・『大阪府会史 第3巻下巻』
・『新修 大阪市史 第5巻』
・「大阪府庁舎の変遷」(『大阪府ホームページ』より)

府庁90年、公文書館30年、そして釣鐘

此の世の名残り夜も名残り 死に行く身を譬ふれば
あだしが原の道の霜 一足づゝに消えて行く
夢の夢こそ あはれなれ
あれ数ふれば暁の 七つの時が六つなりて
残る一つが今生の 鐘の響きの聞き納め
寂滅為楽と響くなり

これは近松門左衛門の代表的な人形浄瑠璃「曾根崎心中」道行の冒頭、ここでお初徳兵衛が耳にした鐘は、現在の北区曽根崎ではなく、中央区、それも釣鐘町にあったものといわれている。繁華街の梅田界隈もかつては「埋田」の字が当てられるような土地、直線距離にして2kmほど先の鐘の音がよく聞こえたのだろう。今も天満橋駅からほど近い街の一角にその釣鐘はある。実は、この鐘は今から90年前の大正15年に現在の大阪府庁が竣工して以来、府庁屋上に設置されていたものだ。その後、30年前の昭和60年に地元の要望もあって里帰りした経緯がある。ちょうど大阪府公文書館ができた年に当たる。大阪府公文書館には里帰りの際のセレモニーの様子を記録した映像資料が残っている。 
私が大阪府公文書館に奉職してしばらくの頃、ある所属から資料閲覧複写請求があり地下倉庫から探し出してきたのがこの記録映像のDVD、「つり鐘」というタイトルで、件の釣鐘、正式には「大坂街中時報鐘」の里帰りパレードなどが収められている。 
公文書館にあるこのDVD資料(請求記号:XO-2004-603)は、各担当所属が作成した府庁での様々な事業の映像記録を、公文書館が引き継いで保存しているもので、平成16年度緊急地域雇用創出特別基金事業を活用し、VHSビデオテープからDVDディスクに複製(ダビング)したうちの一つである。
あれは夏至の頃だったと思うが、たまたま観たテレビの昼間のワイドショー番組で「宙に浮く釣鐘問題」という趣旨で、この釣鐘が取り上げられていてびっくり。大
 阪ローカル局制作の午後の番組だった。たぶん、あのDVD資料閲覧複写については、番組制作会社から照会のあった所属の取材対応の一環ということだったのだろう。 
それだけなら、大阪府公文書館が収集・保存している歴史的資料が活用されている証左ということになるが、この報道内容には個人的な感慨がある。あの釣鐘がある場所は、私が定年退職まで勤務した企業が保有していた土地で、かつてそこには会社の厚生施設が建っていて、歓送迎会などで何度も利用したことがあるのだ。番組では、里帰りに際して鐘楼などの整備が行われ、17坪の土地は当時の地主だった大手生命保険会社の厚意により、永代無償で地元の時報鐘顕彰保存会が借り受けることになったと伝えていた。この釣鐘で、昔の勤務先と今の仕事が繋がるという何だか不思議な因縁を感じる。 
土地の所有者が変わるなどの経過があり、釣鐘がある土地の取扱いを巡り、関係者の間で協議が続けられているとのことで、いまのところ目処が立たないため、ニュースとして取り上げられたようだった。
自分としても多少なりとも思い出のある釣鐘だし、関係者の間でよい解決策が講じられることを期待したいものだ。
(公文書館専門員 的場 茂  平成28年4月着任)

平成27年度 古文書講座 フォローアップ

はじめに
 大阪府公文書館では、平成28年2月26日(金)に「古文書講座 貨幣改鋳の御触書」を開催しました。本稿はその際の「チャレンジ問題」についてさらに理解を深めていただくために補足説明をするものです。
 なお、講座当日に配布したテキストと解答は、大阪府公文書館のホームページからダウンロードできますので、ご参照ください。
 
1.古文書の紹介
 本章では、教材に用いた「江戸表御触之写」(KY-0003-5)と、チャレンジ問題としてテキストの最後に掲載した「御触之写」(KY-0003-6)を紹介します。
 まず、「江戸表御触之写」と「御触之写」は、当館所蔵の「平池家文書」という古文書群に属する古文書です。この「平池家文書」は、河内国茨田郡平池村(現在の寝屋川市平池周辺)で代々庄屋をつとめた平池家に伝わってきた古文書群で、明治期のものも含めた7,500点あまりが当館に寄贈されました。「平池家文書目録」によると、平成23年度に終了した調査・整理の結果、当館所蔵分は、寝屋川市史編纂委員会が調査・整理し『寝屋川市史』で紹介された「平池成一家文書」とは異なる内容の文書群だということが判明しました。『寝屋川市史』第4巻には「同家文書は、ひじょうに大量であり」、「史料全点の調査は断念」(809頁)とあるため、この時に調査対象から外れたものや調査当時発見されていなかった史料が当館へ寄贈されたと考えられます。
 次に、「江戸表御触之写」や「御触之写」は、「金銀御触書留帳」などの金融に関する御触書を書き留めた帳面(触留帳(ふれどめちょう))とともに、「金銀引替御触書」と書かれた袋にまとめられています。大坂近郊の庄屋が、金銀銭の相場に意識を向けるような経済活動を行なっていたのではないか、と推測できます。
 
2.「御触之写」について
 チャレンジ問題として用意したこの古文書は、テキストの「江戸表御触之写」よりも仮名の使用が多く、また、筆の擦れ具合や文字の間隔の狭さなど、文字のくずし方以外の要素で解読の難易度が高くなっているように思われます。 参考までに、以下に翻刻を掲載します。
 
   御触書之写
 一、近来上方筋金直段下落致し候付、
  おのすから諸色高直到候趣相聞候間、
  以来金壱両付銀六拾匁以上之相庭相立
  候義ハ不苦候間、其旨兼而相心得一統
  通用可致候、右之趣可相触もの也、
   天保十亥年六月四日
 ※解答編では「高直至」としていますが、「高直到」に訂正します

 まず、本文1行目の「近来」や本文5行目の「通用」ですが、これらは「しんにょう[辶]」のよくあるくずし方で、このように小さく書かれたものが散見されます。「近」や「通」の他にも、「進」、「遣」といった「しんにょう[辶]」の漢字は覚えておきましょう。「おのすから」の3文字目の文字(右図)は「寿」のくずし字で仮名(変体仮名注1)の「す」になり、「おのずから(意味:自然に、いつのまにか)」と読みます。形の似た「春」の「す」もあわせてチェックしておくとよいでしょう。
 本文2行目と5行目にある「趣」という文字ですが、右図の丸で囲った「取」の部分は「取」単独で書かれる場合と同じくずし方で書かれています。そして、「しんにょう[辶]」、「そうにょう[走]」、「えんにょう[廴]」のような部首を持つ文字だと推測でき、「取」の形を覚えていれば、「趣」という文字であると判断できるでしょう。「趣」は頻出漢字で「そうにょう[走]」が様々な形にくずされますが、「取」が大きなヒントとなります。
 「趣」の他にも、テキストに用いた「江戸表御触之写」に出てきた「最」(右図)からわかるように、「最」も「取」の部分がこのように書かれる場合が多いため、「取」のくずし字は必ず覚えておきましょう。
 次に「相聞候間」ですが、最後の文字「間」からわかるように、「もんがまえ[門]」は右図の矢印の箇所のように小さく、ほぼ横棒のように書かれる一方で、中の「日」が大きく書かれます。このような形の他にも、すぐ上の「聞」のような「門」が書かれる場合もあります。その際も「門」の中の「耳」が大きく書かれています。このように、同じ形の漢字でも、くずし方に変化を持たせることがあります。また、「門」の中は「タ」のように見えますが、これは「聞」の「耳」の部分のくずし字です。
 「候」はこのように点のようになってしまうので、見落とさないよう注意が必要です。
 次に「銀六拾匁以上之相庭相立」という箇所ですが、文字のすぐ近くに墨の汚れがあるため、この箇所の解読が最も難しいように思います。
 まず、「銀六拾」は問題なく解読できると思います。その次の丸で囲んだ文字は、銀の単位(貫・匁・分・里)と推測できます。くずし字辞典に掲載例はほとんどありませんが、「匁」のくずし字です。この直前に「金壱両付」とあり、金と銀の交換比率は「金1両で銀60匁」ということから、「銀六拾匁」と推測して読むこともできます。
 「以上之相庭相立」の箇所は、筆の流れを順に追ってみると、人偏のように見えるもの(矢印の箇所)が汚れであると判断でき、「之」という文字だと解読できます。
 次に下から3文字目の「庭」ですが、まず「まだれ[广]」の漢字であることがわかります。そして、最後の横棒が「辶」や「廴」の特徴であることから、「辶」や「廴」を持つ文字ということが推測できます。その2点を念頭にくずし字辞典を引くと、「庭」という字にたどりつきます。
 「庭」の次の文字に注視すると、「相庭」の「相」と同じ文字だとわかり、その次の文字は筆の流れから「立」という字だとわかります。
「相庭」は、現代では「相場」と表記されます。この他にも本文1行目の「直段」、本文2行目の「高直」も、現代では「値段」、「高値」と表紙されます。このような現代とは違った書き方だけでなく、同音異字での表記は時々見られるので、注意が必要であるとともに、柔軟な対応が必要かと思います。
 最後の「可相触もの也」です。矢印の文字は一見、一文字に見えますが、仮名で「もの」と書かれています。そして仮名の「や」に見える最後の文字は、漢字の「也」です。
 
おわりに
 チャレンジ問題の古文書は、テキストに用いた古文書に比べて難易度は高くなりますが、落ち着いて丁寧に見ていくと、比較的、基本的なくずし方で書かれていることに気づくでしょう。しかしながら、テキスト、チャレンジ問題ともに改鋳に関する御触書であったため、慣れない文言に苦労されたかと思います。概説書も含めた研究書に目を通して、理解を深めていただければと思います。
 ところで、解答編に転載している『幕末御触書集成』の内容と比較すると、この写しは1行分抜け落ちていることがわかります。また、「江戸表御触之写」でも、「悉」を「委」と誤写しています。これらの現象は、御触書の伝達は1つの御触書を近隣の町や村で回覧するため、御触書が廻ってきた際、返却期日が定められているため、急いで書き写して次の年寄(町)や庄屋(村)へ廻さないといけないことが原因で起きたものと考えられます。
 文字の解読だけでなく、このような当時の人々の姿を垣間見ることも、古文書解読の楽しみのひとつではないでしょうか。
(公文書館専門員 市原佳代子)
 
注1 明治33(1900)年の小学校令施行規則の改正で平仮名の字体の統一が進む以前には、よく用いられていたものです。1つの平仮名に対して何種類もの字体があります。
 
【参考文献】
・「平池家文書目録」、大阪府公文書館、2012年。(C0-2015-647)
・『寝屋川市史』第4巻、寝屋川市、2000年。
・石井良助編『幕末御触書集成』第4巻、岩波書店、1993年。

平成27年度 古文書講座アンケート結果について

公文書館では、平成28年2月26日(金)に「平成27年度古文書講座」を開催し、43名の方にご参加をいただきました。その際、アンケートを実施して、参加者の皆様からのご意見、ご感想をいただきました。
その集計・分析について、次のとおり取りまとめましたので、その概要を報告させて頂くとともに、今後の古文書講座等の充実に向けての検討に役立てて参りたいと思います。ありがとうございました。
■設問1■受講生の性別について
古文書講座の受講生の性別について、その男女比率は6対4であり、6割が男性となっています。古文書は、歴史的な文書ですので、歴史好きな男性の参加がやや多いということでしょうか。御夫婦・御友人等のカップルでご参加頂いた方々もおられます。公文書館の実施する古文書講座は、原則として、公文書館の所蔵資料である古文書を教材テキストとして使用していますが、近年は「歴女(れきじょ)」と呼ばれる歴史好きあるいは歴史通の女性も増えており、多くの方々に古文書保存の大切さを知って頂くことが大切ですので、大阪府にゆかりのある歴史小説やドラマで著名な人物に関する古文書等についても取り扱えるかを検討してまいりたいと思います。
 
■設問2■受講生の年代について
受講生の年代については、60歳代以上が7割を超えています。これは、古文書講座が平日昼間の開催になっていることから、どうしても現役世代の参加の制約となっているからと思われます。公文書館の休館日である土日等に開催するのはさまざまな課題がありますので、まずは幅広い年代層に、古文書を読む楽しさとともに、古文書なども含めた公文書の保存の大切さ知っていただくために、これまでの講座テキストや講座内容のウェブ公開コンテンツを充実させて、ネットを活用したウェブ講座なども検討していきたいと思っております。
 
■設問3■講座案内について
今回は、紙媒体の府政だよりの発行時期や紙面制約から、府政だよりには掲載できませんでしたので、府のホームページ(催し案内)からというのが、66%、ツイッターや公文書館のホームページからを加えると73%、およそ4分の3の方が、パソコンやスマホなどのネットから、今回の講座を知られたことになります。4分の1の方々については、友人知人等から開催を教えてもらった等が多いため、人から人への伝達も重要な案内になりますので、今後の案内に他の方へのお声掛けやお誘いについても御案内していこうかと考えています。
 
■設問4■講座の講義時間の長さについて
今回の古文書講座は、途中休憩10分間を除いて、約100分の講義時間でした。ちょうど良いが68%で、約7割の受講生の方が講義時間の長さについては満足頂けたようです。講義に物足りなさを感じられたのか、やや短いと思われた方が15%おられますので、今後、簡潔ながらも、より充実した講義内容となるよう努めたいと思います。また、5%の方がやや長いと感じられたようで、興味を持続して頂けるような講義内容を加味するなど、工夫していきたいと思います。
 
■設問5■今回の講座の内容の難易度について
今回の講座は、難解と感じられた方が約5割います。公文書館の古文書講座は、幅広い一般府民の方を対象としているために、あまり専門的になりすぎないよう、入門者・初心者向けの講座となるよう心がけています。
しかし、古文書に興味を持ち、他の機関や民間の古文書講座や通信講座を受講されている方も多く、難易度設定が難しいところがあります。今回は「貨幣改鋳の御触書」をテーマに初級者向けの講座とし、テキストは江戸幕府からの通達文書である御触書を書き写したものであり、広く一般にも読まれることを意識して、くずし字としては、独自のくずし方も少なく、比較的読みやすいものを選定しましたが、内容的には、江戸時代の三大改革である天保の改革の経済政策のひとつである貨幣改鋳に関するものであったため、難しく感じられた方も多かったものと思われます。古文書が作成された時代の歴史的な背景なども分かれば、より古文書に親しみをもって頂けると思いますので、レベルを維持しながら、より分かりやすい工夫をしてまいりたいと思います。
 
■設問6■講師の講義や説明について
講師の講義や説明はわかりやすかったかについては、大変よくわかった、よくわかった人が35%で、普通が35%でした。貨幣改鋳というあまりなじみのない難しい内容であったにも関わらず、ご理解頂けたことに主催者側として感謝いたします。講義内容が分かりにくかった人が30%となった原因については、古文書学の基礎的な部分は駆け足で説明し、貨幣改鋳については経済史的な部分でやや説明不足となり、あれこれの話を短い時間に詰め込みすぎて雑然となってしまったからだと思っています。整然として分かりやすい講義説明となるように工夫してまいりたいと思っています。
 
■設問7■ご意見ご感想など
・受講決定の連絡・案内が来るのが遅すぎます。
・会場案内に階数の記載がなく不親切と感じました。
・新別館の入口に案内がなくウロウロしました。
・ワイヤレスマイクの性能や調子が悪いのか、声が聞き取りにくい場面がありました。
・スピーカーが響きすぎて聞きづらかったです。
・短い時間に多くのことを教えてもらいましたが、わたしにはレベルが高すぎて難しい内容でした。
・複数回に分けた連続講座や、入門と初級などをセットした講座などを実施してほしいと思います。
・くずし字の手書きによる筆運びの説明がとても分かりやすくて、良かったです。
・筆運びの解説がとても参考になりました。
・くずしの字について、もっとゆっくり聞きたいです。
・事前に予習できる方法を考えてほしいです。
・江戸時代当時の大阪人の生活や暮らしが分かるような講座を希望します。
・次回も是非参加したいと思います。
 
※多くの方々に、ご意見やご感想をアンケートに記入して頂き、ありがとうございました。今後の充実につなげたいと思います。 【公文書館事務局】

公文書館リニューアルのお知らせ

大阪府庁本館耐震工事が竣工するのに伴い、大阪府公文書館はリニューアルし、平成29年2月(予定)府庁本館1階から5階へ移転します。
 移転先の隣には、大正時代当時の姿に復元改修した「正庁の間」や議会図書室があり、公文書館東側の窓からは、大阪城を望むことが出来ます。
 また、本館地下書庫もリニューアルし、移転作業が平成28年12月(予定)から始まります。それに伴い一部資料の閲覧が出来なくなり、ご不便をお掛けすることとなります。あらかじめご了承願います。移転の詳細については、確定次第公文書館ホームページ等で、お知らせいたします。 【公文書館事務局】

平成27年度 開催イベントを振り返って

【展示】
「大正時代の大阪府 -方面委員制度の発祥地-」
と き 平成27年4月1日~8月31日      
ところ 大阪府公文書館展示スペース
内 容 大阪府が大正時代に、全国に先駆けて創設し、現在の民生委員制度につながった方面委員制度(大正7年(1918年)を取り上げました。
当館所蔵の公文書や「大谷繁次郎コレクション」(昭和初期の元大阪府社会課長寄贈資料) などの中から、方面委員に関する資料を中心に、同制度の運用実態を概観しました。
 
「大阪府庁が建てられた時代-大正時代の大阪府-」
と き 平成27年9月1日~平成28年3月31日
ところ 大阪府公文書館展示スペース
   内 容 大阪府庁本館が竣工(大正15年(1926年)) 
  した大正時代に大阪府は、現在の民生委員制度につながった「方面委員制度」を制定しました。企画展示では、この制度に関わる所蔵資料の現物なども展示しています。
 
・「府庁本館竣工90周年記念プレイベント企画展示」
と き 平成27年11月13日から
ところ 府庁本館5階「正庁の間」展示室
内 容 府庁本館大手前庁舎が来年竣工90周年を迎えるのを記念してプレイベントとして、企画展示を開催しています。庁舎建設に関わる資料や、昭和天皇の行幸に関する資料を展示しています。    
                
【講座】
 

・歴史講座   テーマ 「大阪府庁が建てられた時代」
  と き 11月12日  14時から16時15分
  ところ 大阪府庁本館「正庁の間」
  参加者 73人 【応募者216名のため抽選】
  内 容 府庁本館竣工90周年プレイベントとし
  て、大正15年竣工当時から昭和初期ごろまでの大阪を府公文書館の所蔵資料で振り返る「歴史講座」を、府庁本館の歴史ゆかしき「正庁の間」で開催しました。 併せて府庁本館で進められている耐震工事の概要説明も行いました。
また、府政学習会とタイアップして、大正時代に建てられた府庁本館の正面玄関、正庁の間、特設展示場、府議会議場のほか公文書館の「天覧品大阪府鳥瞰図」等の見学もしていただきました。

 ・古文書講座
  テーマ 「貨幣改鋳の御触書」
  と き 2月26日  14時から16時
  ところ 大阪府庁新別館南館 「大研修室」 
  参加者 43人
  内 容 「貨幣改鋳の御触書」をテーマに初級者向けの内容でした。

なお、展示、講座の資料作成にあたっては、大阪府立中央図書館中之島図書館の支援を受けて、各館の所蔵資料も参考にさせていただきました。ありがとうございました。   【公文書館事務局】

平成27年度 登録資料「ドイツマルク債関連資料」の紹介

 
平成27年度に公文書館が収集登録した資料のうち、今回は「ドイツマルク債関連資料」をご紹介します。
ドイツマルク債とは、ドイツの通貨であるマルク建てによる外貨建債券(外貨債)のことで、外貨債とは、海外において発行・募集される証券で、地方自治体が発行する外貨債は、外貨地方債ともいいます。
我が国での外貨地方債の発行の歴史は、1899年(明治32年)に、神戸市が水道事業のために発行した英貨債(ポンド債)を皮切りに、1902年(明治35年)には、横浜市と大阪市、1906年(明治39年)には、東京市、1909年(明治42年)には、名古屋市と京都市など、戦前においては17銘柄が発行されています。いずれも大都市地域の築港事業や電気、水道事業などの都市基盤の整備を目的としたもので、戦後になって、1962年(昭和37年)に、大阪府は大阪市と共同で、大阪港及び堺港の整備を目的としたドイツマルク債を発行しました。
今回、大阪府公文書館では、1962年(昭和37年)当時の大阪府のドイツマルク債発行にあたって、大阪市と交わした覚書や、取扱銀行との協定書などの行政文書を所蔵資料として、収集登録しました。ドイツマルク債発行から、半世紀を経て、現在、ドイツでは欧州連合(EU)のユーロが導入されており、公式通貨としてのドイツマルクは廃止されています。時代の流れであり、府の公文書であるドイツマルク債の関連資料も、経年の劣化により、色褪せはしていますが、当時の社会情勢や、府の財政や事業の状況を知るための公文書として貴重なものとなっています。
今後とも大阪府公文書館は、過去における府の主要な活動又は社会の情勢を跡付けるために重要な公文書の収集登録の推進を図っていきたいと考えています。【公文書館事務局】

公文書館 事業の推移


来館者数

来 館 者 内 訳 平成25年度 平成26年度 平成27年度
公文書総合センター ① 16,003人 13,733人 16,739人
府政情報センター  ② 5,207人 3,695人  3,697人
公文書館       ③ 10,796人 10,038人 13,042人
    ※「公文書総合センター」に、「公文書館」と「府政情報センター」設置)
①は、公文書総合センター入口設置の自動計測入場者数、②は府政情報センター窓口受付数、①-②=③を公文書館来館者数とし、府政学習会の庁舎見学者等も含む。
閲覧申出件数
 
内訳 平成25年度 平成26年度 平成27年度
閲覧申出件数 356件 221件 377件
複写申出件数 330件 186件 170件
複写枚数  21,903枚 14,444枚 4,302枚
 
歴史的文書資料類の登録状況
 
分    類 累計登録点数 平成25年度 平成26年度 平成27年度
近世・近代資料等 12,901点 1点 5,187点 161点
府行政文書 16,507点 105点 367点 673点
行政刊行物・官報・公報他 139,808点 1,292点 1,754点 2,292点
合計 169,216点 1,398点 7,308点 3,126点

【公文書館事務局】
大阪府公文書館  利用案内
閲覧時間
・月曜日~金曜日 午前9時00分~午後5時15分
複写申請は閉館の30分前までにお願いします。
休館日 ・土曜日、日曜日、祝日及びその振替休日
・年末年始(12月29日~1月3日)
公文書館は、主に府が作成・入手した公文書や資料類のうち歴史的・文化的な価値があるものを保存し、皆様にご利用いただく施設です。

大阪府公文書館 『大阪あーかいぶず』第49号 平成28年9月30日発行
〒540-8570 大阪市中央区大手前2丁目1-22(大阪府庁本館1階)/TEL06-6944-8374/FAX06-6944-2260
ホームページ https://archives.pref.osaka.lg.jp/ (大阪あーかいぶずの電子版も掲載しています)

住所
大阪市中央区大手前2丁目1-22 大阪府庁本館5階
Tel
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Fax
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